書評・小説 『満州国演義 九 残夢の骸』 船戸与一


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長かった『満州国演義』シリーズもついに最終巻。追い詰められた日本は、東条内閣総辞職で幕開け、台湾沖航空戦、フィリピン、沖縄、特攻隊の突撃、長崎と広島の原爆、そして、最後の最後まで「一億玉砕」を唱える強硬派との行き詰まる駆け引きが続く中、ついに無条件降伏。昭和二十一年五月、復興に向かう広島に、四郎が三郎から託された満州の遺児を送り届けるところで物語は終結する。

東条英樹の悪評については、第八巻でもたびたび言及され、水面下では暗殺計画が準備されていく。シリーズで敷島兄弟に次いで重要な役所である間垣徳蔵も、東条が日本をダメにする、と言って起死回生の暗殺計画に加担する。

「内地の民間人の反応については何か聞いていますか?」「参謀総長兼任とは直接関係はないが、国民の東条内閣にたいする怨嗟の声は日に日に強まっているらしい。南方での戦況の悪化はもうだれの眼にも隠しようがないし、航空機増産に伴う労働力強化と日常の生活物資の不足に国民は疲労困憊してる。・・・それを監視するのは憲兵隊だけじゃない。内地の隅々まで張りめぐらされた大政翼賛会傘下の隣り組制度が不満を言わせないように見張ってる。にも拘らず、巷じゃいろんな噂が飛んでるそうだ。いわく、東条首相はアメリカ製の五万円もするピアノを五十円で買い入れた。いわく、官邸の夕食には毎日大量の肉が出る。いわく、料亭で酒色に耽ってる。どれもこれも根も葉もない作り話だが、それが尾鰭をつけて拡がってるらしい。要するに、国民の厭戦気分が東条首相個人への怨嗟となって表れてるんだよ」

倒閣か暗殺かという緊迫した空気の中、岸信介国務大臣の裏切りにより、東条英樹は総辞職を余儀なくされる。(岸信介については、第五、六巻の記事でも書いた)しかし、東条内閣総辞職しても事態は一向に改善しない。「トップが変わっても組織が全く変わらない」という、現代の日本にも受け継がれる悪しき病が、ここにも巣食っているのだ。

「皮肉なものですね」「何が?」「戦局悪化は東条前首相が参謀総長まで兼ねて独裁的に振舞ったせいだとして暗殺計画まで用意されたのに、小磯内閣が成立して大本営政府連絡会議が最高戦争指導会議と改称されたら統帥も軍政も一段と混乱した」

東條英機と並んでこの『満州国演義』シリーズで悪評高い人物は、なんと言っても辻政信である。ノモンハン、ガダルカナル、シンガポールでの華僑粛清、ビルマ戦線、と辻政信が犯した罪は重い。作者は、第九巻でも、東条英樹暗殺計画に協力していた伊奈尚平の口を借りてこう評している。

「あの参謀が口を出すたびに無数の死者が出る。(略)おれに言わせりゃ、疫病神に等しいが、あの参謀がどうしてあれほど大本営から重宝がられるのか最近ようやくわかって来た」「あの参謀は炭焼きの子として極貧のなかで育った。生まれつき頭がよく、陸軍幼年学校、陸軍士官学校と進み、陸大では恩賜の軍刀を受けるほどの秀才だった。機を見るのも実に敏で、士官学校事件じゃ二二六事件の中心人物となる磯部浅一や村中孝次を炙り出し、満州事変後は石原莞爾将軍に急接近し、東条英機前首相が陸相になったときはそこに擦り寄った。そういう経歴のなかでも変わらなかったことがある」「何だね、それは?」「貧困にたいする軽蔑だよ。極貧の育ちが逆にそんな感情を抱くようになったのかもしれない。それに異常なほどの潔癖さ。宴会で酌婦や芸妓がいると、面と向かって醜業婦と罵倒して寄せつけないらしいんだよ。女たちがなぜそういう仕事をしているのか想像すらしようとしないんだと思う。これは明らかに人格的欠陥としか言えん。それが多数の兵員を死に追いやっても次から次へと新たな作戦計画を立案できる理由だろうよ」

辻政信は、これだけの重要な作戦に関与した参謀でありながら、終戦時にはタイにいたため、潜伏して軍事裁判をやり過ごし、戦後しばらくしてから帰国し、なんと議員に立候補して当選までしている。作戦に従事した何万もの兵士たち、そして、戦後の軍事裁判で刑に処された参謀たち、と比して、彼の所業と処遇に、作者は殊更怒りを感じたに違いない。しかしまた、辻政信は、実際に戦時を経験し多くの友人や家族を戦線で失った人々に歓呼を受けて迎えられ、議員に当選したわけだし、彼が参加した作戦の愚劣さはともかく、その人物的評価は現代でも分かれている。彼の勇猛さや潔癖さや部下想いであったという点を評価する声も多い。(本当に勇猛で部下想いだったのなら、なぜ、こんな何万もの死者を出す作戦を実行して生き延びられたのか、やはり疑問だと私は思うのだが・・・)

歴史的人物の評価というのは得てして難しいものだ。国際連盟脱退演説で有名な松岡洋右外相についても、本シリーズでは「自己顕示欲の塊り」(第七巻)とドイツイタリア枢軸国化を進めて日本を戦争に追いやった一人として糾弾されているが、『それでも日本人は戦争を選んだ』の加藤陽子は、彼が非常にバランス感覚に富んだ外交官であり、日本の孤立化を懸念していたことに言及している。建前と本音を使い分けていることも多く、表に出ている政治的・軍事的な行為だけでは、特に戦前の日本人の人物評価は難しい。

人物個人の評価の難しさ以上に、私にとって印象的だったのは、やはり、「トップが変わっても組織は変わらない」「責任の所在が分からない」という日本の組織のあり方である。

よく言われるように、日本のファシズム的軍政の主導者として、ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニのような大物はついぞ現れなかった。戦後、人々が東条英機や辻政信といった軍事参謀個人をどれだけ叩いても、誰が戦争の責任を負うべきかについて、納得いく結論は得られなかった。もちろん、戦争について終始消極的であったことが分かっている天皇や天皇家についても同じである。アメリカの一方的な押し付けで軍事裁判が行われても、多くの日本人が満足いくような答えは出てこない。ドイツやイタリアの戦争責任が、ヒトラーやムッソリーニ個人だけに帰されるわけでは無いだろう。だが、日本でも、少なくとももう少し手応えのある「責任者」を見つけたい、と人々は躍起になって戦後探したのだが、結局、見つからないまま、今に至っている。そして、それは日本人のアイデンティティと対外的な関係に、大きな禍根を残していると言えるだろう。

最後に、この物語の主人公である敷島四兄弟の行方について軽く触れておきたい。「柳絮のごとく生きていたい」と言っていた次郎が、図らずもインパール作戦に巻き込まれ、虫葬の骸となったことは第八巻で既に述べた。第九巻では、三兄弟が通化の地に次郎の遺髪を埋葬する。葬送の喇叭が響く。

三郎はこの歌が次郎の葬送の曲としてふさわしいとは思えなかった。次郎が祖国への忠誠心のために動きまわったとは考えられない。ただただ柳絮のごとく風に身を委せて生きて来たのだ。インパール作戦に身を投じたのも単なる成行きだったにちがいない。ただの一度もこの歌を口ずさんだことなんかなかったろう。しかし、この歌の他にどんな葬送の曲がある?ふさわしかろうが、そうでなかろうが、この時代の日本人死者にはこれしかないのだ。

一方、関東軍に所属してきた三郎は、敗戦後の満州に残るが、通化での八路軍への武装蜂起に参加し、命を落とす。

「もう遅いんだ、歯車はすでに動き出したんだ、だれにも止められやせん」「馬鹿げてる、八路軍は待ち受けてるんですよ!そこに飛び込むつもりですか?」「いったん濁流のなかに身を投じた以上、だれもが流れていくしかない」牧彦があらためてこっちの眼を見据えなおした。この視線はしばらく離れそうもない。やがてその喉から掠れた声が洩れてて来た。「将校たちの論理だ、帝国陸海軍の高級将校は何十万の兵士が死のうとそういう感性で戦争を継続して来た。その結果、日本は木っ端微塵に壊された」

蜂起中止を主張する諏訪牧彦に、自分は関東軍将校として蜂起する第百二十五師団の最後を見届ける義務がある、と三郎は言う。

「ソ連軍の満州侵攻が時間の問題になったときも、わたしは総司令部の指示に基いて、その事実を満州開拓民に報せなかった。関東軍が開拓民を守るために何もしなかったことも事実だ。わたしは関東軍将校としてその責任がある」「卑怯だ、責任逃れです」「何だと?」「少佐は死に場所を探してるだけです、そんなことにかこつけて。義務があると言うなら、どんな屈辱を受けようと生きて生きて生きぬくことこそが義務だ。それが責任だと思う、家族のためにも日本のためにもね」

立場は違えど、男らしく信義のある生き様を貫いた次郎と三郎に比べ、長男の太郎と末の四郎は、状況に翻弄されながら生きている。私個人的には、ハードボイルド過ぎる次郎や三郎よりも、甘やかされたエリートである太郎の変遷ぶりの方が、感情移入しやすくて興味深かった。

シリーズ序盤では、中々頼りがいのあるキレ者外交官的なキャラにおさまっている太郎だが、満州国国務院の官僚となり、中国人の若い家政婦を愛人として囲うようになるあたりから、どんどん情けなくなっていく。第六巻あたりからは、戦争をめぐる状況描写の方に重きがおかれて、主人公たちの個人的ドラマ性は希薄になっていくのだが、その中で唯一、太郎の私生活だけが度々クローズアップされる。登場人物たちがみな生きるか死ぬかの瀬戸際、満州の情勢が逼迫していくのとは対照的に、愛人と妻の間に挟まれ、個人的な問題にうだうだと悩んで、兄弟まで巻き込んで隠蔽工作に手を染める太郎の姿は、ひときわ惨めである。よくよく振り返ってみると、作者は、太郎の病弱な息子が早逝し、妻との関係がうまくいかなくなってくるような伏線に至るまで、彼の感情の襞を思いのほか細かに描いているのだ。途中から頓に増えていく歴史的叙述に引き換え、小説的人間ドラマを敷島太郎が肩代わりしているようなところがある。最後に、シベリア収容所送りになり、一片のお菓子のために人を売り渡すまでに落ちぶれる敷島太郎。軍人将校だけではない、もう一つ弾劾されるべき当時の官僚エリート層の男の姿を、船戸与一は克明に描いている。

そして四郎。敷島四兄弟のうち、彼だけが、満州の地から本国に戻り、この戦禍を生き延びる。共産主義を齧ってみたり、母との情痴に塗れたり、開拓村、慰安所、満映、そしてソ連軍侵攻後の開拓民達など、満州の様々な負と闇の姿を潜り抜けながら、政治的・思想的な信念を捨てた四郎だけが生き残るのだ。

広島の地をあてどもなく去ってゆく四郎の言葉が、他の兄弟を含め、満州に散っていった幾多もの人達の夢と絶望と生き様を総括している。

熱情も憤怒も、高揚も失意も、恐怖も後悔も、満州に絡むすべてはがらがらと音を立てながらどこかへ流れ去っていった。いまや過去に拘ったところで何かが産み出せるわけじゃないだろう。問題はこれからどう生きるかだけでしかない。しかし、どう生きていくのだ?そのまえに、どういうふうに生きたいのだ?この答えは見つかりそうもなかった。

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