書評 『おだやかな死』 シモーヌ・ド・ボーヴォワール


先日、母方の叔父が癌で急逝した。私自身、14歳の時、父親が47歳という若さで急性心不全で亡くなっている。大学生の頃には、父方の叔母が、やはり癌で亡くなった。そういうせいもあって、私は昔から、親の死、ということにやや敏感である。この本も、ちょうど叔母が亡くなった頃に、図書館で借りてきて読んだ記憶がある。
当時非常に感動したので、数年前に、AMAZONで見つけた時、とりあえず購入していた。が、結構重たい話だったので、再読しないまま本棚に置いてあった。先週、叔父の葬儀に参列し、久しぶりに骨を拾って帰ってきた晩、この本を読み返したくなった。
話は、ボーヴォワール70歳になる母が、骨折を機に入院したところから始まる。骨折のための入院のはずが、やがて検査の結果、末期の大腸癌であることがわかり、その後4週間の死に物狂いの闘病生活が繰り広げられる。「実存主義」を標榜することで有名なボーヴォワールは、飽くまで冷静に、客観的に、死んでいく母親の姿を、時系列に、順を追って描写していく。
死に行く母親の姿を描くボーヴォワールは、冷徹とも言えるような目をしている。その描写からは、一切のスピリチュアルなものや、宗教的なものが排除されている。訳者あとがきで言われているように。
すべて予断をしないということが、サルトル以上に精密にボーヴォワール女史が追求している実存主義倫理の最大の特徴であると私は考えるが、この「おだやかな死」という作品も、予断を持たないことの持つきびしさと美しさの結晶であるように私には思われる。
この「予断の無さ」が、逆に、この作品を普遍的で、力強く、美しいものにしている。そこには、真の、ひとりの人間が死んで行くということの等身大が、描かれているのである。
ボーヴォワールは自身の思想と信念を全うしようとする中で、母親との葛藤と軋轢にかなり苦しんだようだ。『ボーヴォワールは語る 第二の性 その後』という本の中で、彼女は、「子供を持たなかったことを後悔していないか」という質問に、こう答えている。
「全然!私の知っている親子関係、ことに母娘関係ときたら、 それはそれはすさまじいですよ。 私はその逆で、そんな関係を持たずにすんで、ほんとうにありがたいわ。」
時代の風潮や世間の常識に反して、自分の思想を貫き続けた偉大な哲学者・文学者であるボーヴォワールだからこそ、親子間の葛藤は「すさまじい」ものがあったことが想像できる。だからこそ、この本の最後に、ボーヴォワールが述べる言葉が、深く胸を打つのである。
私たちの昔の関係は、だから、私の中に、その二重の面を保って、生き残っていたのである。愛しつつ憎む依存関係が。母の事故が、病気が、臨終が、現在私たちの関係を規制している惰性を打ちこわした時、昔の関係が全力を発揮して復活した。この世を去って行くひとびとの背後に、時が消える。私が年をとるにつれて私の過去は凝縮する。十七歳の時の「大好きな母さん」と私の青春時代を抑圧した敵意を持つ女性との間の区別がなくなる。老母の死を悲しみながら私はこのふたりのために涙を流したのである。
私の父親は、亡くなるその日の朝までぴんぴんしていて、ゴルフ場で急性心不全で倒れてあっという間に亡くなってしまったのだが、叔母や叔父は若くして癌を発病したので、従姉弟たちは、死に逝く親を看取る、という辛い体験を味わうことになった。今でも私は、当人と、それから子供にとって、一体どちらが良いのかなあ、と思ってしまう。突然わけもわからず死なれてしまうのと、準備はできるが、苦しむ親の姿を見守らなければいけないのと。勿論、どちらが良い、なんてことは決めれるわけはない。思ってみても、詮の無いこととは知りながら、それでも、親が目の前で死んで行くのを見つめる従姉弟たちの姿は、傍から見ていても、胸が引き裂かれるものがあって、ついつい自問してしまうのである。
この本を読み、ボーヴォワールの最後の切ない言葉を読むと、従姉弟たちに、そのプロセスは、どんなに辛いものであっても、親子お互いにとって、やっぱり必要だったのだ、と言ってあげたくなる。
誰か愛する者が死ぬと、私たちは胸を刺す無数の悔恨を支払って生き残る罪をつぐなう。そのひとの死はそれがかけがえのないただひとつの存在であったことを私たちにあかす。それは世界のように広大なものとなる。・・・私たちはこのめくるめく真理から無理に身をひきはなす。彼もほかの誰彼と同格の個人にすぎなかったのだと。しかし、ひとは、誰に対しても、できうる限りの手をつくすわけではないから・・・まだ自分に対してあびせなければならない多くの非難が残る。母に対して、ここ数年、特に私たちが悪かったと思うのは、なすべきことを怠ったこと、省いたこと、棄権したことである。私たちが母のためにさいたこの四週間の生活によってそれをつぐなったような気がした。私たちがいることが母に保証した不安、恐怖と苦痛を相手におさめた勝利、それによってつぐなうことができたのだ・・・
・・・母はいともおだやかな死を通過した。めぐまれたものの死を。
サルトルは、この作品を「シモーヌの最良の作品」と呼んだ。
 

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