書評 『貧乏人の経済学 もういちど貧困問題を根っこから考える』 A・V・バナジー& E・デュフロ ②


第一章は、前回の記事で述べた通り、「援助推進派」と「援助懐疑派」という対極的な二つの考え方を示し、「貧困の罠」というものが本当に存在するのか、という疑問に対し、「ランダム化試行(RCT)」という手法で現実的なアプローチで検証する方向性を示している。

第一部の第二章から第五章が、貧困の原因についての各論分析となる。第二章の論題は、「飢餓と食糧」について。貧困問題はしばしば「飢え」が問題になるが、実は、貧困層でも最低限必要なカロリーは足りており、飢餓やカロリーは大きな問題ではない、という見方が示される。

少なくとも、食料の安定供給という点については、わたしたちの住むこの世界では地球上のすべての人に食料を供給できます。FAOはその年の世界の食糧総生産量で、1日1人あたり少なくとも2700キロカロリーは供給できると見積もっています。

貧乏な人のカロリーは十分足りているけれど、目先の嗜好品に消費が優先してしまうのだ。問題はカロリーではなく、栄養摂取による貧困の罠は成人には殆ど作用しない、と結論づけた上で、自分で食料を選べない胎児や幼児については、栄養供給がしばしば問題になる、栄養強化食物を妊婦や幼児の母に与えたり、学校や保育園で子供の寄生虫駆除を行なったりすることは非常に効果があるとしている。

第三章は、「医療、保険衛生」。ここで、前回の記事で述べた、ジェフリー・サックスのマラリア対策と蚊帳配布についての検証も行われる。人々が蚊帳を無料配布しても使い続けてくれるとは限らないように、飲料水を殺菌できる塩素漂白剤を安価で提供しても使用率は10パーセントに止まっていたり、医師や看護師のいる公共医療機関を使わずに民間の医療機関や祈祷師に頼っていたりする。これは、公的医療機関が十分に機能していない、という理由もあるが、根源的な理由として、貧乏な人達が、近代的医療の治療法に確信がもてなかったり、目先の問題を先送りしてしまうなど、心理的な側面も大きい。だからと言って、やっぱり貧乏な人は愚かだ、とか、啓蒙すれば問題が解決する、とか言うのではない。貧乏な人達がそのように行動してしまうのは、しごく自然なことであって、先進国の人が、原因不明の病気の前で精神分析医やヨガ教室の間を右往左往したり、「今年こそジムにきちんと通うぞ」という新年の誓いを毎年守れないのと、基本的には同じなのだ、ということを分かりやすく説明してくれる。だからこそ、サービス内容を充実させたり、必要性を啓蒙するだけではダメで、そういうサービスを利用するためのインセンティブや罰金を併用する、《政府(あるいは善意のNGO)は、多くの人々にとって最善と思われる選択肢をデフォルトにすべきで、そこから外れたい人は、主体的に離脱しなければならないようにすべき》なのだと言う。つまり、選んで予防摂取を受けに行くのではなく、予防接種を受けないことでちょっとしたコストが発生する、といった仕組みを用意する、ということだ。

第四章は、「教育」について。ここでも、無料または安価な教育サービスの供給も大事だが、それと共に、供給の仕方やその内容が重要なのだ、という。しばしば、教育内容が「エリート教育」に的を絞られてしまい、多くの落ちこぼれを呼んでいたり、貧しい人々が直接期待する所得水準向上を促すような教育内容になっていない実態を検証している。その上で、《期待を下げて、中核的な能力だけに焦点を絞り、そして教師の補助にテクノロジーを利用する》という解決策を提示する。貧しい人々が落ちこぼれてしまう負のスパイラルについて、両親とも学者であるという超エリートの著者自身を引き合いにして語っているところは、ユーモアと説得力があり、実に面白い。

高い期待と信頼感の欠如が一つになると致命的です。(略)教師は落ちこぼれを無視し、親はその子の教育に興味を失います。でも、この行動はもともと貧困の罠など存在しなかったところに、それを作りだしてしまうのです。諦めてしまえば、その子が本当は成績があがるはずの場合でも、それはわからずじまいです。そして対照的に、自分たちの子供ならできると考えている家庭、あるいは自分たちの子供が無学に終わるのを容認できない家庭(言うまでもなく歴史的に見てエリート家庭)は、最終的に自分たちの「高望み」が実現するのを見ることになります。この本の著者の一人アビジットの小学校教師の回顧によれば、アビジットが最初の1年で学業で遅れをとったとき、みんなは彼が突出していて、授業を退屈に思ったせいだと信じようとしました。結果、彼は飛び級で次の学年に進学しましたが、またここでもすぐに落ちこぼれてしまい、教師たちはお偉方が飛び級を疑問視しないように、彼のやってきた宿題を隠してしまったほどです。もしもアビジットが2人の学者のあいだに生まれた子供でなく、向上労働者の家の子供だったならほぼ確実に補習コースに入れられるか、退学を求められていたはずです。

第五章は、「避妊と家族計画」。やはり、避妊具を供給したり、信仰や道徳教育を徹底すれば良い、ということではない。重要なのは、女性の実際的な選択権が増大すること(なぜなら、避妊具を持っていても、男性側に選択主権がある場合、それは使用されない可能性が大きいから)、女性自身の意識や社会規範の改革である。性欲抑制や避妊の必要性について道徳的教育をいくら施しても改善しなかった思春期の女子の妊娠率が、「年上男性との性交渉はHIVの感染率が高いという事実を教える」だけで改善した、というケーススタディは、笑えないが面白いエピソードである。抜本的な改善が今すぐ難しいのであれば、女性に直接お金や支援を与えることと、それ以上に、子沢山が必要となる環境を改善すること、《効果的なセーフティーネット(たとえば健康保険や高齢年金)や、あるいは老後に備えた収益性の高い貯蓄を実現する金融商品の開発》が必要である。その重要性と方法について、第二部以降の検証につながっていく。

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