書評・小説 『ダンス・ダンス・ダンス』 村上 春樹 ②


さてさて、ディティールの方。

音楽は、レイ・チャールズ、ブレンダー・リー、リッキー・ネルソン、ローリング・ストーンズ、デュラン・デュラン、ビーチ・ボーイズ、ジョン・コルトレーンなどお馴染みの顔ぶれ。それに対し、触媒役の美少女ユキが聴くのは、(当時では)新しいロックのジェネシス、トーキング・ヘッズ。くだらないバンド名群には、ポリス、の名もある。安定感ありまくりの顔ぶれを避けるため、パーシー・フェイス・オーケストラの「夏の日の恋」やポール・モーリア「恋は水色」、ヘンリー・マンシーニの「ムーン・リヴァー」なんてムード的洋楽が出てくるのも一興。ジャズについて詳しくない私は、ボブ・クーパーやアーサー・プライソックなんかもネットで調べてみる。(残念ながら、いつも参考にしているサイト「村上春樹 音楽大全集」には載っていなかった)クラシックはまだ少ない。ヘンリー・パーセル、グレゴリオ聖歌、モーツァルトのピアノソナタにフィガロの結婚、魔笛など、まだまだひねりが足りない感じ。ジャック・ルーシェの「プレイ・バッハ」に言及するあたり、これから村上春樹のジャズとクラシックへの偏向を予感している。

文学と映画については、この作品では殆ど出てこない。唯一、取り調べで刑事「漁師」に、フランツ・カフカの『審判』の詳細を説明するくだりが印象的で、『海辺のカフカ』を待たずして、村上春樹にとってカフカが重要なのはよく分かる。主人公が気持ちの良い春の宵に読み返すのが、海外文学ではなくて、佐藤春夫の短編、というのも珍しい。

最後は、もちろんグルメ。この作品は、『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』と並ぶ三部作の完結編なわけだが、シリーズ最後になって初めて、主人公の僕の美味しそうな手料理が出てくる。村上春樹が本格的に料理に目覚めたのはこの頃なのだろうか(笑)《ホウレンソウを茹でてちりめんじゃこと混ぜ、軽く酢を振って、それをつまみに黒ビールを飲んだ》り、《長葱と梅肉のあえたものを作ってかつおぶしをかけ、わかめと海老の酢のものを作り、わさび漬けと大根卸に細かく切ったはんぺんをからめ、オリーブ・オイルとにんにくと少量のサラミを使ってせん切りにしたじゃが芋を炒めた。胡瓜を細かく刻んで即席の漬物を作った。昨日作ったひじきの煮物も残っていたし、豆腐もあった。薬味にはたっぷりと生姜をつかった》と、酒のつまみ的メニューなのは、バーを経営していた名残でしょうかね。

とっておきのサンドイッチについては

ぱりっとした調教済みのレタスとスモーク・サーモンと剃刀の刃のように薄く切って氷水でさらした玉葱とホースラディッシュ・マスタードを使ってサンドイッチを作る。紀ノ国屋のバター・フレンチがスモーク・サンドイッチにはよくあうんだ。うまくいくと神戸のデリカテッセン・サンドイッチ・スタンドのスモーク・サーモン・サンドイッチに近い味になる。うまくいかないこともある。しかし目標があり、試行錯誤があって物事は初めて成し遂げられる。

と、主人公の一家言。神戸トアロードのデリカテッセン及びスモーク・サーモンのサンドイッチへのこだわりは、『海辺のカフカ』の記事でも取り上げた通りである。

この本にはもう一つ、とても印象的なサンドイッチが出てくる。サーファーで詩人のディック・ノースが片腕でつくるサンドイッチ。《きゅうりとハムのサンドイッチで、イギリス風に小さく切り揃えられ、オリーブまでついて》いて、《どことなく詩的な趣があっ》て、《材料が新鮮で、扱いかたが洗練されていて、音韻は正確》なサンドイッチである。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と同じように、オーソドックスなサンドイッチを絶品に仕上げる人物は、村上春樹の小説の中では非常に印象的な人物となる。たとえ、ディック・ノースのように、あっさりと不慮の事故で命を奪われるような「軽やかな」キャラクターであっても。

それにしても、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の記事でも書いた通り、きゅうりとハムのオーソドックスなサンドイッチ、私は全然好きではない。しかし、やっぱり、この小説を読んだら、思わず食べてみたくなる。「グルメ描写で重要な大半は、メニューでも素材でもない、シチュエーションなにあるのだ」、この小説の主人公なら、そんな風に言うかもしれない。言わないか。

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