書評・経済書 『財政赤字の神話 MMTと国民のための経済の誕生』 ステファニー・ケルトン ②


本書を読み、現在のアメリカの財政運営には非常に大きな問題があり、格差を是正するような積極的な財政支出が必要なことは十分理解できた。ただ、著者が主張するように、MMT理論に基づいて、全く財源を気にすることなく積極的な財政支出を行うべきなのか、そこはまだ私の中で釈然としていない。先に述べたように、完全雇用を目指して政府が行う《就業保証プログラム》が実際に効率的に運用されるには、相当な工夫が必要だろう。また、現在のような恣意的な予算運営や闇雲に財政赤字を批判する姿勢は確かに問題だが、財政均衡という「タガ」を完全に外して、本当に問題無いのか、という不安に対し、本書は十分納得できる答えを提供できていないように思う。

著者によると、インフレは過剰な財政支出によって引き起こされるのではない。また、マネタリズムの創始者であるミルトン・フリードマンの《「インフレはいつどこで起ころうとも、マネタリー(貨幣的な)問題である」》という前提にも異を唱える。そこまでは理解できる。

ジョゼフ・E・スティグリッツの『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』では、IMFが新興国の金融危機に対し、一貫してインフレ懸念や貨幣量ばかりを気にして緊縮財政を強いて問題を悪化させてきたことを糾弾していた。一方で、リーマン・ショック後、危機を乗り切るために、米国をはじめ、先進諸国は貨幣量をジャブジャブに増やし国家債務を拡大してきた。未曾有の量的緩和に、市場は常に「バブル再燃」の警鐘を鳴らし続けている。しかし、実際には《世界の主要国の多くはすでに10年以上その逆の問題、すなわち低インフレの解消に必死に取り組んできた》のである。確かに、インフレリスクばかりに気を取られ、IMFやFRBなどに過度に権力を集中させる今までのやり方には、大きな疑問が突きつけられて然るべきだろう。

実際ドルが覇権通貨の役割を持つということは、全世界の命運がアメリカのドル金利をコントロールする能力にかかっていることを意味する。FRBの意思決定は途上国に重大な影響を及ぼす可能性があるが、そうした国々には自らの身を守るすべがほとんどないことが多い。

確かに、貨幣量や金利コントロールだけでインフレコントロールをする現在のやり方には問題がある。ただ、《「インフレはいつどこで起ころうとも、マネタリー(貨幣的な)問題である」》というのは間違いかもしれないが、かと言ってマネタリーの問題で引き起こされるインフレリスク全てが否定されるわけではない。著者は、「MMTはインフレコントロールを最も重視する」と主張しているが、財政均衡や貨幣量に基づかずに、果たしてどうやってインフレを管理するのか。MMTは、井上氏が解説で述べている通り、信用貨幣論に基づいているが、仮に通貨が自国の福利厚生やインフラや環境対策に使われる為だけに大量に発行されているとすると、その通貨を他国が信用する根拠をどこに求めれば良いのか。著者は、米国が多額の貿易赤字を抱えていることも、他国が米国債を保持していることも、全く問題無いとしているが、国際関係の中でドルの「信用」が揺らぐことがあれば、短期的には混乱や急激な調整が生じる危険もあるのではないか。

私は経済の専門家では無いので、MMTが本当に今後の経済学のドラスティックな革命をもたらすのか、そこはなんとも判断がつかない。ただ、ここにきてMMTが注目されている、もっと言うと、ある程度MMTの考え方を導入せずにはいられない、という先進国の実情は推察できる。高齢化待ったなしの日本を筆頭に、欧米諸国も、政府債務を「健全な」水準に引き下げる見通しは全くと言っていいほど立っていない。そして、コロナがそれにとどめを刺した。どう楽天的に見積もっても、今後数十年で各国の財政が均衡に向かうシナリオは描けない。だとしたら、部分的にでも、MMTの考え方を引っ張り出して来ずにはいられないだろう。

一番恐ろしいのは、MMTの概念が、(提唱者たちは否定しようとも)その左派的な理念を抜きにして、換骨奪胎して利用されることだ。著者が本書で主張したような、現状の格差を是正するためのあらゆる改革(就業保証プログラムや税金の仕組みや福利厚生制度の充実や環境やインフラへの投資促進など)を伴わずに、「財源は自国通貨の発行によっていくらでも確保できる」と言う部分が一人歩きしてしまったら、空前絶後の格差を生んでしまう危険性もある。悲観的になり過ぎるのは良くないが、現実の制度改革には非常に時間も手間もかかるから、調整局面で、そのような事態、言ってみればMMTが悪用されるような事態、も生まれてくるかもしれない。

あと、個人的に期待しているのは、MMT的な発想と地域通貨的な発想がドッキングする可能性もあるかもしれない、と言うことだ。資本市場から切り離された利子のつかない地域マネーを給付する、と言った対応も今後考えられるかもしれない。この辺りは、今後、MMTだけでなく、信用貨幣論、貨幣とはそもそも何か、と言う問題について勉強しながら、もう少し考察を深めていきたい。

MMTが提示する問題はもう一つあって、それはインフレをどのようにコントロールするか、という問題である。本書が主張するように、インフレが政府債務や失業率を殆ど関係を持たないとすれば、適切な貨幣量はどのように見積もれば良いのか。それは、「妥当な」経済成長率とはどのくらいなのか(そもそもそんなものが設定可能だとしての話だが)、と言う問題にも直結する。トマ・ピケティ 『21世紀の資本』セドラチェク『善と悪の経済学』でも提起されている重要な問いかけである。

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