書評・小説 『オリーヴ・キタリッジの生活』 エリザベス・ストラウト


アメリカの女性作家エリザベス・ストラウトの連絡短編集。本作で2017年ピュリツァー賞を受賞した。

いやー、陰鬱極まりない小説であった。でも、後味は悪くない。不思議な読後感だ。

舞台は作者自身の出身地ポートランド。ポートランドといえば、近年では、オレゴン州の豊かな自然に恵まれて環境意識も高く、「全米一住みやすい街」とされている憧れの街だ。日本でも、「精神的豊かさのある美しい街」と言うイメージが強く、ファッションブランドの名前に使われたり、お洒落なサードウェーブの代名詞として知られている。しかし、この本のポートランドでの現実は、、、誰もがみんな傷を抱えて生きている。しかも、それは若さゆえの痛みではなく、生まれ落ちてから老いて死ぬまで、生きることそのものの逃れられない苦痛である。だからこそ、読んでいて陰鬱な気分になるのだ。

オリーヴ・キタリッジと言う、もう若くない中高年の女性が主人公だが、彼女を中心に物語が展開するのではなく、彼女の周りの人間が代わる代わる主人公になる。頑固でガサツな感じの全く魅力的でないタイプの女性オリーヴは、時にメインで、時にはほんのチョイ役で、全編に登場する。その視点の変わり方が面白い。

オリーブ・キタリッジの父親は自殺していて、教え子のケヴィンの母も自殺した。長年連れ添った夫のヘンリーは、密かに愛する別の女性を心の中に隠し持っているし、彼女自身にも秘めた恋がある。息子は軽い鬱病で、やっと結婚したと思ったら母親から逃れるように街を出て行ってしまう。母と息子との心からの和解が訪れる日は来ないし、老いらくの恋も実りは薄い。ポートランドで一見平和に過ごす人々も、長年連れ添った夫婦が裏切られ、熱心に育てた息子は殺人事件を起こし、ナイーヴな娘は拒食症と精神病で命を落とし、長年娘を苦しめた母は介護施設で虐待される。まあ、とにかく、平和の明日は永遠に来ない、と言う小説なんである。

もちろん人間にとって淋しさはたまらないものだ。いろいろな淋しさがあって、どうしても死にたくなることだってある。オリーヴは心の中で、お大きな破裂、小さな破裂、ということを考えていて、それで人生が決まるのだというのが持論である。“大きな破裂“とは結婚や子供のようなもの。そういう愛の関係があるから人間は沈まずにいられる。でも大きな破裂には、うっかりすると足を取られそうな底流もあって、だからこそ、“小さな破裂“も必要になる。たとえばディスカウントストアへ行ったら店員が親切だったとか、ダンキン・ドーナツの顔なじみのウェートレスがコーヒーの好みを心得ていてくれるとか。ちょっとした綾というか機微というか。

そう言えば、と思い出す日々がある。まだ人生の盛りだった中年の夫婦として、ヘンリーと手をつないで帰っていった。ああいう瞬間には、静かな幸福を味わうという知恵が働いただろうか。おそらく、わかっていなかった。たいていの人間は、人生の途中では、今生きているということがわからない。だが、いまのオリーヴには、何かしら健康な、純粋な、記憶として残っているものがある。あんなサッカー場の瞬間が、オリーヴの人生にあった最も純粋なものかもしれない。そのほかに純粋とは言いがたい記憶も多々あるということだ。

この小説を読んでいると、人の人生の中で、何が本当に確かなものなのか、かけがえのない美しいものなのか、どうにも自信が持てなくなってきて不安な気持ちにさせられる。オリーヴが言う“大きな破裂“は、大きすぎてものすごい深みに引き摺り込まれてしまうリスクが大きい。或いは、“大きな破裂“なんてものが、そもそも本当は幻想だったのかもしれない、と言う不安。もし、本当にかけがえのない美しいものは、その瞬間には自分たちには絶対に分からなくて、失われてから初めて輝くもの、人は必ずそれを失ってから輝きに気づくのだとしたら、私たちは、この陰鬱な人生をどうやってやり過ごせば良いのだろう。

だけど、この小説を読んで感じるのは「絶望」ではない。オリーヴ・キタリッジは確かに意固地で頑固でガサツで、ひねくれてもいるし、心に傷も抱えている、全く「愛すべき」ヒロインではないけれど、何故か彼女には不思議な力強さと温かさがある。

冒頭で述べたように、本作品はピュリツァー賞を受賞している。何度か書いている通り、ピュリツァー賞は「アメリカとは何か」「アメリカらしさ」を描いた作品が多い。これが今の「アメリカらしさ」だとしたら、中々に行き詰まってる感溢れている。映画『ボーダーライン』を観た時に感じた行き詰まり感と、種類は違うが、出口が見えない感じは似ている。正義も、人生の希望も不確かだとしたら、今のアメリカ人は一体何を見つめて生きていくのだろう。そんなの、アメリカに限ったことではないけれど。

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