書評・小説 『終わった人』内館牧子


いやー、なかなか面白かった。有名な脚本家の内館牧子さんの「定年コメディ」。時勢を反映して大ヒットし、映画化もされた作品である。なんと言っても、山崎豊子さんもそうだが、「男社会を知り尽くした女性作家」が書く小説は面白い。男社会と男の本性をしっかり客観視して描き出しながらも、そこに批判精神だけでなくて「哀しいかな、されどそれが男」的な人情味が滲んでいる。

大手銀行の出世コースから子会社に転籍させられ、そのまま定年を迎えた男性が主人公。仕事と出世への意欲を燻らせたままの主人公は中々「終わった人」の現実を受け入れられない。職安の紹介で零細企業の面接を受けて落とされたり、スポーツジムに通ってじじばば達のはしゃぎっぷりに眉を顰めたり、カルチャースクールの文学講義を受けて大学院受験を思い立ったり、と悪戦苦闘。そんな中、突然、通っているスポーツジムの知り合いであるベンチャー企業の若社長から顧問に雇いたいというオファーを受ける。ここで一花咲かせたいと張り切って受けたのも束の間、若社長が急逝し、なんと主人公は社長の役を引き受けることに。しかし、急成長していたベンチャー企業は、新興国の大型発注が失敗したことで、あっという間に倒産の危機に瀕してしまう。万策尽きた主人公は、社長としての責任を全うし、退職金含めた自分のほぼ全財産を差し出し、会社を清算する。小さいながらも自分の美容室を起業し、安定的な将来を計画していた妻は大激怒。主人公は、結局、妻と「卒婚」し、老いた母が住む岩手の故郷に単身帰ることを決意する。

さすが脚本家、多少無理があっても、波乱万丈なストーリーに読者をぐいぐいと引っ張っていく。

よくよく考えれば、これはかなり奇想天外なおとぎ話で、ツッコミどころはいっぱいある。まず何よりも、主人公の田代壮介。東大法学部卒の都銀エリートという彼が、退職後にベンチャー企業の顧問や社長に就任できるほど「使える」確率は残念ながらゼロに等しい。正直、このような経歴の人はほとんどが銀行を一歩出たら全く使えない。東大卒、金融機関に10年勤めて、実家が3代銀行員(地銀だけど)の私が言うのだから、間違いない(笑)それは、能力や努力の問題ではなくて、歩んできたキャリアがそうさせるのだ。それから、こんなに男気があって潔い人物であることも稀だろう。まあ、この性格が災いして、出世コースから外れた、ということはあるかも知れないけど。

ベンチャー企業の顧問に雇われる、というところはどう考えても無理がある。一応、「東大法卒、たちばな銀行本部のキャリア」を見込んだ、「信用」になるからだ、というが、こんなのは新興のベンチャー企業にとっては何の得にもならない。事実、倒産の危機にあっても、定年退職した壮介は、どこの金融機関からも資金を引っ張ってこられないではないか。私は、このベンチャー企業の若社長が接近してくるところは絶対にあり得ないから、何かの詐欺に違いない、と思い込んでいたので、主人公が社長を引き受けるにあたっては「おいおい」と口に出して突っ込んでしまった。

他にも、そもそも、こんな典型的なエリートサラリーマン家庭にしては、家付お嬢様の妻が妙にサッパリとして精神的にも社会的にも独立しているところや、さらには輪をかけてお嬢様育ちのはずの一人娘がやたらと賢くて現実的なのも、腑に落ちない。しかしまあ、それもそれでまあ仕方ないか、と思えてくるくらい、主人公を初めキャラクターが魅力的に生き生きと描かれているし、ストーリーに無理がある反面、部分部分のリアリティが面白いのだ。

主人公がエリート意識と「終わりたくない」感を顕にして、まるで若者のような「自分探し」的右往左往をする様子も笑えるし、カルチャーセンターで知り合った30代の女性千里との、中年男性にありがちな前のめりで独りよがりな恋愛ごっこも面白い。何より、定年退職後のエリートサラリーマンの哀しい一人相撲の数々。退職した途端にパッタリと途絶えるお中元、今まで会社の金で飲みに来ていたクラブに無理やり部下に連れて来させる輩(無論、自分の金で飲む気概は無いから)、、、なんと言っても、中堅商社の社長のお祝いパーティーに呼ばれてもいないのに潜り込んで主人公が迷惑顔をされるシーン、そこで乾杯の挨拶を任された「元副社長」のサイコーにつまらない自慢話満載のスピーチなど、噴飯ものである。

個人的には、東大卒キャリアに対する著者の冷静な分析も光っていて面白い。ハローワークで紹介された零細企業の正社員面接で、社長から「東大法学部出の人に興味があっただけ」「経歴が立派過ぎて、雇ったら前科を疑われる」などと言われ撃沈、帰ると妻からは《でしょうねえ、特技のない東大卒ほど始末に負えないもの、ないよね》と言われる。

俺もこうなったかと思った。東大出身者には、なぜか「一応」をつけるヤツがいるのだ。「一応、東大です」とか「一応、法科です」とか言う。中には、「一応、赤門です」と答えるヤツもいた。

この「一応」は嫌らしいエリート意識の表われだろう。他大学では聞いたことがないが、「一応、医学部です」と言った私大の学生はいた。

俺は今まで「一応」をつけるヤツを嫌らしいと思っていたのに、この期に及んで「一応、法科です」ときた。

俺などやることもなく、やれることもなく、東大法科であろうとなかろうと、人の末路は大差ないと実感している。そんな今、初めて、つい「一応」をつけてしまった。エリート意識の無残な発露だ。

この「一応」問題など、正直、ぐうの音もでない東大卒、多いのではないだろうか。

今にして思えば、患ったり死んだりしないだけ幸運だった。会社は個人の献身に報いてくれるところではない。

サラリーマンは身を粉にしても、辞めれば何も残らないのだ。

俺の東大の同期に、最優秀の成績で官僚になった男がいた。将来を嘱望されていたが、病に倒れた。

それが官庁の多忙やストレスなどのせいかどうかは、俺にはわからない。だが闘病が長引き、彼は退職した。四十代だったはずだ。

妻が届けた辞表はあっさり受理され、それっきりだと聞いた。

組織とは、そういう所なのだ。今の俺ならハッキリと言える。

設定やストーリー展開に多少無理はあっても、要所要所のリアリティとキャラクターがしっかりしていれば、それは快い「仕掛け」になる。細部にリアリティがあるのに、肝心なところでリアリティが感じられず感情移入できない、という現代人気小説にありがちな問題を、柚木麻子さんの『BUTTER』の記事で指摘したけれども、この小説では主人公やキャラクターの外部がリアルでないことは、ただの「仕掛け」だから、それは読者の感情移入を妨げるものではない(ちょっと興ざめ感はあったとしても笑)。内館さんはそのあたり、脚本家として十分分かった上でやっているんだろうなあ、と思う。

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