書評 『ヴェネツィアのパトロネージ』 ローナ・ゴッフェン


イタリア・ルネサンス美術の大家であるローナ・ゴッフェンの処女作で、副題は「ベッリーニ、ティツィアーノの絵画とフランチェスコ修道会」。ヴェネツィアのサンタ・マリア・グロリオーザ・デ・フラーリ聖堂、及びその聖堂に掲げられているベッリーニの【三連祭壇画】、ティツィアーノの【聖母被昇天】と【聖母】さらに現在ヴェネツィアのアカデミア美術館所蔵のティツィアーノの【ピエタ】について、パトロンであるフランチェスコ会とヴェネツィア支配階級の影響、という点から論じたものだ。

本書で筆者のローナ・ゴッフェンが主張している最大の論点は、これらの作品がフランチェスコ会並びにヴェネツィア支配階級といったパトロンたちによる「マリアの無原罪懐胎」信仰を反映したものである、というところだ。この「マリアの無原罪懐胎」というのが、キリスト教に馴染みのない私には中々ピンとこなかったのだが、聖母はキリストと共に(唯一無二ではなく唯二無三の)無原罪の存在である、という信仰である。

これは決してキリスト教にとっては当たり前の信仰ではなく、《カトリック信仰のもっとも根本的かつ深遠な争点について論じるもので、何世紀にもわたって神学上の議題であり続けた》。

聖トマス・アクィナスは、人は皆キリストを介して現在から救われなければならない、と説いた。(略)一人の人間として、必然的に聖母もまたキリストによる贖罪を必要とした。なぜなら、そのことを否定した場合、キリストの贖罪行為には限界が定められてしまうことになるからである。

こういったドメニコ会の主張に対し、フランチェスコ会は、マリアは《キリストが贖罪行為をなす以前にすでに救済されていた》のであり、《原罪は彼女を汚していない》、と主張した。《無原罪懐胎の偉大な擁護者は、ほとんどでないにせよ多くがフランチェスコ会士出会った》。そして、こうしたマリアの無原罪懐胎への信仰が、「被昇天の聖母」あるいは「勝利の聖母」あるいは「知恵の座のマリア」といったイメージと強く結びついている、と著者は主張している。

フランチェスコ会の神学者たちは以下のように論じていたのである。マリアは自分があらかじめ運命づけられていた、キリストの母としての役目を果たすためにキリストによる贖罪を確かに必要としており、その贖罪を、自分が懐胎される前にもかかわらず既に受けていた。そして、マリアが死んだとすれば、それはその必要があったからではなく、彼女自らだそう望んだからであり、また彼女が「罪の報い」を受けているからではなく、息子と苦しみを共有するためである、と。

興味深いのは、神学上のこの問題の是非よりも、こういった信仰上の主張が美術作品の図像に大きな影響を及ぼしている点だ。ベッリーニの【三連祭壇画】における、マリアの「知恵の座」を暗示する高い台座や聖ベネディクトゥスのもつ『ベン・シラの知恵』といったイメージは、無原罪の聖母信仰を示すものだ、と著者は言う。特に、ティツィアーノの【聖母被昇天】における、バロックを先取りするような躍動感は、確かに「マリアの無原罪」から導かれる上昇感や勝利感のイメージが大きく影響しているのかもしれない、と思った。

著者は、ドメニコ派修道院にある同じ「聖母被昇天」の題材を扱った作品として、フィリッポ・リッピやギルダンライオの作品、あるいは同じティツィアーノでもフランチェスコ会ではないヴェローナ大聖堂の【聖母被昇天】を取り上げ、《マリアが天国に受け入れられるという点ではなく、彼女が地上から去るという点を強調した》と述べている。確かに、フラーリ大聖堂の【聖母被昇天】には、類まれな上昇性というのか、被昇天による彼女の「勝利」を暗示する「glorious」感に満ちている。

フランチェスコ会がなぜ伝統的に「マリアの無原罪」を主張するようになったのか定かではないが、元々聖フランチェスコが「聖痕」を拝受した奇跡から、「磔刑のキリスト」への崇拝が強くなったことと関係があるかもしれない。

もう一つとても興味深かった点は、これらの論点を、「ヴェネツィアの聖母信仰」そのものと絡めて論じているところである。宮下規久朗の『美の都の一千年』で、ヴェネツィアが文化的にビザンティン帝国の影響を大きく受けていることが指摘されている。言うまでもなく、ビザンティンは「聖母信仰」が根強い文化圏である。本書でも、ゴッフェンは、ヴェネツィアがビザンティンから戦利品として持ち帰りサンマルコ大聖堂に掲げたイコン【ニコペイアの聖母】が、長らく《共和国の護符として》見なされ、聖母被昇天の祝日の行列で捧げ持たれ《ヴェネツィアでもっとも人々の崇敬を集める聖母像》であると述べている。

さらに興味深いのは、ヴェネツィアでは、「ヴェネツィアという国そのものの」の世俗的な擬人像が、「無原罪」の知恵高き勝利のマリアというイメージと結びついた、とされている点である。著者はこれらを示す例として、ヴェネツィアの総督宮殿にあるフィリッポ・カレンダーリオ作とされる獅子の玉座に座る女王の浮き彫りや、裁判所に飾られていたヤコペッロ・デル・フィオーレによる【三連祭壇画】のマリア像などを挙げている。知恵の座に座した勝利のマリアが、ヴェネツィア国とその正義の勝利そのものを暗示している。

聖母信仰というのは、歴史的に、地域を問わず、世俗的な民間信仰との結びつきが強かった。民間信仰を取り込みながら新しく勃興してきたフランチェスコ会、そして常にカトリック信仰から距離を置きながら、世俗的な栄華を誇りつつそれを帰着するイメージを模索してきたヴェネツィア、にとって、「聖母の無原罪」は無限の可能性を秘めた魅惑的なイメージだったのかもしれない。

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