「図書館 愛書家の楽園」 アルベルト・マングェル ③


「おわりに」での、マングェルの言葉は、「図書館」への彼の熱い想いを吐露したものになっている。

混乱の時代に、使徒ヨハネはこう語った。現世とこの世にあるものを愛してはいけない。なぜなら、「すべてこの世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たもの」だからである。この言葉は、どこから見ても矛盾している。人間が受け継いできた遺産、ささやかではあるが、驚くべき遺産は現世であり、この世だけなのである。この世の存在をたえず確認(そして証明)するために、私たちはこの世について語りつづける。人の理解がおよばない、不可解と混沌のうちにありながらも首尾一貫した何か、また、私たちもその一部をなす何か―――そのイメージのなかにこそ、人間とこの世界が作られているのではないかという問い。かつて爆発をへた宇宙と、宇宙の塵たる私たち人間には、言葉で表せない意味や秩序があるにちがいないという希望。私たちが読む本、そして、私たち自身が読まれる本としての世界、それを指し示す古い比喩を何度も語りなおすときに感じる喜び。人が現実から知りうるものは、言語で組み立てられた想像の産物ではないのだろうかという思い―――これらすべてが、図書館と呼ばれる人間の自画像のなかに具現化され、形をなしている。そして、人が書物に注ぐ愛、もっと多くの本を見たいという欲望、果てしない喜びを約束してくれる本がぎっしり詰まった書架のあいだを歩くとき、豊かな教養を秘めた書庫に対して感じる誇らしさは、何よりも胸を打つ瞬間であり、最高に幸福な所有の喜びを示している。人生には悲惨なことや悲哀があふれているが、この狂気の裏にはなんらかの道筋があるはずだという確信、嫉妬深い神々の意のままにはなるまいとする意志のなかに、私たちを慰め、救いとなってくれる力強い信念がこめられているのだ。

この文章は、人類の歴史に常に存在した理知と信仰との葛藤というテーマの、(前者に信頼を置く側の)ある種ステレオタイプな意見を語っているが、マングェルの本、図書館、そして人類の知への深い信頼と愛情が、文章全体に行き渡り、読むものの心にあたたかく潤いに満ちた何かを呼び覚ます力を持っている。

私は全くもって理知的な人間ではない暢気な人間なので、統一と多様の両極に心を引き裂かれることもなく、ホームを求めてさまようこともないわけだが・・・そして、このとりとめもない闇のような世界の中で人類の知に全身全霊をかけて期待したい、と願う切なる気持ちになることもあまり無いのだが・・・ただ、本を読む喜び、ひととき己と違う生を生き、ひととき人類の英知と遺産をこの手に収める喜び、殆ど純粋で肉体的な悦楽に近いような喜びは、確かにこれという手ごたえで感じることがでる。

最後に、怠け者読者の私にとって救いとなったヴァージニア・ウルフの言葉を引用。

学問好きの人間は、たった一人で机に向かい、目の前のことに集中し、熱中する。彼らは読書を通じてなんらかの真理を発見しようと努力し、そのことに全身全霊を捧げている。そんな人が読書の情熱にとらわれると、せっかく得たものがどんどん小さくなり、やがて指のあいだをすりぬけて消えてしまう。一方、読書好きの人間は、最初から、何かを学ぼうという欲求を抑えなければいけない。知識にこだわり、それを追求しようとすれば、読書も系統立ててしなければならず、専門家や権威にならなければいけない。そうすると、利害関係のない純粋な読書に向ける、より人間的な情熱がそがれてしまう。

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