エッセイ一覧

書評・エッセイ『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』 森下 典子

話題の書なので、今更ながら読んでみたのだが、素直に良い本でした。

森下典子さんの、シンプルでストレートな文章がとてもとても良い。「茶道」の心得とか精神とか、そんな堅苦しいことではなく、著者の「お茶」の経験と関わりを語ったエッセイなのだが、実はかなり奥深いところにも触れている。 続きを読む


書評・エッセイ 『またたび』 伊藤比呂美

軽いものが読みたいなあ、と思い、初めて伊藤比呂美のエッセイを読んでみた。始めは、ぷつぷつ切れて美しくない読みにくい文章だなーと思って、余り気乗りしないで読んでいたが、段々面白くなってきてしまい、最後の方は読み終わるのがもったいない、と思うほどに。

前夫の間にもうけた3人の娘と、ユダヤ系イギリス人の「つれあい」と、カリフォルニアで送る日々を綴ったものが、「食」という側面から、異文化や異国との接触、日本と日本人のアイデンティティとか、よく捉えられているそれから、そういうこむつかしいことを排して、異国の珍しい食べ物・料理から、日本人が骨の髄までうまさを知っている定番の食べ物・料理から、色々でてきて楽しい読み物だ。

私自身、著者のように摂食障害まではいっていないものの、20歳くらいまで、全ての野菜と果物が嫌い、という超偏食時代を経た後、段々食べる楽しみを覚え、食べられるもの、おいしいものがどんどん増えていき、今ではどちらかと言えば好き嫌いの少ない方&どちらかと言わなくても間違いなく食いしん坊なほどになっている。そして、私の「つれあい」が、またとてつもない食いしん坊なので、おいしいものを食べに行ったり、自分で料理もしてみたりして、どんどん食いしん坊になっている。ただ単に「食」のエッセイというだけでも十分に楽しめた。

でも、彼女の面白さは、そういう表面的なところにとどまらない。私は、どちらかと言えばフィクション好きで、エッセイを面白い、と思うようになったのは、大分大人になってからなので、エッセイの評価はいまいちよくわからないところがあが、とにかく、面白いエッセイを書く人、というのは、ものすごく場面や情景や、何と言うか「事実」の切り取り方が、鮮やかだと思う。ストレートで飾らない(時には稚拙と思えるほどの)言葉と文章の中に、ものすごい見事で、その人にしかできない切り口で、一瞬だけ、深い真理や人生の深層を浮かび上がらせてみせる、そういう技をもっているのが、すぐれたエッセイストなのではないかなーと。

そういう意味で、詩人が良きエッセイストになるのも頷けるのかも江國香織さんも、小説だけじゃなくエッセイもものすごく面白いのだが、彼女もちょっと、詩人めいた要素があると思う。短いだけに言葉に超敏感で、研ぎ澄まされた感覚の持ち主。俳句の世界に通ずるような。

アメリカで「カボチャとウリとヒョウタン」と「コヨーテ」を見たかった、という作者。「カラカラ鳴る闇」というものを見てみたいと思い、「ねっとり、もちもち、ほくほく」とか「つるん、ぷるぷる」とかした食べ物を恋焦がれる作者・・・そういう姿に、日本の風土や気候の本質やら、異文化との違いやらが、ぞくっとするくらいはっきりと浮かびあがる。ほんとに一瞬だけなんだけれど、見事で、「ああ、そうだ、そうだった」と、初めて自分が無意識に感じていたことに気付かされるような感じ良きエッセイで味わえるあの感じ。

それにしても、今日の夜ごはんは何を食べよう。トルティーヤをつくろうか、ネパール風カレーにしようか・・・と思いながら、ああ、でも、ほんとは作者のように、卵かけごはんが食べたいかも。


書評・エッセイ『世界ぐるっと朝食紀行』 西川 治

写真家、画家、そして料理研究家でもある西川治さんが、「朝食」をテーマに世界各地の旅の様子を記したエッセイ集。この方が世界各地と言えば、それは本当に世界各地。ヨーロッパやアメリカは勿論、トルコのバザール、モロッコの砂漠の民ノマドのテント、メキシコの市場、フィジーの原住民が住む村、タイの仏僧たちが寄進を持ち寄る寺、モンゴルの遊牧民たちのゲルなど、本当にあらとあらゆるところでの「朝食」の風景が描かれている。

自身が料理研究家として、何十冊もの料理本を手がけているだけあって、食事の描写も淡々としながらも必要なところは詳細まで描かれていて、食欲を刺激する。あっさりと書いてあるのだけれど、読んでいるうちに描写に引き込まれて、いつの間にか自分も、ベトナムの屋台でフォーを啜っていたり、ウィーンのカフェでクロワッサンを齧っている気分になる。

旦那が食いしん坊で、やたら映画や本の食事シーンにやたら敏感なので、最近私もそういう目で映画とか観るようになってしまったのが、普通の映画の中でも、ちょっとした食事シーンって案外多いものだ。やっぱり、人間の想像力を刺激するのに、五感に訴えかけるのってとても大事なことなんだと思う。誰にとっても卑近な「食べる」という行為を通じて、登場人物や情景に感情移入しやすくなる、という効果があるのではないだろうか。

だからこそ、旅のエッセイには、食べ物の描写は欠かせない存在。宗教的行事やら、儀式やら、街の風景、建物、衣裳、そういうものは幾ら語られても、中々実際に観たことが無かったり、バックグラウンドの知識が無かったりすると、ピンとこないもの。でも、食べ物だけは、誰だって、あんな風かな、こんな風かな、と容易に想像できて、そうやって想像することで、ちょっとだけその場に瞬間移動したような気持が味わえる。いや、そこまで創造力を逞しくできるのは、そもそも私が食いしん坊だからだけかもしれないが

42回分の朝食が掲載されていて、どれもそれぞれにおいしそうだし、興味深いが、特に印象深かったものを挙げろと言われれば、パリとスコットランドの朝食。

パリでは、ホテルの部屋のベッドサイドに大きなプレートを載せて「彼女=今のカミさん」と、ミルクたっぷりのカフェオレクロワッサンをびしょびしょに浸して食べてから、今日はどこへ行こうかと、ベッドに戻ってうつらうつらしながら考える、そんな冬の朝の情景が素敵だ。

スコットランドでは、白夜の真夜中、スコッチを握って釣りに出かけ、震え上がって明け方にホテルに帰り、釣ってきたトラウトを焼いてハーブ入りの焦がしバターとレモンをかけて、朝から白ワインと一緒に頂く、というのがたまらなくおいしそう。

でもこうやって改めて書いてみれば、どちらも食べ物自体はなんてことないシロモノ。クロワッサンとに鱒、どちらも安いし、食べようと思えば日本でもすぐに食べられる。結局、食事というのは、食べ物ではなく、一緒に食べる人やシチュエーションによって、こんなにも魅力的なものに変化するのだ、と改めて当たり前なことを実感したワタクシでした。


書評・エッセイ『夢見つつ深く植えよ』 メイ・サートン

メイ・サートンの代表作。45歳を過ぎた著者が、初めてニューイングランドの古い屋敷と広大な敷地を手に入れ、新しい自分の住み家をつくりあげていく、静かだけれども躍動感のある活き活きとした日々。

どの章をとってみても、凛とした静謐な文章で、ニューイングランドの厳しい自然の中で孤独と追憶と瞑想と、新しい体験と創造に溢れた生活が綴られていて、読む者にとって誠に心地よい。

前回読んだ『独り居の日記』は、この夢見つつ深く植えよが余りに素晴らしく、メイ・サートンの人生までが完結してしまったかのように祭り上げられてしまったことに彼女自らが反抗し、敢えてその後の彼女の内面の葛藤や怒りを、誠実に書き起したものだった。

順番が違うのだけど、『独り居の日記』を先に読んでいたことによって、返ってこの夢見つつ深く植えよで綴られている時間の素晴らしさが際立ったような気がする。もしそれが無かったら、確かに少し美しいロマンティック過ぎる御伽噺的な感じがしてしまったかもしれないが、これだけ豊富で濃密な時間を過ごした後に、『独り居の日記』で綴られたような、苦悩や葛藤の時間がまたも訪れる、というところに、メイ・サートンの人生と創造への真摯な姿勢と奥深さが感じられるのだと思う。


書評・エッセイ『書斎の博物誌』 海野 弘

海野弘のエッセイ集。

海野弘は、アール・ヌーヴォー、1920年代、シネマ論など興味深いテーマが満載で、高校生の頃ハマってよく読んでいた。

そういう複合的なテーマを自由に軽やかにある種デカダンに論じるのが彼の魅力なんだけど、ちょっとその軽さやデカダンスが鼻につく感じもあり、長らく手にとっていなかった。

久しぶりに読んでみて、それなりに(昔よりは)積み重なった知識が、自由に広がって刺激されるのがとっても楽しかった。

雑誌掲載されたショートエッセイなどをまとめたものなので、テーマはそれこそ多岐に渡るのだが、繰り返し出てくるのは、プルースト、ヴィスコンティ、文学と映画の違い、ヘミングウェイ、書斎や書机や絵画の中に表現される書物などの歴史を辿ることで見えてくる「エクリチュール=書くこと」の変化、などなど。

1920年代のパリをキーワードに、ヘミングウェイやピカソやコクトーが繋がっていくのはいつ読んでもワクワクする。

シネマ論や書斎論で出てくるインテリア解説もまた面白い。

と思ったら、突然ディケンズ論や日本近世の俳諧や商人ネットワークについての興味が出てきたりする。

浅いところをたゆたっているようで、深い知識や教養が底を流れているが分かる。ゆらゆらしていると、深い流れがあることに気づかされてハッとしたりする、そこから自由に想像力と知識が繋がっていく。色々勉強してみて、それからまた戻ってきても楽しい、そんな本である。