哲学一覧

クリスティーナ女王

スウェーデン女王クリスティーナ。本名はクリスティーナ・フォン・シュヴェーデン(後に改宗してクリスティーナ・アレクサンドラ)。1626年ヴァーサ朝スウェーデン王のグスタフ・アドルフの子として生まれ、父王の死後、わずか6歳で即位。 続きを読む


書評・小説『風の歌を聴け』 村上春樹

言わずと知れた村上春樹のデビュー作である。

村上春樹の小説は一通り読んでいるので、こちらも10年以上前に読んでいるはずだが、それほど印象に残っていなかった。佐渡島庸平さんがWe are lonely, but not aloneの巻末に色々お薦めの図書を紹介していて、その中《最も繰り返し読んだ作品。村上春樹作品の中で、この処女作が最も好き。削れる一文を探そうとして読み返しても、どの一文も呼応し合っていて、どれも削れない。完成度がすごく高い小説だと思う。》と大絶賛していて、再読しようかなあ、と少し前から気になっていた。 続きを読む


書評 『デカルト、コルネーユ、スウェーデン女王クリスティナ』 エルンスト・カッシーラー

ユダヤ系ドイツ人のエルンスト・カッシーラーが、ナチス政権中の亡命先スウェーデンで上梓した『デカルトー学説、人格、影響』からの抄訳フランス語版を全訳したものである。クリスティナ女王への興味から手にとったのだが、とても示唆に富む面白い本だ。 続きを読む


【書評】【哲学】『反哲学入門』 木田 元

やっと出会えた!という感じの一冊。

昔から外国文学が好きなので、勢い、哲学への興味は湧いてくる。だから、高校生の頃から試行錯誤を繰り返してきた。まずは古典から!とプラトンの国家饗宴或いはカントの純粋理性批判に挑戦するも、ものの数ページで挫折、それでは体系的な知識をつけてから!と、クラウス・リーゼンフーバーの西洋古代・中世哲学史を読み始めたものの、中盤の新プラトン主義あたりで、意味不明なまま字面を追い続けることに耐えきれなくなりそっと本を閉じる・・・もう、自分のような情緒一辺倒の人間には哲学の理解は到底無理、と完全に不貞腐れていたのだが・・・

何気なく書店で買って読み始めたこの本の冒頭から驚かされた

《よく、日本には哲学がないからだめだ、といったふうなことを言う人がいますね。しかし、わたしは、日本に西欧流のいわゆる「哲学」がなかったことは、とてもいいことだと思っています。》

哲学の名誉教授で権威でもある木田先生のこの大胆なオコトバ。木田先生は、ただ哲学を否定しているのではない。そうではなくて、哲学というものがいかに西洋固有の文化・思考様式に基づいたものであって、本質的に相容れない日本人が理解し辛いか、ということを具体的に説明してくれるのである。だから、ものすごくわかりやすい。

中でも最も特異なことは、「存在するものの全体がなにか」と(わざわざ)問うて答えるような思考様式であり、しかも、その際に、なんらかの「超自然的原理」を設定する、という点。この「超自然的原理」が「イデア」(プラトン)とか「純粋形相」(アリストテレス)とか「神」(キリスト教神学)とか「理性」(デカルト、カント)とか「精神」(ヘーゲル)とか呼ばれる、というのだ。

《しかし、われわれ日本人の思考の領域には、そんな超自然的原理なんてものはありませんから、そうした思考様式は、つまり哲学はなかったわけであり、われわれにとってはそれが当然なのです。ですから、自分のもってもいないものをもっているふりする必要などまったくなかったのです。》

これで、長年のモヤモヤがすっと吹っ飛んだ。

第一章だけで読む価値のある本だが、そうやって日本人が陥りやすい哲学上の理解の誤謬をきちんと整理した上で、哲学というのはいかに根深く西洋の思考回路の基盤になっているかということを、宗教・数学・物理学・芸術・経済学などとの密接な関わりを示しながら歴史的に語ってくれる。本当にこんなすごい本が文庫594円で買えてしまって良いのだろうか。。。

本書の解説で、文芸評論家の三浦雅士氏が「もしも十代のときにこの本に出会っていたら、こちらの人生も違っていただろうと思う。若い時期にこの本に出会える人がまったく羨ましいか限りです。」と述べているが、まさにその通り。木田先生、もっと早く教えてくだされば・・・と私も言いたい。でも、まだ遅くない。これで、長年の哲学に対する劣等感もだいぶ払拭された気がするので、これからはカントもヘーゲルもこわくない!と思いたい・・・が、多分、それは気のせい()


『複製技術時代の芸術』ヴァルター・ベンヤミン

20世紀ドイツの思想家ベンヤミンのエッセイ4話を収録。ベンヤミンと本書の名前については、白川昌夫の名著『美術、市場、地域通貨をめぐって』で何度か触れられており、興味を持った。

ベンヤミンはマルクス主義者なのでファシズムやソビエトの政治などについての言及も多く、美術論というよりも哲学論。ここ数年、社会史や経済史の本を読んでは、マルクス主義に行き当たり、マルクスを知ろうとすればヘーゲルやカントまで遡らなくてはならなくて、読みやすい新書や哲学史の本などでお茶を濁すと、また同じ問題に行き当たる、というのを繰り返している。本の薄さで『共産党宣言』までは手を出したものの、さすがに『資本論』に挑戦する気概もなくて、マルクスの周りをぐるぐる回っている感じ。しかし、昼間に主婦がスタバで読むには、ブックカバー必須の本ではある(笑)

それはさておき、ベンヤミンの本書は、解説者のあとがきによれば、《晦渋難解をきわめる(ベンヤミンの文章の中では)比較的平易に書かれている》らしいが、哲学苦手な私にとっては十分難解。映画が新しい映像化芸術として論じられているあたりは、随分古い感じもするが、これからの芸術の方向性を示唆する部分も多い。

印象的だった点1.

芸術論でよく言及される「アウラ」の概念。

ここで失われてゆくものをアウラというのを概念でとらえ、複製技術のすすんだ時代のなかでほろびてゆくものは作品のもつアウラである、といいかえてもよい。(P15)

アウラの定義は、どんなに近距離にあっても近づくことのできないユニークな現象、ということである。(P17)

芸術作品の一回性とは、芸術作品が伝統とのふかいかかわりのなかから抜けきれないということである。(P18)

大衆が芸術作品の複製技術を得ることによって、芸術作品の礼拝的価値ではなく展示的価値に重きが置かれるようになる。

印象的だった点2.

大衆の芸術作品への関与の仕方

このようにだれでも、事情によっては、芸術作品のなかに顔を出すことができるのである。…読者はつねに執筆者になりうるのである。…ソヴィエトでは、事実、労働そのものが発言しはじめている。(P32)

芸術におけるアウラの消滅と大衆の参与。ベンヤミンのエッセイは、そこからファシズム芸術の弾劾に繋がっていくが、現代はどうか。ベンヤミンがこれを書いた頃とは比較にならないほどに、芸術の複製と再現性とそして大衆の参与が進んだ現代。実は答えはまだ出ていないのではないだろうか。