本屋一覧

書評・エッセイ 『太宰婚 古本カフェ フォスフォレッセンスの開業物語』 駄場みゆき

新しい本屋のかたちに興味があって、大井実『ローカルブックストアである 福岡ブックスキューブリック』や辻山良雄『本屋、はじめました』などの本を読んでいるが、こちらは新刊本屋ではなく、東京・三鷹で古本屋+カフェの形態で開業した駄馬みゆきさんのエッセイである。

タイトルの「太宰婚」とは、太宰治好きが縁となり、桜桃忌に開催された太宰治関連ブログのオフ会で、太宰治の墓前で現在の伴侶に出会ったという著者のエピソードを元にしている。店名の「フォスフォレッセンス」も、太宰治の短編小説に由来しており、開業ストーリーというより、全編に著者の太宰治愛エピソードが溢れた、個人的エッセイという感じである。

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『本屋、はじめました』 辻山 良雄

最近、本をめぐる新しい仕事のカタチというものに興味があって、この手の本をぽつぽつ読みはじめている。

先日読んだ『ローカル・ブックストアである福岡ブックスキューブリック』に引き続き、東京・荻窪に小さな新刊書店「Title」を開業した辻山良雄さんの本。前者に比べて、より具体的な開業記録、ノウハウについての本である。

こういう独立系の小さな本屋が増えていて、面白そうだなあ、とは思うのだが、実際、ビジネス的にやっていけるのか、というのはかなり疑問が残る。私自身、紙媒体の本へのこだわりは、ここ10年くらいで殆ど無くなってしまったし、本屋に足を運ぶことをめっきり少なくなった。ホリエモンは、今ある形態の本屋なんて殆ど要らなくなる、とバッサリだけど、電子書籍やオンライン書店などの圧倒的な便利さの前には、色々工夫してもバーチャル本屋が必要とされる余白は小さい。本屋擁護派が主張しがちな「本の出会いの場」的必要性だって、こういうSNSだとか、数ある書評サイトなんかの便利さの前ではやはり色褪せて見える。しかも、この手の分野はこれからもまだまだグレードアップしていくだろうから。

まあ、そんな現実は著者も見据えていて、Twitterやブログでの情報発信はもちろん、イベントをしたり、ブックセレクション(色々な店舗で置く本を選んで発注する)をしたり、WEB SHOPをしたり、と色々な工夫をしていて、≪それがどういう内容であれ、これからもずっと本にかかわる仕事をしていくのだ≫、≪本に関するプロになりたいという意味も込めて本屋と書いています≫と言っている。

実店舗の本屋としては、地域に根付いたコミュニティスペースとか、雑貨屋さんやカフェ的スペースとかの位置付けもあるだろうが、商業的にある程度独立してやっていく規模は中々難しそうでもある。

難しいなあ、とは思いつつも、本好きとしては興味を惹かれるので、今日は小雨の中、久しぶりに書店巡りしてみようかなぁ、などと思っている。


『赤頭巾ちゃん気をつけて』 庄司薫

この本は、『ローカルブックストアである福岡ブックスキューブリック』で大井実さんが取り上げていて興味を持った。初版昭和44年という相当に古い本だが、当時は若手作家が芥川賞受賞し三島由紀夫も絶賛、村上春樹のように一斉を風靡したのだと言う。私はタイトルも作家も聞いたことがなかったのだが、大井実さんが「いつか庄司薫さんを招いてイベントをやりたい」と言うほど熱を入れて紹介していたので気になっていたところ、たまたま近所の古本屋で発売当時の古書を見つけ買ってみた次第。

結論としてはすごく面白くて一気読み。

何しろ重要な設定の一つが学園紛争真っ只中で東大受験が中止された年、ということで、とにかく時代が古い古い、大井実さんも『当時の社会情勢や風俗がわからない人からは、「どこが面白いの?」という感想をもたれたりする』と言っていたが、そこは読み始めちょっとハードルが高かった。女の子が「ケーコートー」というのが、蛍光灯がつきにくいことからきた「鈍い」というような意味だなんて、ググらなければ絶対分からないし(同じようにググっている人が多いのですぐ見つけられたが)、蛍光灯がつきにくいって感覚自体が、昭和生まれの私でもギリギリな感じである(笑)

天下の日比谷高校から当然東大に進むはずの少年薫くんが主人公なのだが、ゲバルト支持はもちろん、カフカはいいけどデュマやシェイクスピアなんて、と語ることが「イケてる」高校生だった時代なんて、中々私たち世代には理解が難しい。とにかく薫くんの周りでは古典文学やら哲学やらがやたら引き合いにだされるが、こんな男子が共感を読んだ時代は遥か彼方である。ちょっと前なら私もお付き合いするのがめんどくさくなって読むのをやめてしまったと思うのだが、今は息子もいる歳なので「オトコはかわいいなあ」と思える心境で読み進められた。

そのあたりの世代ギャップを乗り越えられれば、そこには若さゆえの普遍の性の悩みあり、恋愛あり、ヒロイズムあり、そして何より生きることと社会全般の欺瞞に苦しむ思索の跡があって、中々に面白い。最後の大円団も温かみがあって、終始「やっぱりオトコってのはかわいいぢゃないか」というおばちゃん的満足感が残った。

それにしても、こういう真摯な(紳士なと言ってもいいかもしれない)知的エリート層というものが、遥か昔には存在したんだなあ、というのも感慨深い。主人公は繰り返し、そういうエリートっぽさを呪うわけだが、そもそも知性や教養が世を救い人を救う、ということ自体に疑問符がついている(あるいはそういう風潮である)現代では化石ほどに貴重な存在ではないだろうか…

これぐらいの年頃の男の子を題材にしているのって、あんまり読んだことがないけれど、この本に少し遅れて村上春樹があり、田中康夫の『なんとなくクリスタル』があるんだよなあ、と思うと、今はなんだろう…などとあれこれ考えてみるのもまた楽しい。