キリスト教一覧

クリスティーナ女王

スウェーデン女王クリスティーナ。本名はクリスティーナ・フォン・シュヴェーデン(後に改宗してクリスティーナ・アレクサンドラ)。1626年ヴァーサ朝スウェーデン王のグスタフ・アドルフの子として生まれ、父王の死後、わずか6歳で即位。 続きを読む


書評 『デカルト、コルネーユ、スウェーデン女王クリスティナ』 エルンスト・カッシーラー

ユダヤ系ドイツ人のエルンスト・カッシーラーが、ナチス政権中の亡命先スウェーデンで上梓した『デカルトー学説、人格、影響』からの抄訳フランス語版を全訳したものである。クリスティナ女王への興味から手にとったのだが、とても示唆に富む面白い本だ。 続きを読む


書評・小説 『真珠の耳飾りの少女』 トレイシー・シュバリエ

昨年から日本最大のフェルメール展が上野の森美術館、そして現在では大阪市立美術館で開催され大きな話題になっているが、この作品は、ヨハネス・フェルメールの超有名な「真珠の耳飾りの少女」の誕生秘話を綴ったフィクションである。2003年にスカーレット・ヨハンソン主演で映画化された。

画家フェルメールの家に女中として住みこみを始めた一人の少女が主人公。少女はフェルメールの意地悪な妻や娘に怯えて暮らしながら、陰ながら彼を慕い、やがて彼の絵の手伝いを任されるようになり、少女から女性へと開花していく・・・彼のストーリーは勿論、全て作者の想像なのだけど、フェルメールが生きていた時代や場面の再現はとてもリアリティに溢れていて、そこに、謎めいたこの魅力的な作品の生まれるまでが、作品と同じように静謐にでも官能的に描かれている。

恥ずかしながら、フェルメールが当時のオランダ人には珍しくカトリック教徒であることを、この作品を読んで初めて知った。それまでは、フェルメールの描く布や石などマテリアルの圧倒的な質感が、オランダ商人たちのプロテスタント的文化の表れかな、なんて思っていたのだが。でも、それだけではないフェルメールの作品の魅力、神秘的な深い精神性みたいなものは、カトリック絵画的な要素から来ていたんだな、とこれを読んで納得した。

来日中のフェルメール作品を見に行きたいけれど、フェルメール人気が高過ぎて、7年前に国立西洋美術館開催された「フェルメール展」の激コミぶりに辟易して帰ってきた記憶がある・・・やっぱり、オランダの日差しが差し込む静謐な雰囲気の中で見たいなあ・・・って贅沢か。


書評・新書 『ギリシア悲劇 人間の深奥を見る』 丹下 和彦

これまた、インスタのフォロワーさんにご紹介いただいた本。海外文学にも芸術史にも興味があるくせに、古今東西を問わずその源流とも言うべき詩と演劇が苦手である。正直に言って良さが分からない。 続きを読む


『聖と俗 分断と架橋の美術史』宮下 規久朗

宗教美術の専門家である宮下規久朗氏の論文をまとめたもの。タイトルに惹かれてよんでみたのだが、予想以上に面白かった。

まずなんと言っても、バロック美術をカトリックのプロバガンダとして分析している点が興味深い。バロックというと、その豪放さから絶対王政との強い結びつきを連想してしまうのだが、元々は、宗教改革後弱体化するカトリック教義を広めるために、《バロック様式は何よりもローマ教皇たちの下で生み出されて世界中に波及したものである》という。

《画像の伝播の速さとその効力をイエズス会は布教に最大限に活用した》

このような映像的プロバガンダが効果的であったのは、聖書の言葉や解釈によって理論的に神に近づこうとするプロテスタントに対して、カトリックがいかに人間の感性や情動に直接訴えかけるような方法をとったか、ということを示している。

《イエズス会創始者イグナチウス・ロヨラによる『霊操』では、キリストが地上で行ったすべてのことは、神の神秘を啓示するためのものであり、キリストの生涯を、自ら観想によって体験すべきであるとした。聖なるイメージを瞑想することの有用性と、感情と想像力を奨励したこうした教義は、必然的に美術の役割を強化し、それを写実的で再現的な正確に方向付けることになる。》

サン・ピエトロ大聖堂とヴァティカン宮殿、或いはウルバヌス8世に代表されるような歴代教皇たち及びその親族たちのパラッツォを壮麗に飾り立てた壁画や彫刻たち。著者は「イリュージョニスティック」という言葉でその特色を言い表しているが、民衆に神と教皇の力を誇示し、或いは幻惑的な宗教的一体感や情熱を鼓舞することにかけて、カラヴァッジョやベルニーニらバロック美術家の右に出る者はいないだろう。

《カラヴァッジョの宗教画は、現実的でありながら、卑俗に陥らずに聖性を感じさせ、日常性ではなく超常的な奇蹟を見ている気にさせるものであった。》

カトリック=バロック芸術の文脈でなんと言っても印象的な作品は、ベルニーニの「聖女テレジアの法悦」である。高階秀爾は『芸術のパトロンたち』で、18世紀のフランス人旅行者がこの彫刻を見て「これが神の愛というものか、それなら私だってよく知っている」と皮肉ったという逸話を紹介してしているが、言い得て妙である。極度に高まった宗教的情熱と神キリストとの一体感は、もはや肉体的エクスタシーと同一視されてしまうほどに、生々しくエロティックだ。

宮下氏も、この「聖女テレジアの法悦」を「殉教の愉悦」の章で挙げているが、こちらは、聖セバスティアヌスと三島由紀夫との関わりを論じていて面白い。聖セバスティアヌス像に象徴される、宗教的情熱の極致とも言える殉教による死。それを愛好した三島由紀夫は、ただデカダンスな頽廃的な美意識以上に

《彼が生来抱いていた「死へのエロティックな衝動」や「流血への衝動」を具現化したものであり、・・・そこには、エロスとタナトスが結合し、肉体的な苦痛と霊的な愉悦が激しく交流するきわめてバロック的な美意識が見られるのである》

と結んでいる。

他にも、アンディ・ウォーホールとカトリック的イコンとの関係を論じた章、民間に伝わる絵馬、エクス・ヴォート、遺影などを奉納する風習を、民間信仰やイコンとの関わりから論じた章など、全て興味深い。特に後者については、著者の最愛の娘が早逝した後に書き下ろしたものであり、学術的な論文では敢えて踏み込まない「聖と俗」の隣接点を描いているという点で、非常に興味深いが痛々しくもある。