三島由紀夫一覧

書評・小説 『おかあさん疲れたよ』 田辺 聖子

田辺聖子さんが戦争を描いた小説があるというので、珍しいな、と興味が沸いて読んでみたが、ものすごく良かった。田辺聖子さんの大好きな引き出しがまた増えたなあ、という感じ。

あとがきで、著者は《「私の昭和」を書きたかった》と語っている。昭和史の中でも特に、「戦中派」と呼ばれる、太平洋戦争時代に生まれた世代をテーマに、彼らの戦後史を描いたものだ。中心となるのは、その「戦中派」世代である昭五とあぐり、そして少し遅れた「戦争を知らない世代」である昭五の妻、美未である。この3人、それぞれに、田辺聖子さん自身が生きていて、キャラクターがものすごく生き生きとしている。

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『聖と俗 分断と架橋の美術史』宮下 規久朗

宗教美術の専門家である宮下規久朗氏の論文をまとめたもの。タイトルに惹かれてよんでみたのだが、予想以上に面白かった。

まずなんと言っても、バロック美術をカトリックのプロバガンダとして分析している点が興味深い。バロックというと、その豪放さから絶対王政との強い結びつきを連想してしまうのだが、元々は、宗教改革後弱体化するカトリック教義を広めるために、《バロック様式は何よりもローマ教皇たちの下で生み出されて世界中に波及したものである》という。

《画像の伝播の速さとその効力をイエズス会は布教に最大限に活用した》

このような映像的プロバガンダが効果的であったのは、聖書の言葉や解釈によって理論的に神に近づこうとするプロテスタントに対して、カトリックがいかに人間の感性や情動に直接訴えかけるような方法をとったか、ということを示している。

《イエズス会創始者イグナチウス・ロヨラによる『霊操』では、キリストが地上で行ったすべてのことは、神の神秘を啓示するためのものであり、キリストの生涯を、自ら観想によって体験すべきであるとした。聖なるイメージを瞑想することの有用性と、感情と想像力を奨励したこうした教義は、必然的に美術の役割を強化し、それを写実的で再現的な正確に方向付けることになる。》

サン・ピエトロ大聖堂とヴァティカン宮殿、或いはウルバヌス8世に代表されるような歴代教皇たち及びその親族たちのパラッツォを壮麗に飾り立てた壁画や彫刻たち。著者は「イリュージョニスティック」という言葉でその特色を言い表しているが、民衆に神と教皇の力を誇示し、或いは幻惑的な宗教的一体感や情熱を鼓舞することにかけて、カラヴァッジョやベルニーニらバロック美術家の右に出る者はいないだろう。

《カラヴァッジョの宗教画は、現実的でありながら、卑俗に陥らずに聖性を感じさせ、日常性ではなく超常的な奇蹟を見ている気にさせるものであった。》

カトリック=バロック芸術の文脈でなんと言っても印象的な作品は、ベルニーニの「聖女テレジアの法悦」である。高階秀爾は『芸術のパトロンたち』で、18世紀のフランス人旅行者がこの彫刻を見て「これが神の愛というものか、それなら私だってよく知っている」と皮肉ったという逸話を紹介してしているが、言い得て妙である。極度に高まった宗教的情熱と神キリストとの一体感は、もはや肉体的エクスタシーと同一視されてしまうほどに、生々しくエロティックだ。

宮下氏も、この「聖女テレジアの法悦」を「殉教の愉悦」の章で挙げているが、こちらは、聖セバスティアヌスと三島由紀夫との関わりを論じていて面白い。聖セバスティアヌス像に象徴される、宗教的情熱の極致とも言える殉教による死。それを愛好した三島由紀夫は、ただデカダンスな頽廃的な美意識以上に

《彼が生来抱いていた「死へのエロティックな衝動」や「流血への衝動」を具現化したものであり、・・・そこには、エロスとタナトスが結合し、肉体的な苦痛と霊的な愉悦が激しく交流するきわめてバロック的な美意識が見られるのである》

と結んでいる。

他にも、アンディ・ウォーホールとカトリック的イコンとの関係を論じた章、民間に伝わる絵馬、エクス・ヴォート、遺影などを奉納する風習を、民間信仰やイコンとの関わりから論じた章など、全て興味深い。特に後者については、著者の最愛の娘が早逝した後に書き下ろしたものであり、学術的な論文では敢えて踏み込まない「聖と俗」の隣接点を描いているという点で、非常に興味深いが痛々しくもある。