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書評・小説『風の歌を聴け』 村上春樹

言わずと知れた村上春樹のデビュー作である。

村上春樹の小説は一通り読んでいるので、こちらも10年以上前に読んでいるはずだが、それほど印象に残っていなかった。佐渡島庸平さんがWe are lonely, but not aloneの巻末に色々お薦めの図書を紹介していて、その中《最も繰り返し読んだ作品。村上春樹作品の中で、この処女作が最も好き。削れる一文を探そうとして読み返しても、どの一文も呼応し合っていて、どれも削れない。完成度がすごく高い小説だと思う。》と大絶賛していて、再読しようかなあ、と少し前から気になっていた。 続きを読む



書評・小説 『なかなか暮れない夏の夕暮れ』 江國 香織

主人公は50代の男性、稔。実家は莫大な資産家で、親友の税理士大竹に言われるがままに財産管理をし、財団や親類との最低限の付き合いに顔を出し、利益にはならないソフトクリーム専門店の形ばかりの社長業をするほかは、本ばかり読んで暮らしている。同じく気ままにベルリンと日本を行ったり来たりして過ごしている写真家の姉の雀、元恋人の渚とその間に産まれた娘の波十など、彼の身の回りの人々をめぐる、全くもってドラマティックではない物語。タイトルのように、なかなか終わらない一夏。

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『すいかの匂い』 江國 香織

これも、夏が近づいてくると、なにげなく手にとってしまう類の本。

少女の夏の物語11篇。少女と言っても、10歳には届かない、本当に小さな子供くらいの年齢だ。昭和のノスタルジックな空気が溢れている。今回、読み直してみて、「おしろい花」と「枇杷の木」がよく出てくるなあ、と思った。どちらも、昔はそこらへんにあったのに、あまり見かけなくなった。

なんと言っても、五感のすみずみに届いてくる江國香織さんの文章が良い。

畳に置かれた大きなお盆にならべられたすいかにかぶりつくと、「だらだらとしるがたれ」て、ふと見るとお盆のすいかには真っ黒な蟻がたくさんたかっていてぎょっとする。「ぬかみその様な匂いのする台所」で「紙のカップに入った小さなバニラアイスを、木べらのようなスプーンですくっては口に運ぶ」ようす、壁いっぱいにくっついた小さなかたつむりをはがして長くつで踏んで歩くときの「しゃり、という刹那の、あの儚さ」、真夏の葬式から帰宅し、仄暗い八畳間の中で母が喪服をベンジンで拭くときの「揮発性の匂い、甘い頭痛」、団地のなかを通ると「よその家に入るとする匂いが、家の外まではみだして」いる。

情景だけでなく、味、匂い、肌触り、までが本当にありありと感じられる。文章と物語の力ってなんてすごいんだろう、と、なんだかヴァーチャルアトラクションでも体験したかのように思ってしまう。

このお話、わかる。たぶん、こんなにこれがわかるのは私だけじゃないのかな。僕だけじゃないのかな。・・・江國香織さんのファンは、江國さんの書く小説について、たぶん全員がそう思っているんじゃないろうか。じつは、私だって、そう思っている。

巻末の川上弘美さんの解説。江國香織さんの描く子供は、病気がちだったり神経質だったりいじめられっ子だったりが多い。私は、兄2人の末っ子で、こういうタイプの子供とは完全真逆、むしろ、そういう子達を槍玉にあげて苛めてやるくらいの少女版ジャイアンみたいな子供だったのに、それなのに、この物語を読んでいると、なぜだか「わかる」と思ってしまうのだから、やっぱりすごい。

子供の物語なのだけれど、あけっぴろげな無邪気さはなくて、どれもしんとして怖かったり切なかったりする。団地や田舎をモティーフに、貧しさ、病気、犯罪、精薄といったダークな部分が見え隠れする。(「はるかちゃん」で、幼女に性犯罪する青年の姿がさらっと描かれているあたりは、きょうび出版したらなにかと言われそうなくらいである)それなのに、不思議と暗く重たいだけにはならなくて、それをはねのける、いや、後ろに置いて進んでいくだけの強さがある。少女と夏の強さみたいなもの。

そういう夏から何十年も過ぎた。私はいつしかそういう夏から遠く隔たってしまい、今度は私の小さな娘がその入り口にいる。


書評・小説 『異人たちとの夏』 山田 太一

私にとって季節感と読書というのは結構大事で、特定の季節に特定の本を読みたくなる。特に夏を感じたい本というのはたくさんあって、先日記事を書いた池澤夏樹さんの『カイマナヒラの家』なんかもそうなのだが、シドニー・コレットの『青い夏』とか小川洋子さんの『ホテル・アイリス』とか、毎年のように読み返してしまう。この小説は、ちょっと違った感じの「夏」、私にしては珍しいちょっとホラーな「夏」を感じる本として、気に入っている本である。

『ふぞろいの林檎たち』など多くのヒットドラマを手掛けた脚本家山田太一さんが1983年に発表した小説で、第一回山本脩五郎作を受賞、映画化もされた名作である。離婚したばかりで仕事場のマンションに1人住み込むことになったシナリオライターの男性が、同じマンションに住んでいる不思議で魅力的な女性と知り合ったり、幼い頃交通事故で亡くなった両親と故郷の町で再会したりする一夏。

数年ぶりに読み返してみて、主人公の中年男の孤独と哀愁が、ぐっと胸に染みたのはさすがに自分が歳をとったからだと思う(笑)。中年男の脚本家が書いた、中年男のシナリオライターを主人公とした物語なのだから、その孤独と哀愁には自己憐憫と自己陶酔的なものが混じっていそうだが、それすら客観視するような一種のドライさと相反する人情味が両立していて、文章の歯切れもよく、読んでいる者を最後まで惹き付けて離さない。

P59

なんという生活をしているのだろう。次々と目前に現れる出来事に反応し、一時的に興奮し、しかしそれらは次々と遠くなり蓄積にはならず、また私は次々と新しい日に反応して成熟もなく、気がつくとおいさらばえているのだ。

P137

無論それは親が悪い。親としても亭主としても俺が悪い。なにもかも悪い。本気でそう思っているわけではないが、窓から夜景を見て、自分を黒く塗りつぶしていると、小さな快感があった。

全体として不思議な怪奇譚には違いないのだが、あんまりそういう感じをさせないでいて、物語の最後の最後で突然ヒヤっとホラーな展開になるところも好きである。そういう意味では起承転結がはっきりしたストーリーなのだが、大円団とならないところも憎い。うまくいかない息子と打ち解けるわけでも、幽霊となって(かなりお門違いな)恨みを晴らそうとしていたケイと和解するわけでも、主人公の孤独が去るわけでもない。ハッピーエンドではないのに温かみの残るラストである。

あと、歳くってからこの小説が面白いと思う理由はもう一つ、書かれた時代80年代感の漂う懐かしさである。主人公の業界の人たちのバブルっぽさ、主人公の住むマンションのオートロック機能をわざわざ詳細に説明していたり(当時は最新で珍しかったからだろう)、主人公が一人でレンタルビデオでエディ・マーフィーの新作を借りてきてビールを飲みながら見るところなど、なんとも言えず80年代でもはや新鮮でさえある。

調べてみたら、映画化作品の主人公役は風間杜夫、ヒロインの幽霊ケイ役は名取裕子と、これまた80年代を感じられそうなキャスティング。両親役片岡鶴太郎と秋吉久美子というのもぴったりでないか。あまり邦画に興味のない私でも観たくなる。そんな懐かしさで心を動かされているあたりが十分おばさんである。