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書評・小説 『なかなか暮れない夏の夕暮れ』 江國 香織

主人公は50代の男性、稔。実家は莫大な資産家で、親友の税理士大竹に言われるがままに財産管理をし、財団や親類との最低限の付き合いに顔を出し、利益にはならないソフトクリーム専門店の形ばかりの社長業をするほかは、本ばかり読んで暮らしている。同じく気ままにベルリンと日本を行ったり来たりして過ごしている写真家の姉の雀、元恋人の渚とその間に産まれた娘の波十など、彼の身の回りの人々をめぐる、全くもってドラマティックではない物語。タイトルのように、なかなか終わらない一夏。

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書評・エッセイ 『またたび』 伊藤比呂美

軽いものが読みたいなあ、と思い、初めて伊藤比呂美のエッセイを読んでみた。始めは、ぷつぷつ切れて美しくない読みにくい文章だなーと思って、余り気乗りしないで読んでいたが、段々面白くなってきてしまい、最後の方は読み終わるのがもったいない、と思うほどに。

前夫の間にもうけた3人の娘と、ユダヤ系イギリス人の「つれあい」と、カリフォルニアで送る日々を綴ったものが、「食」という側面から、異文化や異国との接触、日本と日本人のアイデンティティとか、よく捉えられているそれから、そういうこむつかしいことを排して、異国の珍しい食べ物・料理から、日本人が骨の髄までうまさを知っている定番の食べ物・料理から、色々でてきて楽しい読み物だ。

私自身、著者のように摂食障害まではいっていないものの、20歳くらいまで、全ての野菜と果物が嫌い、という超偏食時代を経た後、段々食べる楽しみを覚え、食べられるもの、おいしいものがどんどん増えていき、今ではどちらかと言えば好き嫌いの少ない方&どちらかと言わなくても間違いなく食いしん坊なほどになっている。そして、私の「つれあい」が、またとてつもない食いしん坊なので、おいしいものを食べに行ったり、自分で料理もしてみたりして、どんどん食いしん坊になっている。ただ単に「食」のエッセイというだけでも十分に楽しめた。

でも、彼女の面白さは、そういう表面的なところにとどまらない。私は、どちらかと言えばフィクション好きで、エッセイを面白い、と思うようになったのは、大分大人になってからなので、エッセイの評価はいまいちよくわからないところがあが、とにかく、面白いエッセイを書く人、というのは、ものすごく場面や情景や、何と言うか「事実」の切り取り方が、鮮やかだと思う。ストレートで飾らない(時には稚拙と思えるほどの)言葉と文章の中に、ものすごい見事で、その人にしかできない切り口で、一瞬だけ、深い真理や人生の深層を浮かび上がらせてみせる、そういう技をもっているのが、すぐれたエッセイストなのではないかなーと。

そういう意味で、詩人が良きエッセイストになるのも頷けるのかも江國香織さんも、小説だけじゃなくエッセイもものすごく面白いのだが、彼女もちょっと、詩人めいた要素があると思う。短いだけに言葉に超敏感で、研ぎ澄まされた感覚の持ち主。俳句の世界に通ずるような。

アメリカで「カボチャとウリとヒョウタン」と「コヨーテ」を見たかった、という作者。「カラカラ鳴る闇」というものを見てみたいと思い、「ねっとり、もちもち、ほくほく」とか「つるん、ぷるぷる」とかした食べ物を恋焦がれる作者・・・そういう姿に、日本の風土や気候の本質やら、異文化との違いやらが、ぞくっとするくらいはっきりと浮かびあがる。ほんとに一瞬だけなんだけれど、見事で、「ああ、そうだ、そうだった」と、初めて自分が無意識に感じていたことに気付かされるような感じ良きエッセイで味わえるあの感じ。

それにしても、今日の夜ごはんは何を食べよう。トルティーヤをつくろうか、ネパール風カレーにしようか・・・と思いながら、ああ、でも、ほんとは作者のように、卵かけごはんが食べたいかも。


書評・小説 『おめでとう』 川上 弘美

川上弘美の短編集。まず何より私がこの本が好きなのは「おいしそう」だからである。

「いまだ覚めず」で、のっけから主人公は列車の中でお土産に買った笹かまぼこを食べている。あんまり美味しくないくせに一袋食べてしまったので、駅前のお店で「半身のきんめ鯛をざっくりとざるに盛りあげたのを無造作に売っていたので、ひとつビニール袋に入れて」もらう。帰りにはタマヨさんと一緒に相模湾の生の蛸を食べさせるとお店に寄って、蛸を「むつむつ」噛む。「春の虫」でショウコさんがつくる、「赤飯のおむすび、蕗、さといも、海老フライ、つけもの数種類、ほうれん草のごまよごし、焼き豚、豆」が「きれいに詰められている」「豪華なおべんと」、温泉旅館で失恋話をしながらほたて貝のひもにわさびをつけて食べるところ、「夜の子供」で元彼のポケットから出てくる「いちごみるくキャンディ」ですら食べてみたくなる。

何気ない描写の中に、食べることを大事にする姿勢みたいのがあって、読む方は素直に食べるのを楽しみたい気分になる。江國香織さんの小説にもそういうところがあるけれど、江國さんの方は、もっときちんとしたオサレな食べ方をしないといけない感じがしてしまうのに対し、川上弘美さんの方は「コンビニ弁当でも美味しいよ」的気楽さがある。実際、「川」の中で恋人たちが川沿いで食べる、おでんにやきとり、山菜おこわにたこやき、といったコンビニグルメも十分美味しそうである。

全部のお話がどことなく(というか、時には吹き出してしまうほど)ユーモラスで、のんびりしていて、ちょっと寂しい。川上弘美ワールド全開の短編集。今流行りの「脱力系」と言われればそうなのだが、そこに繊細できりりとしたところもある。

いくつかのお話は、ちょっとレズっぽいお話だったり(「いまだ覚めず」「春の虫」)、不倫のお話だったりする(冬一日」「冷たいのが好き」)。

ちょっとだらしないところや弱いところのある登場人物たち。その弱さが暖かい哀感に変わっているところが川上弘美の小説のいちばん好きなところだ。哀感、というとちょっと強すぎるというか、悲しい感じがしてしまうけれど。

幼児2人の育児中で毎日ドタバタ、鬱陶しさはあれど寂しさとは無縁の生活で、旦那ともラブラブってわけではないけど特に不満もない生活の私なのに、なぜだか川上弘美ワールドの人たちがちょっぴり羨ましくなってしまう。なんだか「寂しさ」がとっても魅力的なものに見えてきてしまうから要注意の本なのだ。


書評・小説『カイマナヒラの家』 池澤 夏樹

大好きな本。小説と言っていいのか、芝田満之の素敵な写真と共に、池澤夏樹の趣ある文章で語られるショートストーリーの数々をまとめた、まるで詩集と写真集と小説の間にあるような本だ。

池澤夏樹は結構読んでいるのだが、長篇小説よりも、『きみが住む星』とかこの『カイマナヒラの家』みたいなジャンル特定が難しいような作品が一番好き。でもエッセイも良いし、『スティル・ライフ』みたいな短編小説も大好きだし、最近では世界文学全集でも日本文学全集でもお世話になっているし、とにかく多才で博識な方であり尊敬してやまない作家さんである。

舞台は、ハワイ・ホノルルのカイマナヒラ=ダイヤモンドヘッドのふもとにある古い一軒の家。そこに管理人として住み込んでいるロビンとジェニー、そしてハワイとサーフィンに取り憑かれて日本から暇をみては飛んで来る「ぼく」たちをめぐる物語。

たった1、2時間で読み終わってしまうくらい短い話なのだが、夏が近づいてくると読み返したくなる。ステキなステキな大人のお伽話。彼らが住んでいる家は、ハレクラニホテルも手がけた有名な建築家チャールズ・ディッキーが設計した古びてはいるが、クラシックな大邸宅。そこに、一時的な修繕と管理のために住むことになったロビンは、ハワイ原住民のエリート出身で、今はヴィンテージ・アロハの仕事をしていて、VWのマイクロバスとゴーギャンの絵の複製をコレクションしていて・・・と、色々出来過ぎではあるのだが(笑)、現実感なんてこのステキなお伽話の前では二の次である。初めて読んだ時は、たぶん、主人公たちより若いくらいの年代で、今回読んだのはもうその歳をだいぶ超えているから、自然と読後感は少々異なってくる。それでも、「いいオトナがこんな暮らしできるかいな」なーんて、羨ましさ半分しかめつらしたくなるオジサンオバサンの口を優しく封じてしまうような不思議な魅力がある。

「サーフィンに出会えたら、それでその人生はもう半分は成功なのよ」

ジェニーのこの言葉はずっと忘れられない。私はサーフィンはリゾート地で数回経験した程度だけど、サーフィンの魅力は、本当にうっかり人生を変えてしまうくらい奥深いものだと思った。

こういうことって、言葉じゃないんだよね。 言葉にならない。 水の上にいると何も考えない。・・・ イメージはきまっているんだ。 着実にやるだけなんだ。 そうなるまでに百回も千回もトライする。 千回やっても、相手は波と風だから千回ぜんぶ違う。 結局あらゆる条件を経験することになるのさ。そこでイメージが生まれる。

こちらは、ジェニーの恋人ミッキーがウインド・サーフィンについて語った言葉だが、「言葉にならない」と言いながら、さすが池澤夏樹は的確に表現していると思う。

蛇足だが、お話の中で出てくる彼らの食事がとっても素敵で、それも私がこの本を好きな理由の一つかもしれない。ちょっと立ち寄った知り合いの有名なサーファーのおうちでつくってくれる、お庭のハーブをたっぷり使ったアルデンテのスパゲティ。みんなが集まるディナーにそなえて、午前中から広いキッチンで粉を捏ねて準備するピザ。メニューはその自家製ピザとローストビーフとたっぷりのサラダ。本当にさりげない描写なのだけど、お伽話には美味しい描写は欠かせないのである。村上春樹が好きな食いしん坊には、きっとこちらも気に入っていただけると思う。


書評・エッセイ『世界ぐるっと朝食紀行』 西川 治

写真家、画家、そして料理研究家でもある西川治さんが、「朝食」をテーマに世界各地の旅の様子を記したエッセイ集。この方が世界各地と言えば、それは本当に世界各地。ヨーロッパやアメリカは勿論、トルコのバザール、モロッコの砂漠の民ノマドのテント、メキシコの市場、フィジーの原住民が住む村、タイの仏僧たちが寄進を持ち寄る寺、モンゴルの遊牧民たちのゲルなど、本当にあらとあらゆるところでの「朝食」の風景が描かれている。

自身が料理研究家として、何十冊もの料理本を手がけているだけあって、食事の描写も淡々としながらも必要なところは詳細まで描かれていて、食欲を刺激する。あっさりと書いてあるのだけれど、読んでいるうちに描写に引き込まれて、いつの間にか自分も、ベトナムの屋台でフォーを啜っていたり、ウィーンのカフェでクロワッサンを齧っている気分になる。

旦那が食いしん坊で、やたら映画や本の食事シーンにやたら敏感なので、最近私もそういう目で映画とか観るようになってしまったのが、普通の映画の中でも、ちょっとした食事シーンって案外多いものだ。やっぱり、人間の想像力を刺激するのに、五感に訴えかけるのってとても大事なことなんだと思う。誰にとっても卑近な「食べる」という行為を通じて、登場人物や情景に感情移入しやすくなる、という効果があるのではないだろうか。

だからこそ、旅のエッセイには、食べ物の描写は欠かせない存在。宗教的行事やら、儀式やら、街の風景、建物、衣裳、そういうものは幾ら語られても、中々実際に観たことが無かったり、バックグラウンドの知識が無かったりすると、ピンとこないもの。でも、食べ物だけは、誰だって、あんな風かな、こんな風かな、と容易に想像できて、そうやって想像することで、ちょっとだけその場に瞬間移動したような気持が味わえる。いや、そこまで創造力を逞しくできるのは、そもそも私が食いしん坊だからだけかもしれないが

42回分の朝食が掲載されていて、どれもそれぞれにおいしそうだし、興味深いが、特に印象深かったものを挙げろと言われれば、パリとスコットランドの朝食。

パリでは、ホテルの部屋のベッドサイドに大きなプレートを載せて「彼女=今のカミさん」と、ミルクたっぷりのカフェオレクロワッサンをびしょびしょに浸して食べてから、今日はどこへ行こうかと、ベッドに戻ってうつらうつらしながら考える、そんな冬の朝の情景が素敵だ。

スコットランドでは、白夜の真夜中、スコッチを握って釣りに出かけ、震え上がって明け方にホテルに帰り、釣ってきたトラウトを焼いてハーブ入りの焦がしバターとレモンをかけて、朝から白ワインと一緒に頂く、というのがたまらなくおいしそう。

でもこうやって改めて書いてみれば、どちらも食べ物自体はなんてことないシロモノ。クロワッサンとに鱒、どちらも安いし、食べようと思えば日本でもすぐに食べられる。結局、食事というのは、食べ物ではなく、一緒に食べる人やシチュエーションによって、こんなにも魅力的なものに変化するのだ、と改めて当たり前なことを実感したワタクシでした。