久しぶりにヴェネツィア魂に火がついた。魂なんて大袈裟な感じがするけれど、何かそうとしか呼べないような不思議な魅力がこの街には確かにある。矢島翠さんの『ヴェネツィア暮らし』を久しぶりに再読したら、今度はこちらの内田洋子さん、現代版「ヴェネツィア暮らし」の方が読みたくなった。
矢島翠さんの教養と品格溢れる文章も楽しいけれど、こちらの「ヴェネツィア暮らし」は、なんと言っても生のままの「人」と「生活」が伝わってくるのが良い。
内田洋子さんは初めて『ジーノの家』を読んだ時にも驚いたけれど、まあとにかく、行動力が半端ない。ある日突然、旧友からの<もう一度、ヴェネツィアに行きたかった>というメールに触発されて、住み慣れたミラノを後にしてヴェネツィアに暮らし始める。そんなまさか、と思うけれど、内田洋子さんならありえる、と納得してしまうからすごい。誰もが一生の間に一度は思ってはみるものだ、「憧れのあの街に一度住んでみたかった」。本当はチャンスはあったのかもしれない。「そんなの無理だ」と思って枷をはめていたのは何よりも自分自身の思い込みだったりする。家族、自分の健康、人生には、本当にどうしようもない時がやって来るのだ。そうなる前に、少し不便になろうが、人から無謀だと呆れられようが、やりたいことをやってみなくてなんのための人生だろう。そういう、言葉にしたらいっそ青臭いような生一本の情熱が、冒頭のエピソードから伝わってくる。
内田洋子さんの行動力がすごいのは、地元の人々の懐にどんどん飛び込んでいってしまうところにも表れている。『ジーノの家』で、バールで知り合った警官達を自宅に招いたり、友人から紹介されたシチリア出身の男性の案内でシチリアのサボテン畑を訪ねたりのエピソードにも驚いた。この本でも、ジュデッカ島の貸家に引っ越してすぐ、「あまり人付き合いのない老いた男性」と噂される隣人ブルーノを訪問し、彼の歌うコンサートに誘われてフラーリ教会を訪れる。女一人暮らしの「セキュリティ」の概念は、彼女には無用である(笑)でも、彼女のその真っ直ぐで大胆な行動力が、生の「ヴェネツィア人」との交流を生む。大金持ちで生涯独身の奥様に仕えるスペイン出身の船乗りアントニオ、代々ヴェネツィアで弁護士を務めてきた資産家、ヴェネツィアでただ一人女性のゴンドラ漕ぎアレックス、、、ジュデッカ島という離小島から見た「対岸のヴェネツィア」。一部に属しているほどの距離の近さがありながら、そこにはいつも「客観的な」距離がある。読むにつれ、その時にドライで時に温かくて時に冷徹な筆者の視線に、こちらの眼差しが重なり合っていくような心地よい感覚を覚える。
私が一番好きだったのは、「エデンの園」という、庭園造りを専門とする建築家ティナと共に深い緑に包まれたお屋敷を訪れる章である。知られざるヴェネツィアの魅力がまた一つ加わった、という感じ。《ヴェネツィアだけの、緑色の時間がある》
最後に余談。この本では、ヴェネツィアの地味豊かな味の描写が幾つか出てくるのだが、中でも私が心惹かれたのは「アーティチョーク」。ヴェネツィアの路地で迷い込んだ、地元の船乗り達行きつけの怪しげな食堂で出されたリゾットは《ひと口頬張ると、溶けたチーズと芯のある米を包み込むようにアーティチョークのこくのある味が広がり、噛むほどに微かなえぐみが染み出す。甘いけれどほろ苦く、渋くて奥行きのある味に圧倒される。ついフォークが、グラスが進む》。偶然迷い込んだサンテラズモ島での地元の資産家の別荘お披露目パーティーでは、島で採れたアーティチョークと自家製のソーセジを和えたパスタ。
大鍋いっぱいに用意されたパスタから、野の香りが立ち上がる。給仕をする二人の丸い指先は、黒く染まっている。アーティチョークの灰汁だ。丹念に調理したのだろう。硬い繊維はクリーム状に解れて、細身のペンネに絡んでいる。皿にパスタを山盛りに取り、「思う存分、振り掛けて」と、大袋ごと卸しパルメザンチーズを勧めてくれる。そして、ワイン、ワイン、ワイン。「これも島の赤ですよ」。はじめ舌先にざらつく飲み心地が、やがてアーティチョークを頬張るごとに、豚肉を噛むほどに、しっとりとした喉越しへと変わっていく。口の中にビロードの絨毯が敷かれるようだ。雑駁のようで、次第に昇華していく貴い味は、広大な敷地でのこの祝宴のようだ。
ヴェネツィアの船着場の市場では、<マンマ>と呼ばれるアーティチョークの尻が灰汁抜きの為にレモンの絞り汁と軽く塩をした水にプカプカと浮かんで売られている。《大きく育って花を付ける品種があり、萼も花芯も硬くなりす過ぎるため食べられない。ところが唯一<尻>の部分は、表皮を剥けば滋味に富む食材》なのだそうだ。
そう言えば、須賀敦子さんの『地図のない道』や『霧のむこうに住みたい』といったエッセイでも、ローマのゲットーで食べた《カルチョフォ・アラ・ジュディア》(アーティチョークのユダヤ風)という料理が出てきて印象的だった。今でこそ、日本のイタリアンレストランでもお目にかかることができるようになったが、指が黒く染まるほどの灰汁が出る、えぐみと苦みの強いこの食材は、ちょっとやそっとのお付き合いでは本当の旨味は分からない。だからこそ、食堂のパスタを食べた後、内田洋子さんは呟くのだ《酸いも甘いも噛み分けて、か》
こんなクセのある食材は、やっぱり本場の雰囲気に包まれて食べてこそ、だろう。ああ、アーティチョークをしみじみ味わうような旅がしたい、今すぐヴェネツィアに旅立って《「ざく切りにしてパセリ、ニンニクといっしょに炒める。派手ではないけれど、旨味たっぷりでねえ。さすがマンマ、これ食うと、ああヴェネツィア、という気がするもんよ」》と言われる味を試してみたい、、、、《そんなの無理だ」と思って枷をはめていたのは何よりも自分自身の思い込みだったりする》など偉そうにと言ってはみたものの、、、内田洋子さんのようにはとてもなれず、ただ食いしん坊の妄想だけが膨らんでいく。
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[…] 日本のキリシタンの始まりと言えば、16世紀後半にローマに派遣された天正遣欧少年使節団。彼らの名前は、矢島翠の『ヴェネツィア暮し』にも、内田洋子の『対岸のヴェネツィア』にも出てきたのでお馴染みだ。しかし、彼らがヴェネツィアを訪れた際に、あのティントレットが『伊東マンショ像』という肖像画を描いており、それが約四百年ぶりにイタリアで発見された、というのは知らなかった。 […]