古典一覧

クリスティーナ女王

スウェーデン女王クリスティーナ。本名はクリスティーナ・フォン・シュヴェーデン(後に改宗してクリスティーナ・アレクサンドラ)。1626年ヴァーサ朝スウェーデン王のグスタフ・アドルフの子として生まれ、父王の死後、わずか6歳で即位。 続きを読む


書評 『デカルト、コルネーユ、スウェーデン女王クリスティナ』 エルンスト・カッシーラー

ユダヤ系ドイツ人のエルンスト・カッシーラーが、ナチス政権中の亡命先スウェーデンで上梓した『デカルトー学説、人格、影響』からの抄訳フランス語版を全訳したものである。クリスティナ女王への興味から手にとったのだが、とても示唆に富む面白い本だ。 続きを読む


『輝く日の宮』 丸谷 才一

面白かった。日本文学の評論家としても著名な丸谷才一が書いた、源氏物語へのオマージュのような不思議な長篇小説。

表題の輝く日の宮とは、源氏物語で、桐壺の巻のあとにかつて存在したが失われてしまったとされる巻の名前を言うのだそうだ。(「桐壺」の異名など諸説あるが)この失われた巻を巡る推理小説のような展開、現代に生きる主人公杉阿佐子の半生を辿っていく展開、それをまるで紫式部の生涯になぞらえるような描き方・・・など、幾重もの仕掛けが何重にも重なって複雑な構成になっている。

さらに、泉鏡花風のロマン的な小説から始まり、情緒の全くない記録的文章で現代史を辿ったかと思うと、急に戯曲風の文体になってみたり、エッセイ風になってみたり、文体や語り口や形式も様々に変化する。まあ、とにかく芸達者ですね、センセイ、という感じ。こういうものを駆使していることの凄さが、やはり当代では考えられないほど斬新な手法や表現法を用いて書かれた源氏物語の凄さへの、そのままオマージュになっているのである。

さすがに、具体的に輝く日の宮の喪失理由や内容を推論する後半は源氏物語を全巻読んでいないと少々辛いだろうが、全体としては、色々な文化的・古典的エピソードを散りばめた現代風の小説になっていて、それだけでも十分読み応えがある。

「源氏物語」は、高校生の時に自宅にあった円地文子訳で全巻読んで、当時暫く、もののあはれを感じる際には思わず一歌詠みたくなるほど雅な王朝文化に浸ってしまった記憶があるが(詠めないけど)、久しぶりにまた読んでみたくなった。(でも読みだすと長いしな・・・)

それにしても、「輝く日の宮」の伝説は知らなかったが、確かに六条御息所と朝顔の斉院については、突然出てくるのでしばらく二人を混同したりして、妙だな、と思った記憶ははっきりある。これが作者の意図的な喪失なのか、意図せざる喪失なのか・・・とっても知りたいが、いつまでも謎のままの方が面白いような気もする。。。。。。


書評・新書 『ギリシア悲劇 人間の深奥を見る』 丹下 和彦

これまた、インスタのフォロワーさんにご紹介いただいた本。海外文学にも芸術史にも興味があるくせに、古今東西を問わずその源流とも言うべき詩と演劇が苦手である。正直に言って良さが分からない。 続きを読む


『聖と俗 分断と架橋の美術史』宮下 規久朗

宗教美術の専門家である宮下規久朗氏の論文をまとめたもの。タイトルに惹かれてよんでみたのだが、予想以上に面白かった。

まずなんと言っても、バロック美術をカトリックのプロバガンダとして分析している点が興味深い。バロックというと、その豪放さから絶対王政との強い結びつきを連想してしまうのだが、元々は、宗教改革後弱体化するカトリック教義を広めるために、《バロック様式は何よりもローマ教皇たちの下で生み出されて世界中に波及したものである》という。

《画像の伝播の速さとその効力をイエズス会は布教に最大限に活用した》

このような映像的プロバガンダが効果的であったのは、聖書の言葉や解釈によって理論的に神に近づこうとするプロテスタントに対して、カトリックがいかに人間の感性や情動に直接訴えかけるような方法をとったか、ということを示している。

《イエズス会創始者イグナチウス・ロヨラによる『霊操』では、キリストが地上で行ったすべてのことは、神の神秘を啓示するためのものであり、キリストの生涯を、自ら観想によって体験すべきであるとした。聖なるイメージを瞑想することの有用性と、感情と想像力を奨励したこうした教義は、必然的に美術の役割を強化し、それを写実的で再現的な正確に方向付けることになる。》

サン・ピエトロ大聖堂とヴァティカン宮殿、或いはウルバヌス8世に代表されるような歴代教皇たち及びその親族たちのパラッツォを壮麗に飾り立てた壁画や彫刻たち。著者は「イリュージョニスティック」という言葉でその特色を言い表しているが、民衆に神と教皇の力を誇示し、或いは幻惑的な宗教的一体感や情熱を鼓舞することにかけて、カラヴァッジョやベルニーニらバロック美術家の右に出る者はいないだろう。

《カラヴァッジョの宗教画は、現実的でありながら、卑俗に陥らずに聖性を感じさせ、日常性ではなく超常的な奇蹟を見ている気にさせるものであった。》

カトリック=バロック芸術の文脈でなんと言っても印象的な作品は、ベルニーニの「聖女テレジアの法悦」である。高階秀爾は『芸術のパトロンたち』で、18世紀のフランス人旅行者がこの彫刻を見て「これが神の愛というものか、それなら私だってよく知っている」と皮肉ったという逸話を紹介してしているが、言い得て妙である。極度に高まった宗教的情熱と神キリストとの一体感は、もはや肉体的エクスタシーと同一視されてしまうほどに、生々しくエロティックだ。

宮下氏も、この「聖女テレジアの法悦」を「殉教の愉悦」の章で挙げているが、こちらは、聖セバスティアヌスと三島由紀夫との関わりを論じていて面白い。聖セバスティアヌス像に象徴される、宗教的情熱の極致とも言える殉教による死。それを愛好した三島由紀夫は、ただデカダンスな頽廃的な美意識以上に

《彼が生来抱いていた「死へのエロティックな衝動」や「流血への衝動」を具現化したものであり、・・・そこには、エロスとタナトスが結合し、肉体的な苦痛と霊的な愉悦が激しく交流するきわめてバロック的な美意識が見られるのである》

と結んでいる。

他にも、アンディ・ウォーホールとカトリック的イコンとの関係を論じた章、民間に伝わる絵馬、エクス・ヴォート、遺影などを奉納する風習を、民間信仰やイコンとの関わりから論じた章など、全て興味深い。特に後者については、著者の最愛の娘が早逝した後に書き下ろしたものであり、学術的な論文では敢えて踏み込まない「聖と俗」の隣接点を描いているという点で、非常に興味深いが痛々しくもある。