『クラブとサロン なぜ人びとは集うのか』 松岡 正剛 ほか

私が個人的に興味を持っている「編集的文化が発生する場」としてのクラブ、サロン、カフェ論に一番イメージの近い本。「クラブとサロン」を切り口に、古今東西様々な分野の専門家のエッセイをまとめたものだ。 続きを読む


『すいかの匂い』 江國 香織

これも、夏が近づいてくると、なにげなく手にとってしまう類の本。

少女の夏の物語11篇。少女と言っても、10歳には届かない、本当に小さな子供くらいの年齢だ。昭和のノスタルジックな空気が溢れている。今回、読み直してみて、「おしろい花」と「枇杷の木」がよく出てくるなあ、と思った。どちらも、昔はそこらへんにあったのに、あまり見かけなくなった。

なんと言っても、五感のすみずみに届いてくる江國香織さんの文章が良い。

畳に置かれた大きなお盆にならべられたすいかにかぶりつくと、「だらだらとしるがたれ」て、ふと見るとお盆のすいかには真っ黒な蟻がたくさんたかっていてぎょっとする。「ぬかみその様な匂いのする台所」で「紙のカップに入った小さなバニラアイスを、木べらのようなスプーンですくっては口に運ぶ」ようす、壁いっぱいにくっついた小さなかたつむりをはがして長くつで踏んで歩くときの「しゃり、という刹那の、あの儚さ」、真夏の葬式から帰宅し、仄暗い八畳間の中で母が喪服をベンジンで拭くときの「揮発性の匂い、甘い頭痛」、団地のなかを通ると「よその家に入るとする匂いが、家の外まではみだして」いる。

情景だけでなく、味、匂い、肌触り、までが本当にありありと感じられる。文章と物語の力ってなんてすごいんだろう、と、なんだかヴァーチャルアトラクションでも体験したかのように思ってしまう。

このお話、わかる。たぶん、こんなにこれがわかるのは私だけじゃないのかな。僕だけじゃないのかな。・・・江國香織さんのファンは、江國さんの書く小説について、たぶん全員がそう思っているんじゃないろうか。じつは、私だって、そう思っている。

巻末の川上弘美さんの解説。江國香織さんの描く子供は、病気がちだったり神経質だったりいじめられっ子だったりが多い。私は、兄2人の末っ子で、こういうタイプの子供とは完全真逆、むしろ、そういう子達を槍玉にあげて苛めてやるくらいの少女版ジャイアンみたいな子供だったのに、それなのに、この物語を読んでいると、なぜだか「わかる」と思ってしまうのだから、やっぱりすごい。

子供の物語なのだけれど、あけっぴろげな無邪気さはなくて、どれもしんとして怖かったり切なかったりする。団地や田舎をモティーフに、貧しさ、病気、犯罪、精薄といったダークな部分が見え隠れする。(「はるかちゃん」で、幼女に性犯罪する青年の姿がさらっと描かれているあたりは、きょうび出版したらなにかと言われそうなくらいである)それなのに、不思議と暗く重たいだけにはならなくて、それをはねのける、いや、後ろに置いて進んでいくだけの強さがある。少女と夏の強さみたいなもの。

そういう夏から何十年も過ぎた。私はいつしかそういう夏から遠く隔たってしまい、今度は私の小さな娘がその入り口にいる。


東大卒ママの子供に絵本をえらぶポイント4つを紹介

私には、現在6歳の娘と4歳の息子がいます。毎日必ず絵本の読み聞かせをする!なーんて気合を入れて頑張った記憶は全くなく、気が向いた時に読んであげていただけなのですが、気づけば2人ともそれなりに本が好きになっていて、上の子は、『エルマーとりゅう』のような、絵ではなく文章が中心の児童書でも、自分で勝手に読むようになっています。

今は、書店でも図書館でも、幼児向けコーナーに絵本が山のようにあって、どれを選んでよいのやら、途方にくれることってありませんか?良いと言われる本が、必ずしも自分の子供の気にいるとは限らないし、名作と呼ばれるおなじみの絵本に加えて、新しい絵本や児童書もどんどん出てきて、正直、どれを選んでよいのか、私も悩みました。

自分が本が好きなので、強制せずに自然と子供も本を好きになってくれればいいなあ、くらいに思っていたのですが、今までを振り返って、私なりに子供のために絵本を選ぶポイントをまとめてみようと思います。

1.絵がおもしろい

これ、当たり前だけど、すごく大事なこと。何かの本で読みましたが、読み聞かせ中の幼児の視線を追っていると、聞いているストーリーとはほぼ関係なく、自分の興味のある絵を見ている時間がほとんどだそうです。

「読み聞かせ大事!」とか「自分が本が好き!」とかいうお母さんに限って、これは良いお話だから、という観点で絵本を選んでしまいがちではないですか?私はそうでした。そして、せっかく読んであげているのに、話の途中で息子にどんどんページをめくられるわ、お話とは全然関係ない絵にばかりコメントされるわで、だんだん読む気がなくっていくという・・・でも、幼児にとってはストーリーとか二の次で、読んでくれる人の声はほぼBGMです。だからこそ、とにかく絵がおもしろいものを選ぶ。

絵がおもしろいといのは、ただ剽軽なものや派手なものというわけではなく、子供の興味を惹くおもしろさ、ということです。いろんなタイプの絵を見せてみて、どんな感じの絵だったらくいつくのか、読み聞かせる前にやってみるのも良い。

おもしろさ、というのは、今自分の身の回りにない色づかいやかたちや表現である、というのも大事だと思います。そういう観点から、あまりおすすめしないのは、アニメの絵本。アニメの絵というのは、今の子供の身の周りに溢れているので、目新しさがないんですね。子供は、自分が知っているアンパンマンとかディズニーとかのキャラクターが本に載っていると、はじめは興味を示すし、欲しがったりするのですが、絵としてのおもしろさがないために、けっきょく絵本は長く見ていられないことが多いです。それだったらテレビ見てる方がいいや、ってなってしまう。もちろん、このキャラクターが好きだからこの本がほしい、という気持ちも大事ですけどね。取っ掛かりとしては良いのですが、せっかく絵本を読むのなら、いつもと全然違う絵を見せてみる、というのも大事だと思います。

外国の本格的に絵画調の絵とか、逆に、昔の日本昔話的な和風の絵なんかも、結構子供は食いつきます。昭和年代の絵本も、街や家の様子が今と随分違うので、子供には新鮮だったりします。

3歳くらいまでは、お話なんて関係なくて、この1ページがお気に入り!というだけでも全然いいと思います。『からすのパンやさん』なんて、結構長いのでお話自体は5歳くらいにならないと全部聞いてられないと思いますが、いろんなパンが並んでいるあの1ページ、それだけのために、娘は1歳の頃から愛読していました。

物語にこだわらず、子供に色々な絵を見せてみる、そこから興味を引き出してみる、まずはそれが大事だと思います。

2.言葉遊びや擬音語がおもしろい

絵の次はこれ。ストーリーのおもしろさが分かるようになってくるのは4、5歳になってからなので、それよりは、言葉や音のおもしろさがある本を選びます。

擬音語、擬態語は一般的にくいつきが良いですし、歌が挿入されている絵本も多いですね。人気のある絵本には、そういう言葉遊び的な要素が必ずあります。もちろん、文章のリズムも大事ですが、3歳くらいまでは「ぱちん」「ころころ」「うんとこしょどっこいしょ」「うんち」「びんぼう」などなど、単語だけでもくいつきが良いものを選べは良いと思います。

子供が好きな言葉があったら、ストーリーと関係なく、お母さんがオリジナルで挿入したって良い。「いないいないばあ」とか「もういいかい、まーだだよ」「はないちもんめ」みたいなフレーズを強調したり、繰り返したりするのも効果があります。うちは、かくれんぼの「もういいかい、まーだだよ」が好きだったので、違う絵本で子供が遊んでいるシーンとかがあると、勝手に「もういいかい、まーだだよ」を挿入して、子供の興味を引いていました

3.取っ掛かりがある

これは、ちょっと言い方が難しいのですが、子供の好きなもの、興味のあるものとの関連性がある、ということです。このポイントこそは、いつも子供を見ているお母さんしかできない、1対1の読み聞かせでないとできないところです。

わかりやすいのは、恐竜が好きだから恐竜が出てくる絵本、電車が好きだから電車が出てくる絵本とか、そういうパターンですね。こだわりが強い男の子とかは、もうとにかく、中身なんて関係なく、好きなものが絵についてたり主役になってたりしたら、片っ端から見せてみる。話の途中でガンガンページをめくられても、おんなじページばっかり見ていても気にしない気にしない。とにかく食いついたところから話を進めてみればいいんです。

言葉を覚え始めた頃は、覚えたばかりの言葉が出てくる絵本を選びます。数少ない知ってる単語が本に出てくる!となれば、子供はとにかくそれを連呼して絵を眺めているだけで楽しいものです。全然関係のないお話の中でたった1ページの隅っこに出てくる「わんわん」だけでも、絵本を開くきっかけにはなります。

昨日、ダンゴムシを見つけたらダンゴムシでもいい、桜が咲いてるのを見たら桜、踏切に食いついたら踏切、とか。普段の生活の中で興味をもったものは、すかさず絵本の中で探して、話題にしてみるといいと思います。

4.広がりがある

今までは、絵本というものに子供の興味をどうやって惹きつけるか、という観点でしたが、最後のポイントは、そこからどうやって広げていくか、ということです。

子供が興味のあるポイントに集中して絵本を読んだ後、少しだけ違うポイントに興味をずらして広げていける絵本がいいなあ、と思って選ぶようにしています。難しいことではなくて、違う国のお話だったら、その国が地図のどこにあるのかを調べてみる、とか、変わった虫が出てきたら図鑑で調べてみる、とかそういうことです。

興味をもったものが、また別の絵本につながっていくのがベストですが、別に絵本でなくてもかまいません。4歳の息子は、絵本の中で不思議だったもの、興味をもったものは、すぐに「ネットで調べて」とリクエストしてきます(笑)

動物好きの息子がえらんだ『わにわにとあかわに』の絵本では、最後になぜかけん玉が出てきます。「これなあに?」と不思議がる息子に、ネットでけん玉の動画を見せて、興味をもったので、その後買い物ついでに100均でけん玉を買ってあげました。まだ2歳だったので全くできませんでしたが(笑)大事なのは、絵本は読んでおしまい、ということではなくて、そういう読んだ後の体験をひっくるめて絵本の楽しさだ、と感じることです。

いかがでしたか?

以上、5歳くらいのまでの子供に絵本を選ぶポイントを4つにまとめてみました。今後は、この4つのポイントを意識しながら、おすすめの絵本も紹介していきたいと思いますので、良かったら参考にしてみてくださいね。


書評・小説 『テレーズ・ラカン』 エミール・ゾラ

エミール・ゾラ初期の中篇小説。2019年春の岩波文庫リクエスト復刊。1953年、マルセル・カルネ監督作品のフランス映画『嘆きのテレーズ』の原作となっている。

19世紀のフランス・パリの裏街。単調な暮らしに倦み肉欲の虜となったテレーズは、夫の友人であり愛人でもあるロランと共謀し、夫を事故死に見せかけて殺害する。周囲の祝福を受けながら再婚し全ての希望を叶えたように見えるテレーズとロランだが、殺害したカミーユの亡霊に怯え、愛欲は消え去り、いつしかお互いを憎むようになっていく。

ゾラのいわゆる「自然主義」の出発点となったとされる小説で、テレーズとロランの心理描写、その細かい心と精神の動きが物語の中心になっている。巻末に掲載された「再版の序」でゾラはこう述べている。

私は『テレーズ・ラカン』で、性格ではなく、体質を研究しようとした。この本のすべてはこの点にある。あくまで神経と血にもてあそばれる人物を選んだ。・・・私の目的は、何よりもまず科学的な目的だった。・・・そこで、私は異なるふたつの体質が結びつくとき、どういう特異なケースになるかを説明しようとした。・・・この小説を注意して読んでいただきたい。そうすれば、一章一章が生理学の興味あるケースの研究になっていることに気がつかれるだろう。

この文章からも分かる通り、ゾラの「自然主義」とは、解剖学とか化学とかの科学的な手法や考え方を、文学にあてはめようとしたことから生まれている。そこには、「啓蒙の時代」から引き継いだ、科学万能主義、合理性崇拝主義のようなものがあって、現代の人間からすると少々的外れの感覚すら覚える。

以前、エミール・ゾラの『制作』の記事でも書いたのだが、「遺伝」や「体質」といった、当時は非常に科学的であると考えられていた要素を強調し過ぎていて、返って「不自然」に感じてしまうのだ。実際、ゾラが強調しているほど、テレーズとローランの心理や行動が、体質からくる化学反応みたいに自動的で自然には、私には感じられない。カミーユを殺害した直後に1年間もなりを潜めて貞淑に暮らす様子や、再婚したその夜から、カミーユの亡霊に悩まされて一度も肌を触れ合うことができないところなど、あんまりリアリティがあるようには思えない。

現代では少々余計に思われる「科学的な手法」に違和感を覚えつつも、ゾラの小説が今なお魅力的に面白く感じられるのは、切り取られた場面場面のリアリティの見事さと、物語や登場人物の躍動感が生き生きと迫ってくるからだ。『テレーズ・ラカン』は、体質的実験には成功したとは思わないが、人間の感情や情念がいかに一時的で儚いものか、というリアリティを描くことには完全に成功していると思う。

「再版の序」でゾラが述べている通り、当時は、この物語がスキャンダラスで不道徳だと世間の顰蹙を買うような時代だった。科学や合理主義を標榜しつつも、キリスト教的道徳観がいまだ強く残る時代において、恋愛や性愛に神聖さを一切認めないとする徹底した姿勢は、見事というしかない。その強さが、ゾラの作品の「凝縮された不変の人間性」みたいなものを形作っているのだと思う。


書評・エッセイ 『またたび』 伊藤比呂美

軽いものが読みたいなあ、と思い、初めて伊藤比呂美のエッセイを読んでみた。始めは、ぷつぷつ切れて美しくない読みにくい文章だなーと思って、余り気乗りしないで読んでいたが、段々面白くなってきてしまい、最後の方は読み終わるのがもったいない、と思うほどに。

前夫の間にもうけた3人の娘と、ユダヤ系イギリス人の「つれあい」と、カリフォルニアで送る日々を綴ったものが、「食」という側面から、異文化や異国との接触、日本と日本人のアイデンティティとか、よく捉えられているそれから、そういうこむつかしいことを排して、異国の珍しい食べ物・料理から、日本人が骨の髄までうまさを知っている定番の食べ物・料理から、色々でてきて楽しい読み物だ。

私自身、著者のように摂食障害まではいっていないものの、20歳くらいまで、全ての野菜と果物が嫌い、という超偏食時代を経た後、段々食べる楽しみを覚え、食べられるもの、おいしいものがどんどん増えていき、今ではどちらかと言えば好き嫌いの少ない方&どちらかと言わなくても間違いなく食いしん坊なほどになっている。そして、私の「つれあい」が、またとてつもない食いしん坊なので、おいしいものを食べに行ったり、自分で料理もしてみたりして、どんどん食いしん坊になっている。ただ単に「食」のエッセイというだけでも十分に楽しめた。

でも、彼女の面白さは、そういう表面的なところにとどまらない。私は、どちらかと言えばフィクション好きで、エッセイを面白い、と思うようになったのは、大分大人になってからなので、エッセイの評価はいまいちよくわからないところがあが、とにかく、面白いエッセイを書く人、というのは、ものすごく場面や情景や、何と言うか「事実」の切り取り方が、鮮やかだと思う。ストレートで飾らない(時には稚拙と思えるほどの)言葉と文章の中に、ものすごい見事で、その人にしかできない切り口で、一瞬だけ、深い真理や人生の深層を浮かび上がらせてみせる、そういう技をもっているのが、すぐれたエッセイストなのではないかなーと。

そういう意味で、詩人が良きエッセイストになるのも頷けるのかも江國香織さんも、小説だけじゃなくエッセイもものすごく面白いのだが、彼女もちょっと、詩人めいた要素があると思う。短いだけに言葉に超敏感で、研ぎ澄まされた感覚の持ち主。俳句の世界に通ずるような。

アメリカで「カボチャとウリとヒョウタン」と「コヨーテ」を見たかった、という作者。「カラカラ鳴る闇」というものを見てみたいと思い、「ねっとり、もちもち、ほくほく」とか「つるん、ぷるぷる」とかした食べ物を恋焦がれる作者・・・そういう姿に、日本の風土や気候の本質やら、異文化との違いやらが、ぞくっとするくらいはっきりと浮かびあがる。ほんとに一瞬だけなんだけれど、見事で、「ああ、そうだ、そうだった」と、初めて自分が無意識に感じていたことに気付かされるような感じ良きエッセイで味わえるあの感じ。

それにしても、今日の夜ごはんは何を食べよう。トルティーヤをつくろうか、ネパール風カレーにしようか・・・と思いながら、ああ、でも、ほんとは作者のように、卵かけごはんが食べたいかも。