『印象派はこうして世界を征服した』 フィリップ・フック ①


『印象派はこうして世界を征服した』をお得に読む

二大オークション会社サザビーズとクリスティーズで印象派のディレクターを務めた経験のあるフィリップ・クックの著書。これは、印象派の様式や美術論についての本ではない。印象派の作品が、バブル時代の日本の財テクやオイルマネーで潤う中東の富豪たちの資産としての位置を獲得するに至ったか、つまり、いかに印象派作品の経済的社会的価値が全世界に広まったか、について考察した本である。マイケル・フィンドレー著『アートの価値 マネー、パワー、ビューティ』の記事でも触れたが、この手の本が日本語訳されるのは結構珍しい。そして、私はこの手の本が大好物なのである。

第一章では、1870年代、印象派作品が初めて世に現れた当初、フランスでどのような評価を受けていたかが語られる。当時の保守派のアカデミズムにより硬直化したパリ美術界、そこで印象派の画家たちの自由奔放な色彩と筆遣いがどれほど衝撃的なものであり、非難の嵐を巻き起こしたか。印象派お馴染みのエピソードだが、著者はここで、特に印象派のモダニズム、「革新性」と「進歩主義」のイメージを強調している。印象派の画家たちが決して政治的な革新性を目指していたわけではないが、表現における革新性が、結果的に社会的な規範や価値観への挑戦となり反旗となる(あるいはそういったもののシンボルになる)、そういう近現代のモダニズム芸術運動の発芽になった、というわけだ。

ここに初めて、モダンアートがもつ〈抗議としての芸術〉と〈英雄的な革命家としての芸術家〉という二つの偉大な神話がおぼろげながら見えてくる。(略)のちの世代の前衛的な画家たちとは異なり、そもそもの印象派はブルジョワ階級を攻撃しようとしたわけではなかった。(略)だが、彼らの清廉なヴィジョンが人々のあいだに敵愾心に満ちた反応を引き起こしたとき、彼らは〈アンチ・ブルジョワ革命〉のなかで、いやおうなしに一定の役割を果たすようになったのである。これがよくある運命だということは、今のわれわれにはわかっている。それがモダニズムの芸術運動というものなのだ。しかし、その運命に初めて直面したのが、印象派の画家たちだったのである。

第二章では、普仏戦争後の混乱した経済状況にあるフランスにおいて印象派が徐々に受容され、評価されていく様子を語っている。著者は、印象派が認められていく過程で、特にデュラン・リュエルのような画商が果たした役割に着目している。デュラン・リュエルは《印象主義の可能性をいだし》、《力に満ち、また革新的な商売人だった彼は、印象派絵画を売るという挑戦的な活動に勤勉に取り組んだ》。その彼が、新しい芸術を売り出す新しい方法として採用したのが、「画家個性のプロモーション」と「専門家やメディアによる価値評価づけ」ということだった。

個人主義は印象主義の画家たちの特徴でもあるからだ。同じような独立心は、革新的な同時代の美術を集めようとするコレクターたちにも必要とされていた。(略)美術品を集めるという行為は個人生活における現実逃避であると同時に、自身の感性のオリジナリティを宣言することでもあるという点だ。

そして人々の関心を、個々の絵にだけでなく、その絵を描いた画家本人と彼らの仕事全体へと向けさせることによって、従来の絵画販売の手法に変革を加えたのだ。彼は〈画家の個展〉というアイディアを最初に生んだ先駆者であり(略)その戦略は、〈画家の個性のプロモーション〉とでも呼べるものだった。

難しいとされる絵画を理解して買ってもらうためには、その魅力を通訳する専門家がひつようだということを、彼はよくわかっていた。(略)同時に彼は雑誌とカタログを刊行し、自分が売っている作品の素晴らしさを絶讃し、また説明もした。批評家の存在も重要だった。雑誌や新聞で記事を読むことが、新しい美術を受け入れるための手助けとなったからである。

この二つは、今ではアートの中に奥深く組み込まれて当然のものとなってしまっているが、実はこの頃に始まったのだ。それまでは、美術作品の多くは神か或いは特定のパトロンのために描かれるものであり、作者たちはほとんどが工房や組合的な単位で判別されており、稀に作者個人が特別に評価されたとしても、それは主に技量についてであり、作者個人の思想や人生が問題になることは無かった。

著者は引き続き、第三章では、印象派作品のアメリカでの受容について、第四章はドイツを中心としたスイス、ロシアなど欧州各国、第五章は英国での受容について、それぞれ語っている。

フランスのやり手の画商デュラン・リュエルが、新たなマーケットとして目をつけたのがアメリカだった。南北戦争を終えたアメリカでは、鉄鋼、建築、鉄道などの商業活動から多大な富が生み出され、その矛先は大陸、特に洗練された文化の土地、フランスにも向かっていた。ヘンリー・ジェイムズやメアリー・カサットら、そしてロスト・ジェネレーションの作家たち、アメリカの芸術家や文化人たちがこぞって、パリに向かい、その文化を称賛する時代の始まりである。ただ、そこには文化的な憧れがバックグランドにはあるものの、印象派の作品にブランドや資産的価値を見出すという極めて卑俗的な一面もあったことを著者は指摘している。

デュラン・リュエルが、アメリカ富裕層にウケるように、印象派絵画を十八世紀の魅力的な額縁に入れて展示した、というのも興味深い。私たちは、美術館で豪勢な金縁の額に収まったモネやドガの作品にすっかり慣れてしまっているが、印象派発生当初の革新性や反アカデミズムを考え合わせれば、この展示方法が画家たちの目指していた方向性と合致しているのか、再考の余地がありそうだ。

アメリカ人の美術品の収集には、経済的なマッチョぶりを見せるという要素が確かにあった。トムソンの好みに見られるもう一つの重要な特色は、彼がポルティエから買うよりも、デュラン・リュエルから買うほうに安心感を抱いていたということだ。デュラン・リュエルは、より知られたブランド名だ。これ以後、二十世紀のコレクターたちは、デュヴィーンやウイルデンスタイン、アクアヴェラといった画廊で買うことに安心を感じ続けた。というのも、美学的に優れているかだけでなく、ある種の幻想(ファンタジー)、つまり魅力的で社会的なステータスと結びつくかどうかという打算も考慮に入れれば、「ウイルデンスタインの絵」や「アクアヴェラから買った作品」のほうが、より価値を増すからだ。

こうして、1870年代にパリの社会で弾劾された革新的な美術様式は、いつしか、新大陸の富裕層たちのステータスシンボルとなり、当初あれほど非難された大胆な色使いも《安全で美しい色彩に満ちた楽しい絵》として受け入れられるようになった。

このような興味深い過程を経て、いまや印象派のコレクションはアメリカの、むしろ〈古い〉富を象徴する魅力的な存在となっていた。

一方、アメリカが手放しでフランスの文化とその代表格としての印象派を礼賛したのに比べ、お隣のドイツやイギリスはもう少し事情が複雑だった。特にドイツは、印象派が起こってきたのが普仏戦争とタイミングを一にしており、ドイツのナショナリズムが芽生え成長していく中で、印象派はフランス文化の代表格として、反発と憧憬の対象となった。また、大戦前にはドイツで有力なブルジョワ階級を形成したユダヤ人が、印象派のコレクターとして名乗りをあげたことが、よりいっそうドイツにおける反印象主義の動きを《ナショナリズムと反ユダヤ主義の不健全なる混合によって織りなされる》ものにした。

一方、イギリスは、ドイツよりもさらにフランスとは政治的に長い反目の歴史を持っている。イギリスにおける印象派の受容が遅かったのは当然とも言えた。当時のイギリス人がフランス人をどう見ていたか、歴史画家のベンジャミン・ヘイドンや評論家のトーマス・カーライル、ヴィクトリア女王などの日記を引用して語るイギリス出身の著者の口調は、極めて饒舌だ。

イギリスとフランスのあいだで真の友好を結ぶことなど、まったく不可能だ。陽気で、冒涜的で、激しやすく、血の気が多く、猥雑で、愛想だけはよく、無節操で、しかも本能的に軍国主義のフランスと、堅実で、高潔で、商業的で、宗教的で、哲学的で、非軍事的で、経済を重視するわが国とが、団結できるわけがない。

十九世紀後半に希少な印象派コレクターとなったキャプテン・ヘンリー・ヒルの死後、そのコレクションがロンドンのクリスティーズで競売に付され、イギリスの入札者たちの間で非難の嵐が巻き起こった時のことを、著者はこう記している。《尊大で、チビで、ニンニク臭い連中。われわれ英国人のオークションを、海の向こうのゴミクズで汚染するやつら。》これは、何かの引用なのか、著者の個人的創作なのか?部外者の私たちは思わず苦笑してしまうような文章である。

ドイツやイギリスでは、印象派への反応は政治的な影響を大きく受けていた。そして、二回の世界大戦を挟み、その状況は大きく変わる。既にイギリスでは、仮想敵国としてフランスよりもドイツの存在が大きくなったことで、フランス文化への反発は減ってきていた。ドイツではナチスの台頭と略奪により、多くの貴重なコレクションが散逸してしまった。それでも、印象派の文化的・経済的価値は、欧米社会の中ですっかり確立されたものとなっていた。やっと訪れた平和な時代に、台頭してきた新たな富裕層に向け、それを売り込んだのが、オークション会社である。第五章以降は、サザビーズとクリスティーズ、二大オークション会社の時代の盛衰が語られる。ここからは、著者の経歴の見せどころでもあり、自身の経験を交えながら、印象派がいかに世界中の富裕層の間で《自身のステータス・シンボルとして、また文化的あるいは社会的なトロフィーとして》広まっているかをつぶさに語っていて、読み応えがある。新興オークション会社サザビーズの台頭、オークション会社の人間たちの節操のない売り込み、バブルに沸いた日本人たちが押し寄せ夢のように去っていった様子、寡占状態のマーケットで二大オークション会社の共謀事件が明らかになった顛末。

中でも、サザビーズの会長ピーター・ウィルソンが印象派絵画のオークションを一大イベントに祭り上げた、そのPR手法は興味深い。ピーター・ウィルソンは、印象派絵画のオークションを国際的なものとし、専門的な広告会社JWTにPRを担当させた。イギリスでは女王陛下自らがオークションに出席され、アメリカではロックフェラーやフォードやリーマンといった富豪一族が華麗な姿を見せ、一方では、ハリウッド業界とも結びついた。《オークションの神聖化》がなされ、《絵画を入手するまでの体験が、その絵画と同じほど重要なものと》なったのである。こうした考えは、現在のモダンアートの売り方にも受け継がれている。マイケル・フィンドレーの著書『アートの価値 マネー、パワー、ビューティ』では、華々しい国際的アートイベントやアメリカンエキスプレスとタッグを組んだアジア富裕層向けの招待制アートプレビューといった例が紹介されている。

二十世紀後半の社会では、芸術は新しい宗教である。芸術を買うことは、宗教的な信仰心のようなものであり、信念の行為でもある。偉大な芸術作品に支払われる金額を批判的に分析し、それを合理的に説明しようとすることは、超越的な宗教体験を科学的に理由づけようとする試みと同様に、意味をなさない行為だ。

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