書評・新書『父が子に教える昭和史』 柳田邦男ほか


最近、太平洋戦争直前の大正から昭和初期の歴史について興味がある。経済や社会の状況からして、現代の日本ととてもよく似ていると思うからだ。

しかし、日本の学校では近現代史を十分に教えないし(小中高とも時系列にそって勉強していくので、三学期には時間が足りなくなって受験対策のドサクサに紛れて終る)、しかも教え方がとても偏っているので、そもそも基礎知識が不足していたり、根本的な勘違いや思い込みで、自分の無知に途方に暮れてしまい、どこから手をつけてよいのやら・・・

日本の一般的傾向として「太平洋戦争がどれほど悲惨か、どれほどバカげていたか」ということについての情報や書籍には事欠かないが、「なぜそんな悲惨でバカげた戦争に至ったのか」ということについて示唆してくれるそれは驚くほど少ない。

そんなこんなで、まずは、太平洋戦争に纏わるあれやこれやを、時代と共に生きた36人の方が語ってくれた新書を、ざっと読んでみることにした。

南京事件やパール・ハーバーなどの戦争ネタは勿論のこと、シベリア抑留や北方領土、天皇人間宣言や日本国憲法創案に到るまで、様々なタイトルが並んでいる。新書形式で浅く広く、という点は否めないが、それでも、現代の私達には目から鱗というか、生の声で語られる戦争の姿は、戦後の教育やマスコミによる単純化されたイメージとは随分かけ離れている。

改め色々な角度から眺めてみて思うのは、戦後の教育で植えつけられた「戦前の日本は狂信的国家でとち狂っていたのであんな戦争をしたのだ」的イメージがいかに誤っているか、ということである。

確かに日本はアメリカと互するには余りに貧しくて開発が遅れていたかもしれないが、短期間で零戦や戦艦大和を仕上げた技術力は驚愕に値するし、天皇を神と崇める狂信的な軍事国家一辺倒だったわけではなく、軍部にはエリート中のエリートが揃っていたし、大正デモクラシーによって民主主義の萌芽もあったし、多くの国民もただ一途に狂信的だったわけではなく、このような戦争の無謀さを知りながらも敢えて特攻に志願するような若者が多かった。

それなのになぜ、こういう戦争が起こってしまったのか、というところに一番重要なポイントがあると思う。

「今は正気に戻った私達なので、こんなことをはもう二度と起こらないのだ」という自己欺瞞で問題を片付けようとしている限り、絶対に本質が明らかにならないポイントが。


幕僚たちの思想と行動から言えることは、それぞれの転機において「合理的」とみえる判断を下しても、それが合わさった結論は「非合理」になりうるということである。

そして転機における選択の多くは、情勢の客観的分析から導かれたというより、官僚的「作文」合戦の結果であった。幕僚たちは自分の組織によって都合のよい「作文」を作成することに鎬を削った。そして勝ち残った「作文」が、既定の国策として一人歩きし、次の国策決定の基礎となるという繰り返しが、誰も望まない悲劇を招いた。作文に依存する官僚主義の惰性は、中枢官僚が有能で組織が巨大であるほど大きな過誤をもたらすものである。そう、エリート幕僚たちは、結局、「官僚」だったのである。そして個々には優れた官僚たちが、局や省といった集合体となると、局益や省益を第一と考え、国益をあやまることは戦前も今も変わらない

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