書評 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 加藤 陽子


東京大学文学部で日本近現代史を教える加藤陽子先生が、栄光学園高等学校で中高生向けに行った5日間の集中講義をまとめたものである。小林秀雄賞を受賞。

毎年、夏には何かしら戦争についての本を読むようにしているが、インスタグラムで紹介されていたこちらの本のタイトルに惹かれて読んでみた。

司馬遼太郎が太平洋戦争での日本軍の愚行を激しく憎み、「なぜ日本はこんなばかな戦争をしなければならなかったのか」という根源的な問いをもって著作にあたった、というのは有名な話である。確かに、この問いは、日本人なら誰でももつべき問いだろう。それだけ素朴で自然で、だからこそ、難しい問いであると言える。

「軍部」という現存しない正体不明の存在にすべての責任をなすりつけてみたり、アメリカやソ連の陰謀という説を大々的に掲げてみたり、どこか主体性のない被害者意識の強い歴史観に振り回され、右往左往してきた、という気がする。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ。

歴史的な問いに、100点満点の答えがないのは当たり前のことで、この本を読んで、その問いにシンプルな答えを得られるということでは、無論、ない。それでも、この本のタイトルの潔さには心惹かれるし、もっと主体的に日本の戦争責任を考えよう、という著者の姿勢が表れていると思う。

講義形式で日清戦争から太平洋戦争まで、途中、中高生との問答も挟まるので、話はあっちこっちに飛んでちょっと散漫になるのも仕方ないが、随所に、現代の地政学にも通ずる重要なポイントを挙げているのはさすが近現代史専門の先生、と思わされる。

例えば、日本とロシアの関係の中では、朝鮮が大きな問題になってくること。日露戦争の(少なくとも日本側の)直接の原因は韓国問題であったこと、ロシアにとって朝鮮半島の東や遼東半島の南などに凍らない港を持つことがいかに重要か、また日本にとってはそれがどれだけの脅威であったか、というようなことを、日露戦争の章を中心にとりあげている。 或いは、共産主義とアメリカの関係。アメリカが第二次世界大戦での対応を誤り、中国や東欧の共産主義化を招いてしまった、という意識、そして、その意識が、ベトナム戦争介入の泥沼化を招いた、という見方を紹介している。

(アーネスト・メイは)大戦末期のソ連の態度、スターリンの発言などを考慮すれば、ドイツが敗北し、日本が敗北した後、東欧や東アジアへソ連が影響力を行使するのは十分予期できたはずだと。よって、ソ連の戦後に予想される影響力を牽制するためにも、ドイツや日本の降伏条件を緩和すべきであった、こうアメリカの政策を批判しました。

共産主義化、ということで言えば、日中戦争に際し、中国国民党内で議論された外交政策についての逸話も非常に興味深い。胡適が「アメリカとソビエトをこの問題に巻き込むには、中国が日本との戦争をまずは正面から引き受けて、二、三年間、負け続けることだ」という「日本切腹、中国介錯論」を主張したのに対し、汪兆銘は「胡適のいうことはよくわかる。けれども、そのように三年、四年にわたる激しい戦争を日本とやっている間に、中国はソビエト化してしまう」と反論した。胡適の卓見は鬼気迫る凄さだが、汪兆銘の鋭い洞察もまた見事である。国や民族という捉え方だけでなく、共産主義対帝国(或いは列強国)資本主義、という対立構造で考えることも、この戦争を考える非常に重要なポイントだと思う。

日本国内について言えば、日本の民主主義の発達という点で色々な見方を示唆しているところも興味深かった。

政府には長州閥、それから薩摩閥、土佐、肥前も加えると四つ、幕末の雄藩だけが、結局、政府ポストを独占している。だから、民党である自由党や改進党のメンバーは、金も頭脳もあっても、藩閥政府の内部に食い込めない。(略)だから市場拡大とともに、福澤がいったのは「今こそ民党は新たな植民地を獲得して、そこで官僚という、いままで自分たちが食い込めなかった行政に食い込め」ということなのです。これが、自由党などが戦争に対して議会でそれほど強く抵抗しなかった理由の一つです。

日本の民権派が、その始まりから、戦争を肯定的に捉える傾向を指摘している。日清戦争から見られたこの傾向を、後に東京帝国大学法学部教授の岡義武が、日中戦争開戦時の論文で指摘している。これは、日本の民主主義を考える上で実は非常に根深い問題なのではないかと思う。

どうして日本においては、民権派の考えのなかに、個人主義的、自由主義的思想が弱いのか、「国家の独立なければ個人の独立なし」ではないですが、どうも明治のはじめから、民権派は国権を優先していたような気がする、と岡先生は気づいたのでしょう。国家か個人かといったとき、自由主義的なバックボーンがないと、時代の状況によって、人々は、国家のなすことすべてを是認してしまうのではないか。確実に近づいてくる戦争の足音を聞きながら、岡先生としては、日本人はどうすればよかったのか、深く悩み考えていたに違いありません。

あるいは、太平洋戦争時において、軍部独裁が進行した背景について。

まず、軍隊というものが、その物理的な圧力でもって政治に介入することは、立憲制がとられた世の中では不当なこと、正しくないことです。しかし、ここが悩ましいところで、本来、政治に関与してはいけない集団が、政治がなかなか実現できないような政策、しかも多くの人々の要求にかなっているように見えた政策を実現しようとした場合はどうなるか。満州事変から日中戦争の間の六年間に起こっていたのは、そのような悩ましい事態でした。

当時の日本の多数派であった農民の利害を守ろうと立ち上がってくれたのが軍部だった。政友会も民政党も恐慌にあえぐ農民達の具体的救済策を何も提示しなかった時、陸軍の計画書では、義務教育費の国庫負担や農産物価格維持のための施策などが具体的に挙げられていたのである。

戦争が始まれば、もちろん、こうした陸軍の描いた一見美しいスローガンは絵に描いた餅になるわけですし、農民や労働者の生活がまっさきに苦しくなるのですが、政治や社会を変革してくれる主体として陸軍に期待せざるをえない国民の目線は、確かにあったと思います

このように、国内の格差や不満が究極的に高まった時に、それを昇華させる手段として軍政ファシズムが跋扈することになる。それ自体は、日本だけに見られる現象ではない。日本の国という特殊性を考える上では、先に挙げられたような、民権主義が積極的に国威主義的な思想に走ろうとする傾向があること、そして、遅れてきた列強国、欧米列強国と第三新興勢力との狭間にある国である、その微妙な立ち位置と自国への認識、またそれらの国際的な認識とズレ、といった点を考慮する必要があるだろう。

最後に、個人的に面白いと思ったのは、著者の松岡洋右に対しての評価である。松岡洋右と言えば、満州事変後、日本が国際連盟を脱退する際に日本側の全権を務めて脱退演説をした人物として有名だ。私が読んだ船戸与一の『満州国演義』シリーズでも、積極的に日独伊軍事同盟を推進し「自己顕示欲の塊り」と罵倒されていて、ゴリゴリ戦争推進派のように思われている人物である。この松岡について、著者は、彼が国際連盟脱退ギリギリまで、譲歩と妥協策を探って本国の外相に打った電報の内容を紹介している。

申し上げるまでもなく、物は八分目にてこらゆるがよし。いささkの引きかかりを残さず奇麗さっぱり連盟をして手を引かしむるというがごとき、望みえざることは、我政府内におかれても最初よりご承知のはずなり。日本人の通弊は潔癖にあり。[中略]一曲折に引きかかりて、ついに脱退のやむなきにいたるがごときは、遺憾ながらあえてこれをとらず、国家の前途を思い、この際、率直に意見具申す。

どうですか。どうも私は松岡に甘い、と日頃教えている学生にもよくいわれますが、これだけの文章を、連盟脱退かどうかという国家の危機のときに、外相にかけるというのは立派なことだと思います。物事はなにごとも八分目くらいで我慢すべきで、連盟が満州問題にかかわるのをすべて拒否できないのは、日本政府自身、よくわかっておいでのはず。日本人の悪いところはなにごとにも潔癖すぎるとことで、一つのことにこだわって、結局、脱退などにいたるのは自分としては反対である、国家の将来を考えて、率直に意見を申し上げます、このように、松岡は内田に書く。

これだけ読めば、「自己顕示欲の塊り」どころか、至極真っ当で現実的な妥協案を、国家の危機の際に、上からの重圧や批判を恐れずにはっきりと提案できる、非常に真剣で真面目な外交官の姿が浮かび上がってくる。しかし、この必死の提案は受け入れられず、翻って彼は、自分の意志と真っ向から反対する堂々たる連盟脱退宣言をして見せるのである。歴史的人物の評価というのはとかく難しい。個人的感情や事情を表に表さない旧日本男児については、なおのこと、という思いを強くするエピソードだった。

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