書評・小説 『流』 東山 彰良


これ、めちゃくちゃ面白かった!『世界の8大文学賞』で、直木賞受賞作品の一つとして紹介されて以来気になっていたが、なんとなく、ハードボイルドそうなイメージがあって、長い間積ん読本にしていた。こんなことならもっと早く読めば良かった。

もうとにかく、なんですか、密度がすごいんです。1958年台北生まれの葉秋生(イエチヨウシェン)が主人公。中国本土から渡ってきた祖父が殺されたことをきっかけに物語が動き出す。と言うことで、台湾の歴史はもちろんのこと、中国本土との関係、日本との関係、戦争と政治、主人公のルーツ探し、それに70年代80年代の台湾の世界ーヤクザに軍隊に不良の集まる学校、怪しげな信仰や幽霊騒ぎーが描かれ、そこで繰り広げられるのは、アジア的家族、青春と初恋、友情のドラマ。社会の格差や文学とは何か、といった問題も垣間見せたかと思うと、祖父を殺した真犯人を探すミステリー的な要素が濃くなったり、軍隊やヤクザといったハードボイルドな要素が前面に出てきたり、それでいて、全体として主人公の実にナイーブな一面が鮮やかに描かれている。

とにかく、てんこ盛りの内容なのだ。もし私が小説家だったら、きっと、この半分、いや3分の1の内容でも書ければ十分だ、と思ったのでは無いだろうか。だけど、その盛り込み過ぎの過剰さがちっとも嫌味ではなくて、これでもかこれでもかと押し寄せてくるドラマとストーリーの熱気が、実に爽快なのである。

あと読んでいて面白かったのは、なんていうか、海外の翻訳小説と日本の小説のちょうど中間みたいな感じが味わえたこと。もちろん、良い意味で、だ。『世界の8大文学賞』で紹介されていた時には、直木賞受賞という観点から「アジアから見た日本」「(日本の)周縁」というテーマが取り上げられていたので、てっきりもっと台湾と日本の関係性が中心になっている小説なのかと思っていた。ところが、実際には、台湾の貧民街や市場や軍隊や民族信仰的なものなど、台湾の文化や社会を生き生きと描いているのが印象的だ。そういう意味では読みながらトリップできるような、言わば別世界を味わえる海外小説的なところがある。その一方で、主人公の青年の心理的ドラマ、初恋や青春、そのナイーブさ、そして何よりそれを紡ぎ出す文体や言葉自体が、いかにも現代の日本の小説、という感じがするのだ。

気持ちばかり先走ってなかなか思うようにできないわたしに、彼女は焦らなくてもいいと言ってくれた。もしもセックスがおたがいの気持ちをたしかめるためのものなら、もう充分にその目的を果たしたわ、と。

「それって、おれの考えてることがわかるってこと?」

「目を閉じててもわかりますよ」わたしの下で、彼女は子供のように笑った。「わたしたちはみんな、いつでもだれかのかわりなんだもん」

わたしが青島の街並みを眺めながら感じていたのは、よく書けている青春小説をよんだときのような懐かしさだった。縁もゆかりもない他人の物語に自分の少年時代を投影し、初めてとおる街角に個人的なほろ苦い思い出を見つけ、風のなかにきらきら光っているはずの夢や情熱に目を細めながら、わたしは自分に魔法をかけていた。そう、わたしの人生はこの大地に根ざしているのだという魔法を。そんな魔法は帰りの飛行機のタラップに足をかけたとたん、跡形もなく消えてなくなるだろう。だけど、ざっくばらんに言わせてもらえれば、それはなかなか素敵な感覚だった。

《ざっくばらんに言わせてもらえれば、それはなかなか素敵な感覚だった》のところなんてもう、まんま村上春樹の小説でも読んでいるみたいではないか。一昔前の時代の、それも異国に、タイムトリップしながらも、今ここの日本にいる現実の私たちに確かに繋がっている、という不思議な感覚。これは、この小説を一度読んでみないと味わえない、なかなかに説明が難しい感覚である。日本のいろんな世代の、いろんな立場の方に是非読んで見ていただきたい、そして感想を聞いてみたい、そんな小説なのである。

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