2007年公開、アメリカ・台湾・香港制作。台湾の鬼才アン・リー監督が、アイリーン・チャンの短編小説『色・戒』を原作に映画化。第64回ヴェネツィア国際映画祭にて金獅子賞、『アモーレス・ペロス』や『ブロークバック・マウンテン』などを手がけたメキシコの撮影監督ロドリゴ・プエトは、本作で撮影賞を受賞した。第二次世界大戦中、日本占領下の上海と香港を舞台に、権力を握る男と、その男の暗殺を目的に男の愛人になりすました女との、息詰まるような関係が描かれる。
日本軍と結託して上海の陰の実力者となった男イーを暗殺しようと、抗日運動家の若き女性ワンは、彼の妻の友人として徐々に近づいていく。イーは非情で自分に逆らう者を悉く抹消してきた男で、常に命の危険にさらされているので、絶対に隙を見せず、油断もしないが、それでも徐々にワンとの関係にのめりこんでいく。屈折したでも激しい愛憎に満ちたイーとの逢瀬に、ワンもいつしか心が揺れていき、苦節4年がかりの暗殺計画が成就しようとする最後の最後で、ワンはイーに「逃げて」と一言明かしてしまう。イーはそれで全てが裏切りであったことを悟り、イーの命令でワンは暗殺計画の仲間と一緒に処刑される、というストーリー。
この作品は、ヴェネツィア映画祭で金獅子賞と撮影賞を受賞したと同時に、激しいベッド・シーンが話題になった。確かに、一流俳優がここまで?と言うくらいには中々過激だったが、これらのシーンはこの映画には欠かせないものだ、ということは、観ればよく分かる。イーは毎日死の危険にさらされ、反逆者や裏切り者を次々と粛清したり拷問まがいの尋問をしたりして、殆ど精神が破綻している男。そこに、暗殺計画に命を賭けた女が挑む。その死と狂気を目前にした、鬼気迫る緊迫した関係は、なまぬるい会話や関係では伝わらない。
「彼を甘く見ないで。彼は誰よりも鋭く嘘を見抜く人よ。私の体だけでなく心の中にも蛇のように忍び込んでくる。奴隷のように受け入れるしかない。身も心も投じれば、私も彼の心の中に入れる。毎回、痛みのあまり私が血と涙を流すまで、彼は満足しない。それで初めて生きていると実感できる。暗闇の中ではそれだけが真実だと知っているのよ。」
イーとの関係をもっと深めろ、と命令する抗日運動家の上官に、ワンが言う言葉。二人の繰り返す激しいベッドシーンは、殆ど暴力的なまでの荒々しさだ。どんなに愛欲に身を焦がしても、相手を信じられない。でも愛欲から逃れられない。この緊迫した男と女の関係を、主演者たちは見事に演じ切っている。
男優トニー・レオンはさすがのベテラン芸、という感じだが、主演女優のタン・ウェイは、この映画のために1万人のオーディションから選ばれた新人女優。この人が見事で、映画の中で、これ同じ人?と思うくらい幾つもの顔を使いわけてくる。抗日活動に目覚める前のあどけない女子大生の顔があるかと思えば、イーに近づく時にはいかにも若き女スパイといった妖艶さと鋭さを漂わせ、激しいベッド・シーンでは惜しげもなく裸体を晒し、まるで年増女のような貫禄と生々しさを見せる。この七変化は見ものだ。
それにしても、私が最後に受けた印象は「男の方が何だか可哀想」というもの。いや、「女のワンの方が、全然体は張ってるんだけどね(笑)
彼女は、大学生の頃からこの暗殺計画に加わるのだが、当時はまだ男を知らない体。イーには貿易商の人妻、ということで近づいているので、イーと関係を持った時に処女ではまずい、と言うことで、好きでもない活動家の仲間の一人と、セックスの訓練までする。でも結局、その時点ではイーは誘惑に乗らず、その苦労さえ無駄になってしまうのである。で、3年後に再び暗殺計画に参加し、身も心もイーに捧げた挙句に、最後は射殺。
ただ、彼女は、もともと抗日運動に参加したのも、政治的な固い意志というよりも、若い同士の仲間に寄せる淡い想いがきっかけだったりして、そこには始めから情に生きる女の匂いがするのである。だからまあ、こうなってもしょうがないか、という感じがしてしまうのだが、イーの方は、殆ど気も狂うような孤独と緊迫感の中で生きてきた末に、最後の最後で心を許した女の裏切りを知る。絶対に警備のゆるい場所には近づかない用心深い彼が、ワンを喜ばせるために6カラットの特大ダイヤの指輪を注文し、その店に立ち寄ろうとするのが暗殺の最大のチャンスを呼ぶのである。そこで裏切りを知る男。ああ男って、やっぱり愛欲には弱いのね・・・と、だらしなさではなく哀切を感じさせる、中年トニー・レオンのいぶし銀の演技である。
ちなみに、原作の『色・戒』は、王兆銘政権下の特工総部(ジェスフィールド76号)の指導者であった丁黙邨(ていもくそん ディン モーツン)の暗殺を狙った鄭蘋如(ていひんじょ、テン・ピンルー)をモデルとしている。彼女をモデルとした小説は、中国だけでなく日本でも書かれている。実際のエピソードについては、船戸与一の『満州国演義』シリーズ第6巻でも触れられている。
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