『名誉の戦場』 ジャン・ルオー


先日記事を書いた、池澤夏樹撰世界文学全集の『アデン、アラビア』と同じ巻に収められていた作品。

著者はジャン・ルオーというフランス人の作家。作家の名前も作品の名前も初めて目にしたのだが、本国フランスでは名誉あるゴンクール賞に輝いている。
物語は、フランス・ロワールに住む一家の歴史を綴ったもの。無口で頑固者で偏屈なおじいさん、そのおじいさんとポンコツ車のことでいつも喧嘩している豪胆なおばあさん、そして、永遠の貞操を守ったまま、無数の聖人のご利益に守られて慎ましく暮らしているマリーおばちゃん・・・子供である主人公の目を通して、フランス人らしいユーモアとシニカルさを交えた語り口で、一家の歴史が語られていく。
面白いのは、時の流れが逆行するかたちで物語が進行していくことで、冒頭に、おじいさんやおばあさんやマリーおばちゃんの最期の日々や様子がこと細かく語られる。物語を読み進めるうちに、色々な過去や家族の歴史がわかってくる。ユーモラスな語り口と流れるような筆致に心地よく浸っているうちに、一家に暗い影を投げかけている戦争(第一次世界大戦)の姿が徐々に浮かび上がってくる。文章の流暢さと物語の構成の巧みさが見事に組み合わさった作品である。翻訳も悪くは無かったですが、原文で読めばさらに素晴らしかったことだろう。
印象的だったのは、冒頭に出てくる湿潤なロワール地方の美しい雨の描写と、終り頃に出てくる戦争の塹壕に降る雨の描写との対比。前者では、詩のように美しい響きで故郷の平和をうたい、後者では、戦争に倒れてゆく名も無い人々の悲惨さをありありと描いている。酷い戦争の場面、最後の最後で思い出す、冒頭で語られた故郷の雨の美しさが、なんとも切なく胸をえぐる。
雨はきわめて明確なサインによって、その到来を予告する。きりっとした冷たい西風。陸地の奥まではいりこんで、耕した畑に綿の玉のように点々ととまるかもめ。夏ならば、つばめたちが軒先をかすめ、庭のなかをさえずりもせずに注意深く旋回する。木々の茂みは風に揺れてざわめき、小さな丸い葉が狂ったように震える。男たちは白と灰色のまだらの空を見あげ、女たちは取りこんだ洗濯物を両手いっぱいにかかえる(海風で乾かしたシーツはなにものにもかえがたい-ヨードと塩分の入り混じったホメオパシックな空気が繊維のあいだに滲みこんでいる)。物干しロープに置き去りにされた色とりどりの洗濯ばさみは、鳥小屋のなかの小鳥のようだ。砂場で遊ぶ子どもたちがママに呼びもどされ、顔を洗う猫は前足を耳のうしろでまでまわす。そして、気圧計のガラスのドームを爪の先で二、三度たたけば、針はあっという間にさがってしまう。
そして突然、なんの前触れもなく・・・雨が降っている。雨は滑稽なほど勢いよく降る。速い楽しげな音をたてる、どこか子どもっぽいどしゃぶり。まっ昼間に打ちあげられる花火のように、試し降りとも思える雨には、道の幅さえあれば充分だ。足もとから三歩先の石畳は乾いている。きみはポーチとか店先の雨よけの下に駆けこみ、戸口に大勢ぎゅう詰めになって雨宿りする。だれもこの雨を恨んではいない。その証拠に、人びとは髪から水を垂らしながら、ほほえみを浮かべておたがいを見つめ合う。これは雨じゃない。かくれんぼ、猫とねずみごっこだ。それにほら、息を整えているうちに、空は青みがかった陽気な気分を取りもどす。光が射し、きみはもう怒ってはいない。
騒音がやんだとき、風は静寂のなかに死にゆく者たちのうめき声を伝え、これらずたずたにされた生命の声にだまって耳を傾ける意気阻喪した生者たちの肉のなかに、そのうめき声を預言者の啓示のように刻みこみ、最後のひと息のなかに消し去る。夜はもはやあの心の休息、あの言葉につくせぬ逸楽の平和ではなく、待機の時、引きのばされた死の時、黒く汚れた顔たちの時、喉をかき切られているのを早朝に発見された歩哨たちの時、罪深き眠りの時だ。・・・終りなき雨は原罪のしみを繰り返し繰り返し洗い流し、大地を汚水溜に変え、砲弾のあけた穴を満たし、重い装備を背負った兵士たちをその穴のなかで溺れさせる。塹壕のなかを小川となって流れる雨。砂の防御壁を崩し、えり首や靴から滲みこみ、ラシャ地の軍服を重くし、骨を溶かす雨。もはや世界は一個の海綿、苦悩にあえぐ魂のための地獄の沼にすぎぬとでもいうかのように、地球の中心にまではいりこむ雨。そして、ようやく・・・輸送隊の上に降る雨。救急車の幌を静かに打つ雨は、突然心鎮めるもの、ほとんど親しみ深きもの、ライトに照らされ無数の小さな蛍となって輝く。路面の上をリズミカルに跳ねる月の真珠。薄暗い街をいくつも通り過ぎ、そしてトゥールに近づくと、薄明の訪れとともに、古きフランス王家の花壇の足もとを流れる河の河床にすべりこんでいく。
この作品は、五部からなる作者の半自伝的作品の中の第一部にあたるそうだ。中心となる舞台は、おじいさん、おばあさん、その兄妹たちが中心となる第一次世界大戦。第二部、第三部では、主人公の父親が第二次世界大戦に徴集される。大きな二つの戦争に翻弄され、引き裂かれる、一家族の物語・・・いつか、続編も読んでみたい。

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