『終りの美学』をお得に読む
森瑤子、最晩年のエッセイである。
彼女のバブルでスノッブなイメージが最高潮に達していた時で、エッセイの中身もとてもじゃないが、洗練さ、奥深さとは程遠い。文章が上滑りで、自己陶酔的だし、おのぼりさんや一般人に対しての優越感とか批判とかも混じっていて、読んでいて正直あまり気持ちの良くないところもある。
病に倒れる直前の彼女の多忙さは、ちょっと常軌を逸している。「リゾート便り」という、旅行記のようなシリーズが掲載されているのだが、1、2年の間に旅したのは、ニューヨーク、バンコク、イスラエル、カサブランカ、バルセロナ、彼女が島ごと購入したバンクーバーの無人島、ハワイ。おそらく入院する前年に書かれた「風の噂」というシリーズでも、三週間の間にオランダ、ミラノ、ピエトラサンタ、トレント、ミュンヘン、ニューヨーク、サンフランシスコ、バンクーバーを巡ったかと思えば、『風と共に去りぬ』の続編『スカーレット』を翻訳するためにアトランタを訪ねたりしている。
しかしまあ、スノッブだ、成金趣味だ、と言われようと、ゴージャスな旅行エピソードの数々は、やっぱり読んでいて面白い。ニューヨークでは、早朝からホテルにリムジンが迎えに来て、ピンクシャンペンを飲みながらレインベックにあるアメリカで一番古い宿屋でブランチを食べに向かう。香港では、チンチン電車を貸し切って、マンダリン・ホテルで作らせた小さなコルネ型のパンケーキに極上のキャビアを詰めて、極上のシャンパンと一緒に楽しみながら、夜風に吹かれる。バンコクでは、定宿のオリエンタルホテルで、衝動買いしてしまったビーズ刺繍の白いブラウスを身につけ、ホテル主催のカクテル・パーティーに参加し、そこで知り合ったアメリカ人男性編集者とちょっと危険な夜を過ごす。カサブランカでは、国王のボディガードに守られながら、アラブ風ホテルのスイート・ルームにチェックインした後、モロッコ大使の大邸宅に招かれ、ラマダン後の果てしなく続くご馳走を堪能する。バルセロナでは、サグラダ・ファミリアの建設に関わっている日本人建築家にガイドしてもら、地元のスペイン海鮮料理屋で、ウナギの稚魚と白ワインに舌鼓を打つ。
こういうゴージャスさを求めて仕事に旅行に社交に、身をすり減らしたことが、彼女の命を縮めたのだ、という人もあり、確かにそういう面もあるかもしれない。しかしまあ、森瑤子が経験したこういう旅行の一度でも、いやその素敵な一夜でも、味わうことを知らずに一生を終える女性がたくさんいるのだ。こんな経験ができるなら死んでもいい、と思う人だっているかもしれない。それくらい、ゴージャスが徹底しているし、なんていうか、密度と熱気がすごい。
ただ、ゴージャスな旅の合間にも、度々、筆者自身が身体の不調に見舞われ、折角のご馳走を食べられない、という場面が出てくるのが、後の闘病を知っている読み手からすると、実に切ない。狂騒的なほど華やかなプライベートから一転、最後のエッセイは、病気休暇と家族バラバラで過ごした大晦日の話で締め括られる。
巻末の解説は、森瑤子が最後まで公私共に全てを任せ切った秘書である本田緑が書いている。森瑤子から「ドーリー」という渾名で親しまれ、余命3ヶ月と知った彼女が、ホスピスの選定まで任せたほどに信頼していた人物である。本田緑の解説によると、森瑤子は、このエッセイをホスピスの中で纏め、そのゲラの仮タイトルに『終りの美学』というタイトルを自らつけたという。
見た瞬間、自分の目を疑った。思わず動揺してしまった。そして何故か異常なほどの怒りを自分の中で感じたのを今でも覚えている。
93年7月6日、森はとうとう「終りの美学」の主人公となって、この世を去った。
森流の「終りの美学」で、森自身が人生の終りをどう飾り、どう幕を閉じるかと、日々葛藤しながら・・・
愛する家族との別れ、友との別れ・・・
私が“神様お願い、どうかこの人を遠くへ連れて行かないで“と叫んでいるのを知っているのに。
「終りの美学」。響きは本当に森らしい・・・しかし私の愛する人が、避けることのできない“死“に直面しているとなると“美学“なる響きはセルフィッシュで悲しげに聞こえる。
島崎今日子のノンフィクション『森瑤子の帽子』によると、この「ドーリー」こと本田緑は、NHKに勤める父の赴任先のニューヨークで十代を過ごし、上智大学の外国語学部を卒業した帰国子女。森瑤子とパーティーで知り合った際も、「その頃の私はまだちゃんと日本語が読めなくて、そんな本、読んでいませんよという感じだったので」と語っていた。本書の解説文も、日本語としてはちょっと稚拙なところがある。でも、その彼女の文章で、森瑤子の流麗な文章で綴られたこのエッセイのタイトルを見て、《異常なほどの怒り》を感じ、《セルフィッシュ》だ、と感じた、と書いているのが、なんとも真に迫っていて心を打つ。
彼女のしばしば過剰と言える作家としての演出は、結局、彼女のお葬式まで続いた。ゴージャスな生活の裏で莫大な借金を抱え、身体を壊しても書き続け、ホスピスでもインタビューを受けたり、編集者と仕事をしたりした。その狂奔ぶりを、篠田節子が『第4の神話』で描いたように、空虚さと隣り合わせに捉えることもできるかもしれない。或いは、島崎今日子が描いたように、バブルの熱狂と作家の情熱、と捉えることも。多分、どちらも少しずつ正解なのだろう。本田緑の、“神様お願い、どうかこの人を遠くへ連れて行かないで“という切なる叫びと、“セルフィッシュ“だと感じた怒りとが、共に真実であるように。
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