丸山健二は、知る人ぞ知る小説家である。
1966年に『夏の流れ』で第23回文学界新人賞受賞、翌年、同作で芥川賞を受賞。芥川賞を受賞した時は23歳で、これは2004年に綿矢りさが19歳で記録を更新するまで、40年近くにわたって芥川賞最年少記録であった。その後も谷崎潤一郎賞や川端康成文学賞などにノミネートされ、文学界の寵児的存在だったにも関わらず、やがて日本の文壇と一切の関わりを絶ち、故郷の長野県に移住。精力的に作品を執筆し続ける中、自身の文学賞や出版社を立ち上げるなどして、日本の文学界の主流とは一線を画した活動を続けている。
・・・とエラソーに語ってみたが、実は私は日本文学には疎いので、丸山健二の存在については全く寡聞にして知らなかった。偶然、三浦しをんの本のエッセイで取り上げられているのを読んで興味を持ったのだ。三浦しをんは私の読んだエッセイでも熱狂的に丸山健二の『水の家族』を褒めていたが、調べてみると、テレビ番組「スミスの本棚」やサイト「WEB本の雑誌」掲載のコラム「作家の読者道」でも繰り返しこの作品を取り上げているので、この作品の帯に書いてあった《大好きだし、とても大切に思っている作品》というのは本当のようだ。
一応、小説という分類には入れたが、普通のジャンルや分類には収まりきらない作品である。詩のようでもあり、散文のようでもあり、小説のストーリーラインのようなものもある。主人公の「私」が、水の流れとともに、その半生を振り返り、故郷と家族を辿っていく。主人公の「私」の意識は、水のように自由に流れ、迸り、還元する。いや、実は冒頭から「私」の肉体は死んでいるから、それは厳密には意識ではない。水の生命力、清くなり太くなった次の瞬間には汚れて落ちていくその変幻自在な姿を、奔放なイマジネーションと汲めども尽きぬ泉のように豊潤な言葉と文章がつづっていく。
草葉町、餓鬼岳、忘れじ川、天の灘、狐小路・・・どこかおとぎ話のような、どこか聞いたことのあるような地名。大きな海亀、風に踊る竜の連凧、重たい網を引く漁船、集落の大水車と変質者の死体、山小屋で朽ちていく死体と楠の大木の元に埋められた聾唖者の少年・・・生き生きとしていると同時に幻想的で、時に残酷な様々なモティーフ。
正直、私はこういう日本の、閉塞的かつ土着的な貧しさ、みたいな感じは苦手だ。私はたぶん、日本の寒村や山村では生きていけない。もしかしたら、前世でそういうところで酷い目に遭ったのかもしれない、と思うような生理的な嫌悪感が先に立ってしまう。近親相姦とか、間引きとかが当たり前に行われるような、日本の寒村の暮らし・・・深沢七郎の『楢山節孝』は文句なしの名作であることは同意するものの、生理的に嫌過ぎて本当に鳥肌が立ったし、このブログでも取り上げた三枝 和子の『鬼どもの夜は深い』を読んだ後にも、何か前世からの因縁めいた嫌悪感を感じた。
けれど、この『水の家族』はその嫌悪感と同じくらい、文章の豊饒さに惹きつけられた。
私は終ったのではなく、始まったのだ。
そうとしか思えない。そうとしか思えない光景が今、私の真下に伸びやかに人がって輝いている。昇り竜を思わせる忘れじ川、その上流で休まずに火口から水蒸気を立ち昇らせている餓鬼岳、下流で大量の真水を呑み続けている天の灘、川向うを隙間なく埋めている桃園、城址公園を中心にして四方八方へ延びている大小さまざまな道、緑色の麦畑、水色の田、金色の菜の花畑、住宅街と繁華街・・・草葉町のすべてが、私の三千メートル下に横たわっている。
こうして、主人公の「私」は水となって全てをかけめぐる。草葉町、餓鬼岳、忘れじ川、天の灘、狐小路といった、具体的で抽象的な架空の固有名詞で位置づけられたすべての場所、そして、実の兄の欲望に汚され誰とも知らぬ男の子を産んでもなお力強く美しい妹、やくざな仕事に手を染めて命を危険にさらす弟、愚直に家を継いで妻に裏切られる兄、心を病んで床についたままの母、山に籠って生きる祖父と毎日欠かさず小舟を漕ぎ出して網をかけ漁る父といった家族の間をめぐっていく。流転する生命、そして生きることの汚濁と清涼と力強さを、水は全て体現する。そのイメージと表現力の力強い奔流に、読む者もまたある時はたゆたい、ある時は翻弄される。
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