書評・小説 『夫婦善哉』 織田作之助


田辺聖子の『ほっこりぽくぽく上方散歩』は、古くは万葉集から現代では庄野潤三に至るまで、本当に様々な文学の縁を紹介していて、とてもおもしろく読んだのだが、中でも印象的だったのが、田辺さんお得意の大阪「キタ」で織田作之助所縁の地をめぐる章だった。日本近代文学にとんと疎い私なので、人気漫画『文豪スレイドッグズ』にも登場するほど有名な「オダサク」の名前だけは聞いたことはあっても、作品は一度も読んだことがない。この本の中で、『夫婦善哉』の話が何度も出てくるのでどうしても読んでみたくなった。

大阪のキタで鳴らした芸者の蝶子と、化粧問屋の妻子持ちどら息子の柳吉が駆け落ちし、次々商売をするものの失敗しを繰り返し、喧嘩をしては元鞘に戻り・・・という顛末を描いた短編である。

日本ではこの作品ことのほか人気があり、1955年の豊田四郎監督作品を皮切りに何度も映画化・ドラマ化されている。なんと言っても、重要なのはキャラクターで、優柔不断で金にだらしなく旨いものに目がなく全く商才のない柳吉もさることながら、しっかり者で商売上手の愛嬌よし、根性ありと揃いながらも、どうしようもない柳吉への執着から逃れられない蝶子の役どころが難しい。歴代の蝶子役を見てみると、皮切りの映画は、淡島千景から始まり、テレビドラマでは、扇千景、中村玉緒、泉ピン子、森光子、浜木綿子、黒木瞳、と錚々たるメンバーである。

しかし、実際に小説を読んでみると、これだけの名女優を揃えても、イメージ的に帯に短し襷に流し的な物足りなさを感じてしまうのは私だけではあるまい。それくらい、蝶子のキャラクターというのははっきりしているようで難しい。

若い頃の淡島千景じゃ美人過ぎるし、中村玉緒や森光子は人情味はあるけどちょっと逞しさに欠けるし、泉ピン子じゃ華が足りない、などなど。扇千景や浜木綿子は、往年の貫禄を加味するといい線いきそうな・・・とか、まだ観ていないのに、色々想像するだけで楽しめてしまう。

自分一人でヤトナ芸者(決まったお店のない臨時雇いの芸者)でもカフェのマダムでも稼いでいけるだけの器量も才覚もあるのに、どうしようもない柳吉を見捨てられない。それだけだと、一方的に貢いでいる薄幸の美女のように思うかもしれないが、浮気したり金を使い込んだりして帰ってきた柳吉を、ヒーヒー言うまで折檻するような野蛮なところもある。逞しさとふてぶてしさと愛嬌、豪放さと野卑と人情味。

田辺聖子は、『ほっこりぽくぽく上方さんぽ』で、「蝶子は大阪男の究極の(母親&妻やくとしての)理想像」みたいに書いていたが、こういう蝶子の役どころ、これだけ自立してたくましいようで男と切れない心理とか、現代の男性と女性には、中々分かりづらいのではないだろうか。しかしまあ、これだけ何度も映画やドラマで愛されてきたことを思うと、おそらく日本人男性の深層心理には、こういう理想像が隠れているのかもしれない。はっきり言って、多くの日本人男性に巣食っているロリコン好きよりもタチが悪い気がする。おお恐ろし・・・

それにしても、織田作之助の作品、初めて読んでみたが、『夫婦善哉』以外もとても面白かった。事物の具体性、物語の語り口、ストーリーラインの緊張感、どれも独特で、太宰治と並び称賛されるも肯ける。私は、ご承知の通りスノッブ派なので、日本の貧乏くさい暗い話は生理的に好きではない。それでも、織田作之助の作品に漂う、人情という言葉で片付けるにはあまりに哀れであまりに寒々しい人々の様子、貧困や病魔の潜む市井の人々の生活、でもそこに紡ぎ出される弱さとユーモア、というのが、不思議とじんと心に響いてきて、そこから離れない。そして、それは、決して生理的に嫌いな感覚ではないのだ。織田作之助って、とっても不思議な作家である。

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