書評・小説 『情事』 森 瑤子


私が初めて森瑤子を読んだのもこの本だったと思う。多分、当時は中学生だったから、主人公の人妻の心とか一夏限りの情事の切なさとか、分かったつもりで何も分かっていなかっただろう。ただ、文体の流麗さ、大人たちの、夜の、洒脱でアンニュイな六本木の街の雰囲気、そういうものに浸っている愉悦があった。その後も、森瑤子の作品を幾つも読んだが(本作品を含めて、幾つかは母の本棚から勝手に拝借してきたものだ)、『情事」は特に印象深い作品として記憶に残っている。

森瑤子38歳のデビュー作。35歳人妻の束の間の「情事」を描いた物語で、1978年「すばる文学賞」を受賞した。《夏が、終わろうとしていた》から始まる、サガンを彷彿とさせる翻訳調の文体。六本木で暮らす外国人達、軽井沢や秋谷の別荘、夜ごとのバーで繰り広げられる洒脱な会話。

久しぶりに読み返してみて、内容よりもまず、その文体に惹きつけられた。本当に、サガンやデュラスの文体とそっくりなのだ。特に、サガンとの関係は、この作品の発表当時から言われていたようで、後に、森瑤子自身も『美女たちの神話』というエッセイで、フランソワズ・サガンを取り上げ、こう述べている。

今からふり返って考えるに、私は多分、心の深くのどこかで、いつか小説を書きたいと、ひそかに決意をしていた少女だったと思うのだ。

その矢先にサガンが忽然と現れ、私の夢と希望も根こそぎにしてしまったのだった。つまり作家になる以前に、彼女は私からその芽をつみとってしまった。

私はこんな風に絶望的な思いで、自分に言い聞かせたことを忘れない。

ーサガンが越せないんだったら、小説なんて書いてもしかたがないじゃないのー

結局、サガンが私に与えたショックの後遺症は長く続いた。私は三十五歳まで、ペンをとろうとさえ思わなかった。それでもそのあいだずっと私は彼女の積極的なファンであった。サガンの本は全てひとつ残らず読んでいる。彼女は二年に一冊という割合でしか書かないので、ひどく待ち遠しい思いで次作を期待したのだった。

美しい文章は大学ノートに写したり、暗記する程読んだ。私自身の最初の小説『情事』が、いわゆるサガン調だと批評されたのは、おそらくそのためである。

『美女たちの神話』 森瑤子

森瑤子は多作で知られ、特に、彼女が亡くなる5、6年前からは「多筆」といよりしばしば「乱筆」と言われても仕方がないようなレベルだった。同じストーリーやモティーフの繰り返し、使い回しのセリフやシーンが目立つ。彼女がデビュー当初に書いた作品を読み返すと、当時はまだ随分丁寧にじっくり作品を書いていたんだなあ、と感じ、作品のもつ雰囲気の違いに驚くのだが、その中でも、特にこの『情事』は、それが顕著だ。

2019年、彼女の死後20年以上も経って、ジャーナリストの島崎今日子さんが『森瑤子の帽子』という本を出版した。この本は、家族から友人から、森瑤子の関係者にインタビューをして、彼女の生きた時代のその生き方を綴っている素晴らしいノンフィクションなのだが、最終章「「情事」誕生」で、このデビュー作誕生の裏側を語っている。

この本によると、森瑤子は、版画家の池田満寿夫が芥川賞を受賞したことにインスピレーションを受け、1977年の夏、突然この作品を書き始めた。一夏、三人の子供たちをほっぽりだして書き上げた彼女は、当時親友であった二人の女性にそれを見せ、一緒に何度も読み直して校正した。生涯の友人でもあり心の恋人でもあったデザイナーの亀海氏からの助言により、翌年のすばる文学賞に応募するまで、《原稿が手許似合った九ヶ月間、百回は読み直した》。

それだけ推敲を重ねた文章は、後半の彼女の作品にはない独特の雰囲気がある。でも、不思議と技巧的な文章には響かない。それは、作者がこの作品に注いだ並々ならぬ気迫が、読み手に伝わってくるからかもしれない。『森瑤子の帽子』の最終章で、島崎さんは森瑤子が亡くなる直前のインタビューを要約してこう語っている。

「情事は、私自身の女としての人生の途中で溜まって溜まって溜まり抜いたものが、喉のところからいきなり噴き出してしまったという感じで書いた小説です。後に私はそのことを「美しい嘔吐」「美しい吐瀉物」と呼びました。『情事』以降、『誘惑』『嫉妬』と続いて、現在まで何冊書いたでしょう。何十冊書いたかわかりませんが、「情事」以降の他の作品というのはすべて自然に噴き出したものではなく、自分の喉に指を突っ込んで無理矢理吐く、言ってしまえばそういう形で書き続けたものなんですね。

『森瑤子の帽子』 島崎 今日子

ある意味で、作家になってから後半生の彼女の膨大な作品は、初期の作品の幾つかをソフトに焼き直したようなものばかりで、彼女はずっと、『情事』というデビュー作の周りをぐるぐる回っているような印象すらある。手を替え品を替え、スタイリッシュな文章と感性で数多のストーリーやエッセイを次々と紡ぎ出していく作品群も、それはそれで面白いし、嫌いではない。しかし、『情事』が持っているエネルギーというのか、書き手の情熱、みたいなものは一種特別のものだ。それは、書かれてから何十年も経ってから、版に版を重ねた薄い文庫本を、彼女の娘よりもさらに後に生まれた世代の女性がふと読んでみても、伝わってくるパッションだ。本人が亡くなってから二十年以上も経ってなお、感覚的に揺さぶられるように伝わってくる、生々しさ。森瑤子がこれを書いた歳を過ぎてから読んでみて初めて、その情熱の強さが、同じ女性として、私の心を強く打った。それは或いは、文学的には正しくない感動なのかもしれないが。

島崎今日子さんの『森瑤子の帽子』は、ノンフィクションとして素晴らしい作品だが、生い立ちや家族との葛藤や友人や恋愛関係など、森瑤子個人の人生を、様々な角度から炙り出すように描きながらも、最後の最後で、『情事』というデビュー作の誕生、作家としての彼女の誕生にスポットをあてているところは、さすがだ、と思わされる。彼女の作家としての力量、そして作家としての森瑤子への敬愛を、共に感ずるところでもある。

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