1988年初版。東京に暮らす5人の女性、外資系OLをしながら作家を目指している聖衣子、才能ある女優で芝居に生きるサキ、雑誌の編集者で未婚の母の真利江、エステティックサロンでインストラクターをしている羊子、ピアノバーの演奏者伊佐子の、それぞれの恋と友情を描いたオムニバス長編小説である。
あらすじを読んですぐに、私も大好きだったアメリカのテレビドラマ『SEX AND THE CITY』(SATC)を連想した。以前、同じオムニバス形式の小説『TOKYO愛情物語』の記事でも、『SATC』を連想させる、と書いたけれど、こちらの方がより似ている。主人公たちは若くてもそれぞれ職業をもち経済的に自立している女性として描かれている。彼女の好きな言い回しで言えば、《自分で自分のめんどうを見られる女》だ。一応高校時代の演劇部の仲間ということになっているけれど、全く趣向も性格も異なるタイプの5人の女性たちの友情が描かれている。彼女たちは、今で言えば「女子会」的に都会のおしゃれなお店で集まったりもするけれど、普段からベタベタに付き合っているわけでもないし、(特に日本女性によくあるように)絶対にグループでしか付き合いをしないわけでもない。その場に応じて、いろんな組み合わせで会ったり、相談したり、ここぞという場面では助け合ったりする。この時だに、こういう自立した女性たちの依存し合わない繋がり、というものを描いた日本人作家はいなかったのではないだろうか。
もう一つ、興味深かったのは、主人公のうち唯一子供のいるシングルマザーの真利江を通して「働き恋する女の葛藤」を描いているところだ。彼女はしばしば、「恋に溺れて幼い子供を放ったらかしにする」というシチュエーションを作品の中で取り上げているが、この作品ではもっとリアルに具体的に真利江の真理や子供とのやりとりを描いている。今では珍しくないこのシチュエーションや葛藤だが、これを80年代に描いていた森瑤子はやっぱりすごいなあ、と思う。まだまだ、同じ年代の女性作家が、突然子供を捨てて出奔してしまうとか、そういう(今では)極端な女性しか描いていなかった時代である。
ドラマ『SATC』の原作『セックスとニューヨーク』のエッセイが『ニューヨーク・オブザーバー』紙に連載され始めたのは1994年かららしいから、まさか森瑤子さんが読んでいたはずはないが、あまりに似た設定にびっくりしてしまう。そして、アメリカでのヒットを受け、日本でドラマが流行し始めたのは2000年代に入ってからだから、やっぱり、森瑤子さんはちょっと早過ぎたなあ、と思ってしまうのだった。
おまけの森瑤子トリビア。森瑤子は具体的な映画や芝居作品を小説の中に登場させるのが好きだが、今回、舞台女優のサキが演じるのはテネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』で、これは、彼女の初期の長編小説『ジゴロ』と全く同じである。詳しくは『ジゴロ』の記事で書いているが、彼女はテネシー・ウィリアムズとその映画で主人公を演じたヴィヴィアン・リーが大のお気に入りのようだ。この作品では、テネシー・ウィリアムズの他に、アメリカの劇作家ニール・サイモンの名前が出てくるが、ニール・サイモンも素晴らしい脚本を書くので、テネシー・ウィリアムズと並んで、読んだことがない方はぜひ一度お試しください。
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