書評・ノンフィクション 『森瑤子の帽子』 島崎 今日子


『森瑤子の帽子』をお得に読むには

本に限らず、絵画や音楽についても、基本的に作品は作品だけで判断すればいい、という派なので、作家論というのには平素全く興味を持たないのだが、森瑤子だけは、篠田節子の『第4の神話』を読んだせいか、返って彼女の本当の姿が気になってしまった。『第4の神話』で「死後5年で忘れ去られる」と自ら予言していた作家だが、森瑤子の本も名前も全く見かけなくなって二十年以上経ち、折しも昨年(2019年)、ジャーナリストが森瑤子のノンフィクションを書いたと知り、思わず手にとってしまったのだった。

冒頭の山田詠美へのインタビューから始まり、森瑤子の夫と3人の娘、彼女の公私を支えたアシスタントやマネージャー的友人、カウンセラーの河野貴美代、佐野洋子・五木寛之、大宅映子、近藤正臣、北方謙三、川村二郎や見城徹などの著名人に至るまで、彼女を直接知るさまざまな人の証言から浮かび上がる作家森瑤子のポートレイト。

著者はジェンダーを題材にノンフィクションの作品を書いているようだが、ジャーナリストらしい切り口で、森瑤子の色々な面を切り取って見せてくれていて、とても面白かった。森瑤子の作品自体は、かなり一面的なところがあるが、それだけでは中々見えづらい、彼女の心理と人生の複雑で重層的なところがよく伝わってくる。

保守的な英国人気質で、何十年経っても日本語を覚えず、いくら彼女が有名で多忙になっても完璧な主婦業を要求し、自分は次々事業に失敗して多額の借金を負い、彼女の死後も娘と遺産分配で揉めていたという、森瑤子周りではかなり悪評高き夫アイヴァン・ブラッキン氏。彼でさえも、長女のヘザーや学生の頃から彼女をよく知り公私を支えた友人である小野寺暁子らの話を聴くと、また違った姿が見えてくる。森瑤子がインタビューで「生まれ変わったら今の夫とは絶対に結婚しない」と答えたとか、夫の事業の失敗や浪費を埋め合わせるために彼女は多作で多忙になり命を縮めたのだとか、お互いに恋人がいて仮面夫婦だったとか、ワイドショー的に切り取って結論づけてしまうのは簡単だ。でも、森瑤子が死に際に長女を枕元に呼び「ダディは寂しがり屋で女の人が必要だから再婚してもその人をいじめたりしないように」と忠告したこと、そして、ホスピスでの最後の日々を二人で公園で散歩したりヨットでワインを飲みながら思い出話をしたりしてロマンチックに過ごしたこと、彼女が亡くなってから十年間、彼はお酒を飲むたびに「ママに会いたい」と言って泣いていたことなどから考えると・・・玉虫色で、なんとも割り切れない複雑なのが、人生であり、家族であり、夫婦であるようにも思う。

この本を読んでいて印象的だったことが三つある。一つは、森瑤子がかなりコンプレックスの塊みたいな面を持っていたこと、二つ目は、デビュー前後の彼女を知る人証言には、「普通のおばさん」とか「良いおかあさん」というイメージを持っている人が多いこと、そして三つ目は、そういう風に色々印象が異なる十人十色の証言の中でも、森瑤子自身がわがままだったとか、感情的になったりとか、人に対して失礼で嫌な気持ちにさせるような言動をした、とかいうようなメッセージが全く出てこないこと、である。

芸大時代の友人で才能溢れるヴァイオリニストであった林遥子の名前を勝手にペンネームで使い、死に際に枕元に彼女を呼んで謝った、正真正銘セレブな外国人妻の波嵯栄聡子のファッションからタバコの吸い方、車の乗り方まで憧れて真似していて、友人には「聡子がいたから彼女は小説が書けた」とまで言われていた、といったエピソードからは、殆どストーカーに近いような友人への憧れと自己へのコンプレックスを抱えていた様子が伝わってくる。

逆に、それが篠田節子の『第4の神話』で描かれた作家像がピンと来なかった理由でもある。最初から「才能と魅力と環境に恵まれていたセレブ主婦作家」というイメージは、森瑤子にはあてはまらない。むしろ、あんなスノッブである種自己陶酔的な小説やエッセイを描き散らかすように生み出せるなんて、コンプレックスとエゴイズムの権化みたいにならなければ無理ではないかと思うのだ。ただ、強いコンプレックスを感じさせる一方で、彼女のことを人間的に悪く言ったり嫌ったりする声は極端に少ない。こういうことを考え合わせると、森瑤子自体はかなり意図的に自分自身で作家・森瑤子をプロデュースしたのだと思う。

ただ、戦略的に作家森瑤子をプロデュースしたと同時に、彼女自身がその虚像に飲み込まれ、過度な浪費や多作や社交などで、自分の命を縮めてしまったようなところも確かにある。彼女が抱えていた内面的な問題と共に、バブル期真っ只中、戦後の価値観に縛られ抑圧されてきた女性達の欲望の代弁者となって狂奔させられた、といった側面も、著者は浮き彫りにしている。

山田(詠美)は、森自身のプロデュースによる告別式にも出ず、ホテルの自室で一人シャンパンを開けて、大好きで大切な先輩作家の死を悼んだ。

「日本中が、あんなお金を投げ捨てるように使ってきらびやかなものを手に入れた時代は他にはないし、森さんのような人も他にはいません。時代と彼女がぴったり重なったんですね。ゴージャズであることに勤勉で、一所懸命ゴージャスやって、きっと、疲れちゃったんですね。」

斜陽に向かう前の出版業会はバブルの恩恵を受け、潤っていた。中でも森の文庫本は、初版三万部が普通だったこの時代で五十万部という数で売れており、納税額からして後期五年は一億円前後の所得はあったと推察される。だが、支出は膨らむ一方。カード文化の始まりの時期でカードの支払に追われ、電話が止められることもしばしば、自転車操業のやりくりの中で書き盛りの作家が身を削って書いていた。

森は、十分に家庭を顧みられない後ろめたさから家族のためにお金を使っていることに極めて自覚的であった。けれどシャーンには、嗜癖のような浪費、湯水のような出費こそが作家の大きさと思えた。

「負債を抱えるという刺激が創造性を逞しくする。あの人は負債を抱えるということが刺激だったんですよ。僕はそれを痛切に感じました。僕だったら明日のこともちょっとは考えるし、絵を描いていてご飯を食べることを忘れたなんて一回もないからね。僕らはせいぜい鉄板の上で手を炙る程度だけど、森さんは直火の中に手を入れてるようなもの。すごいなと思った。負債が才能。羨ましいですよ」

森瑤子が書こうとしたものは、バブルだけではない。女性の人生観や価値観、母や妻というだけの役割からの解放、男と女の分かり合えなさ、夫婦や親子の葛藤、そして贅沢や恋愛を浪費したところに残る空虚さや孤独。そういう普遍的なテーマがあることが、彼女の死後二十年以上が経過しても根強いファンがいる理由だろう。それと同時に、こんなにバブルを代弁し、バブルを駆け抜け、それと共に弾けた人生を送った作家もいない。日本がバブルから離れれば離れるほど、時間が経てば経つほど、それもまた、彼女の神話と魅力の一つになっているのかもしれない。

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