書評 『図書館 愛書家の楽園』 アルベルト・マングェル ①


レビューの冒頭からこんなことを言うのは何だぁ、この本の内包する世界を言い尽くすには、私の技量ではとても無理だ。
ただ、本を愛する人間にとって、こういう本を読み、こよなく本を愛してきた人間たちとその歴史について想いを馳せるのは、至上の喜びと言えるだろう。
邦訳すると「図書館」となってしまうのだが、原題は「The Library at Night」。英語で言うLibraryは日本語で言う図書館のほか、書斎や書庫など、すべからく本が集まる場所をさす広い意味を持っている。つまり。この本は、ただ図書館にまつわる歴史やエピソードをまとめただけではなく、書物を愛してやまない人間たちの過去と現在と未来を語り、もっと言えば書物というものが包含している人間の歴史と世界そのものを描き出してると言える。

書物を巡る人間の歴史と世界・・・という壮大なテーマながら、それは系統立ち秩序立てられた研究書では決してない。

著者マングェルの筆は、まさに縦横無尽に古今東西のさまざまなエピソードの間をかけめぐる。共通するものはただ、Libraryそして書物と人間という漠としたテーマだけ。それがどんなに自由奔放な様子なのか、第一章「神話としての図書館」で著者が自身の書斎について述べた文章を読んでいただければ少しは想像がつくかもしれない。ちょっと長いが引用してみよう。

昼のあいだ、書斎は秩序に支配されている。活字を追いながら、私は明瞭な目的をもって動き、一つの名前や一つの声を探しながら、割り当てられた区画や書棚を追って、次々と本を開いていく。・・・だが、夜になると雰囲気は一変する。物音は遠くなり、頭のなかにあふれる思考が声高に語りだす。「夜になって初めて、ミネルバの梟は飛ぶ」とヴァルター・ベンヤミンはヘーゲルの言葉を引用している。覚醒と眠りの中間地点に近づいたように思えるその瞬間、世界はふたたび居心地よく感じられる。体の動きはいつのまにかひそやかになり、秘密の活動に従事しているような気になる。幽霊か何かになったようだ。いまや本はその正体をあらわし、読者である私は、ちらりと姿を見せる活字の秘儀に誘われて一冊の特別な本に手を伸ばし、特定のページを開かずにはいられない。夜になると、蔵書目録の定める秩序はもはや通用しない。・・・日々の制約から自由になり、夜遅く、誰の目にも触れない時間になると、私の目と手は整然と並んだ本の列のあいだを気ままにたどり、混沌を取り戻す。一冊の本が思いがけない別の本を呼びさまし、文化の違いと時代の壁を越えて、つながりが生まれる。ある本の一筋から、記憶の片隅に押しやられていた一説が浮かびあがるが、その連想がどこから来るのか、昼の光のもとでは説明できない。朝の書斎が見通しのきくまっとうな世界秩序をあらわすとしたら、夜の書斎はこの世界の本質ともいうべき、喜ばしい混乱をことほいでいるように思える。

本好きの人間が素晴らしい蔵書の並べられたLibraryをそぞろ歩く時の、或いは、人類の遺産と呼ぶにふさわしいような広がりと美しさを併せ持つ名作を読んだ時の、寝食を忘れ去る法悦に近いような気持ち・・・著者の自由奔放にはばたく想像力に一緒に身を任せながら、うっとりとこの本のページをめくる時の感覚は、それに似ているかもしれない。
マングェルの想像力は真昼の秩序を忘れて、幾多のエピソードの間をかすめて飛翔してく。「空間としての図書館」の章では、電子ライブラリーの可能性と限界に触れ、「影の図書館」の章ではスペインからの征服者たちがアステカ帝国のおびただしい文学的遺産の大半を破壊した行為を断罪し、「形体としての図書館」の章では、ミケランジェロがラルレンツィアーナ図書館の階段―――ヴァザーリが絶賛し設計したミケランジェロ自身が「夢のなかでみたもののような」と語った階段―――が、いかに完全性と欠落という二つの矛盾した理想を体現しているかを語る。「神話としての図書館」の章では、バベルの塔とアレクサンドリア図書館を象徴として人間のはてしない知識欲と多様性の奇跡について語り、「帰る場所としての図書館」では、コスモポリタン的理想と限界を超えて広がり続けるLibraryの宇宙について想いを巡らせる。各章で触れられるエピソードは一つではなく、ここに挙げられたものは何十にものぼる魅力的なエピソードのほんの一部である。ここまで書けば、私の拙い説明でも、少しはこの本の持つ広がりと魅力をおわかりいただけただろうか・・・

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