本書の美術についてのエピソードあれこれも面白いが、もう一つ個人的に興味を惹かれたのは、ルネッサンス美術の思想的な母体となった人文主義についてだ。
事実、中世末期から初期ルネッサンスにかけて、アルプスの北においては、文化の中心は城であり、したがってそこに育ったのは宮廷文化であったが、イタリア半島においては中心は町であり、したがってその文化は市民文化であった。学問も、北方では思弁的性格が強く、半島では実際的性格が強い。(略)自ら優れた神学者でありながら、きわめて実際的精神に富んでいたロッテルダムのエラスムスが、パリの知的世界に死ぬほどの嫌悪を抱き、逆にイタリアの仲間に強い親近感を覚えたのも、理由のないことではない。そして、世俗的、市民的文化としてのルネッサンスがまずイタリアで花開いたことも、実はこのような古代とのかかわり方に深い関係があるのである。
著者はイタリア・ルネッサンスの特徴をこのように述べ、イタリアの人文主義者たちが富と個人の力量の肯定とそれを公共奉仕・社会貢献に還元する、という現世肯定的価値観を打ち出したことを指摘している。それを代表するのが、アリストテレスの『経済学』を翻訳しフィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂に壮麗な廟墓が残されているレオナルド・ブルーニであり、『家庭論』や『建築論』で現世での仕事や公共の福祉の重要性を説いたアルベルティである。
しかし、《マックス・ウェーバーが「資本主義の精神」と呼んだもの》の萌芽が認められるイタリア・ルネッサンス人文主義の合理性・実利主義の裏には、全く違った一面がある。それが、本書で「占星術」や「人相学」などで取り上げられている、神秘主義的な側面である。本書では、先に述べたロレンツォ・ディ・メディチの息子たちの教育係にも任命された詩人アンジェロ・ポリツィーアノを取り上げている。《ポリツィアーノがその仲間の一人であったフィレンツェの人文主義者たちのあいだでは、この占星術が一種の「知的遊び」として流行していた》
ポリツィアーノが属していたのが、マルシリオ・フィチーノを中心とするいわゆるフィレンツェの「プラトン・アカデミー」であり、彼らがネオ・プラトニズムを標榜していたことはよく知られている。彼らの間では、占星術は天文学などに通ずるれっきとした科学分野に位置づけられていた。
吉村正和の『フリーメイソン 西欧神秘主義の変容』では、西欧の伝統的な神秘主義を大きく二つに分けて説明していた。一つは「ピタゴラスープラトンープロティノスーマルシリオ・フィチーノ(ネオ・プラトニズム)」と繋がる「ギリシア密教系」であり、もう一つは「占星術ーグノーシス主義ーヘルメス主義ーカバラ・錬金術」と繋がる「キリスト教系」である。だが、実際にはピタゴラスの数秘主義的思想はカバラや錬金術に大きな影響を与えているし、ネオ・プラトニズムが占星術に傾倒していたりと、それらは複雑に交錯し影響しあっているのが分かる。
また、ルネサンス人文主義を代表するようなフィチーノだが、フィチーノからピコ・デラ・ミンドラに繋がるネオ・プラトニズムが、まさにその庇護者であったメディチ家を衰退させる一つの原因となった、と主張しているのは『帳簿の世界史』のジェイコブ・ソールである。彼によれば、ネオ・プラトニズムの影響を受けたメディチ家の君主たちは、商業に批判的な態度を取るようになり、実務を離れて実業家から政治・知的エリートに変化していった。富と地位を手に入れた新興実業家が金勘定から離れて貴族化していくのは世の常ではあるが、ネオ・プラトニズムの神秘主義的かつ衒学的な側面がその一因を担ったというのは言えるかもしれない。中世とは違う、新しい実務的で現生的な価値観を標榜して起こってきたルネサンス人文主義が、ネオ・プラトニズムという神秘主義や抽象的理想主義に発展していく、という複雑で錯綜したところが、文化史・思想史の面白みだとも言える。
おまけ。最後に思わず苦笑してしまったエピソード。本書の第二章「一市民の日記」で、15世紀のフィレンツェの薬種商ルカ・ランドゥッチの『日記』について書かれている。読んですぐ、「おお」となった。このルカ・ランドゥッチの『日記』については、塩野七生さんが『神の代理人』の「アレッサンドロ6世とサヴォナローラ」で詳しく引用しているのである。高階先生は、このルカ・ランドウィッチを、イタリア・ルネッサンスの「現実をありのままに冷徹に見る視線」が、フィレンツェの一市井人にまで浸透していた、という実例として挙げている。果たして、章の最後にはこんな文章が出てきた。
サヴォナローラの事件を主題として取り上げたある作家は、その作品の中でルカ・ランドゥッチの『日記』を利用し、『日記』のなかでルカに、修道士に対する賛嘆の念を、感嘆詞入りの大袈裟な言葉で語らせている。フィクションだからと言ってしまえばそれまでだが、しかしそのような大仰な感情表現ほど、この『日記』の本質からほど遠いものはない。その作家の弁明によると『日記』の原文のままではあまりにも無味乾燥だから適当な潤色を施したということらしいが、しかし「無味乾燥な」事実だけを述べているからこそ、この『日記』は「現実」の持つ重みを持ってわれわれに迫って来るのである。
塩野七生さんの『神の代理人』では、このルカ・ランドゥッチの『日記』は、サヴォナローラを称賛する市民側の記述として、使われている。この「アレッサンドロ6世とサヴォナローラ」の話は、実在の史料であるアレッサンドロ6世とサヴォナローラの書簡やルカ・ランドウィッチの『日記』に、実在する法王秘書官バルトロメオ・フロリドによる虚構の日誌(ややこしい)を加えて、あたかも史料を読み解くようなスタイルで虚実ないまぜのフィクションに仕立てているところが面白いのである。小説家の塩野さんからすれば「ちゃんとフィクションだと断っているし、面白ければそれでいいのよ」というところかもしれないが、美術史家の高階先生からすれば納得いかないらしい。ルカ・ランドウィッチの『日記』をあくまで「史料」として捉えるか、小説の「材料」として捉えるか、の違いかもしれない。「歴史家」と「小説家」の求めるところの違い、とも言えるか。どっちつかずの私には、どちらも面白いし、こんな美術史大家と大小説家の隠れた諍いもまた面白い。
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