読書と書評一覧

書評・小説 『青が散る』 宮本 輝

いやー良かった。日本の現代作家の小説で、久々に浸りきって読んだ気がする。宮本輝も、森瑤子や村上春樹と同じく、母親の本棚から勝手に取り出して読み始めたのは中学生の頃、『螢川』より『泥の河』の方が好きだった。『錦繍』『優駿』『ドナウの旅人』に『花の降る午後』から『オレンジの壺』あたりまでの代表作は殆ど読んで、子供を産んでからは自伝的長編連作『流転の海』シリーズも読んだというのに、なぜかドラマ化までされたこの作品だけは読んでいなかった。きっと、一番ハマっていた頃に青春真っ只中過ぎて、かえって興味が湧かなかったのだろう。

お金持ちの多い阪急エリアに新設された私立大学に入学した主人公、アホみたいに(この「アホ」は田辺聖子さんが言う関西弁の愛ある「アホ」である)テニスに明け暮れる4年間の青春。とにかく、主人公だけでなく、登場人物全員が生き生きとしている。みんな若くて、その若さを持て余して、生き迷っている。変に、主人公やヒロインの心理描写に深入りし過ぎない、その青春群像劇な感じが良い。憧れのヒロインが黄色いベンツに乗って登校したり、香櫨園のテニスクラブで練習したり、ある意味でお気楽な「ええとこ」のお坊ちゃんお嬢ちゃん達のお話なのだが、恋に破れ、夢に破れ、友達が借金背負ったりヤクザに追われたり死んでしまったり、それなりに巻き起こる様々なドラマさえ、若さに昇華されていくところが、なんとも切なくて愛おしい。私はスポーツにはとんと御縁が無いが、主人公達が夢中のテニスの蘊蓄ですら面白い。特に、物語の後半、主人公が後輩だが技術はずっと格上の「ポンク」との練習試合に己の全てを賭けて戦うシーンは、熱血スポーツファンには程遠い私でもページから目が離せなかった。

「今日は何が何でも勝つんやぞォ。どれだけマッチポイントを取られても、逃げて逃げて逃げきって逆転するんや。テニスは、マッチポイントを取ってからが苦しいんや。一流も二流も関係ない。あきらめるやつが下で、あきらめんやつが上や。そやから二流の上は、一流の下よりも強いんや。」

若さが痛いほどの主人公だが、彼を取り巻く「大人の男」達の背中が見え隠れするのもいい。「人間は、自分の命が、いちばん大切よ」というフランス人菓子職人のペール、「人間は死ぬよ。哀しむべきことやない。ただ、人が死ぬということは寂しい。そやから人生はやっぱり寂しいもんなんや。しかし、俺は生きて生きて生き抜くぞ」という青年実業家の氏家。「若者は自由でなくてはいけないが、もうひとつ、潔癖でなくてはいけない」という辰巳教授。そして、物語の最後で、主人公もまた大人の男の階段を一つ上る。

思春期の頃に結構流行りの日本の現代作家の小説を読んでいたけれど、大人になってからは海外文学が多くて、何というか、日本の現代作家の軽さというか、情緒や微妙な心理にばかりフォーカスした小説をどこか物足りなく感じていた。そこが日本的良さでもあるのだけれど、いい大人になって、恋愛や世間の違和感や虚無感ばかりを具に洗っているだけでは、飽き足りなく思うようになったのだ。根本や柱となる宗教や哲学が無い(深い根元や大きな柱を失ったという前提も含めて)せいなのか、と思ったりもした。だけど、この『青が散る』を読んで、こういう情緒に溢れた日本的小説もやっぱり良いもんだ、と改めて思ったのである。哲学や歴史があるとか、社会的道徳的な意義が感じられるとか、「重たさ」だけに価値があるわけではない。こういう軽やかさの中でしか表現できないもの、昇華できないもの、癒されえないもの、というのも確かにあるのだ、という実感。

なんだか大層な話になってしまったが、こんなことを感じさせてくれる小説は近頃なかなかお目にかかれなかったので、記録しておいた。と言っても、私は、吉田修一の『最後の息子』とか森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』とかの記事で分かる通り、「青春もの」に点が甘いのである。個人的趣味なのか、歳のせいなのか・・・中年や壮年の登場人物では深みが欲しいところでも、「若さ」を振りかざせば急に甘く切なく感じられるのは、失われたものへの郷愁と愛着が成せる技か。でも、日本の現代作家でも、森見登美彦さん、三浦しをんさん、吉田修一さん、など青春ものの小説は比較的良いものが多いように思う。(やっぱり歳のせい?)

ちなみに、こちらの小説、1982年に上梓され、翌年にはTBSでドラマ化された。出演者が、石黒賢、二谷友里恵、佐藤浩市、と二世俳優の新人揃いで話題になったそうである。私が物心ついた時には、石黒賢はトレンディドラマには馴染みの顔で、さすがに新人の石黒賢の姿は知らない。オープニングは松田聖子の「蒼いフォトグラフ」で、当時観ていた若者達には、この曲とドラマは切っても切り離せないらしい。演出家には、吉田秋生さんの名もある。(吉田秋生さんは、「うちの子にかぎって・・・」や「パパはニュースキャスター」「人間・失格」などの人気ドラマを手がけた演出家で、『BANANA FISH』や『海街Diary』などで知られる女性漫画家の吉田秋生さんとは全くの別人である。私は長らく、この二人を混同しておりました。)エセ関西弁が辛い為、東京の大学という設定に直されているというのが、阪急スノッブエリアファンの私にはちょっとガッカリだが、いつか、この昭和感溢れる(と予想される)テレビドラマの方も観てみたいな、と思っている。


書評・小説 『秋の日の ヴィオロンの ため息の』 森 瑤子

ちょっと(実はかなり)恥ずかしいことを打ち明けるのだが・・・森瑤子が好きである。いや、好き、というほどではないけれど、多くの文学少女がかつて来た道、彼女を通して思春期にフランソワズ・サガンやマルグリット・デュラスを知った私は、大人になっても無下にはできない何かが残る。バブル作家だと言われようと、スノッブで俗っぽいと言われようと、否定はできないが、やっぱり嫌いにはなれない。いい歳になってしばらく離れてはいたけれど、なんだか最近、また気になってきている。一昨年(2018年)に、幻冬社から『森瑤子の帽子』が発売され、ちょっとだけブーム再燃しているのもあるし、何より、村上龍の『ラッフルズ・ホテル』の記事でも書いたように、こんな世知辛い世の中で、バブルのスノビズムが返って新鮮に親しく思われる、というのもある。誰がそんなに目くじら立てているのか知らないが(なぜか、身の周りにはいない)、有名人の不倫やら金の使い方やらに喧しく騒ぎ立てる風潮に白けた気持ちで、「こんなに物や金や感覚的快楽に満たされているのに、なぜ幸せじゃないの?」という悠長な自己陶酔が、なんだか少し羨ましい。

森瑤子の作品はそれこそ膨大な数で、似たような作品も多いし、全作品とは言わないが、それでも結構読んでいる。デビュー作の『情事』をはじめ、『女ざかり』や異国情緒溢れる『カフェ・オリエンタル』『ホテル・ストーリー』など何度か読み直したものもある。で、この『秋の日の ヴィオロンの ため息の』も、実は何度か読み直しているものの一つである。ポール・ヴェルレーヌの詩を上田敏が「落葉」と題して和訳したものからとられたタイトルのこの小説が、これまた、たまらないほど森瑤子スノビズム満載の中編小説なのである。

冒頭から、絹のランジェリーを身に纏い、寝室でよく冷えたシャブリと細い葉巻のシガリロを味わいながら、逢引前の時間を楽しむ有閑マダムの阿里子。高校生の娘は彼女を「ママン」と呼び、夫婦の検体やらママンの不倫のお相手やらフォークナーの説く「虚無」と「傷心」やらについて語ったりする。。。

「結婚って、素敵よ。生活が安定するし、精神的にもそう。赤ちゃんが生まれてその子が育っていくのを見守るのも素敵。生活の心配をしなくていいし、老後の心配もいらない。死ぬことだって、パパと同じお墓に入るんだと思えば、それほど怖くない。これ結婚のいいところよ。結婚って、素敵で、でも惨め。幸せだけど不幸なの、わかる?」

「わからない」

「そうよね、わからないわよね。パパのこと尊敬しているって言ったわね。多分、愛してもいると思うのよ。でもね、たった一人の男の人を何十年も愛し続けなければいけないことって、惨めなことよ。退屈だし、ときどき死にそうな気持ちになる。これから先何十年も、パパとだけアレをしなければならないのかと思うとき、ときどきだけどあのことが結婚生活の中で一番堪え難い義務そのもののように感じちゃうの。ごめんね、弓子。こんなこと聞くのは辛いわね。言わなければよかったわ」

いや、説明してるこっちがこっぱずかしくなるような設定である。もう、ストーリーなんてこの際どうでもいい。しかし、時に気恥ずかしさに身悶えするくらいな気持ちを堪えながら、読み進めていく。いや、誰も、そんな思いしてまで読め、と言ってないんですけど(笑)

森瑤子スノビズムを彩るのは、お決まりのディティールである。「文化」「食&酒」「高級品」これを名付けて、「森瑤子三種の神器」と呼ぶ(今考えました)。この作品においては、まず「文化」では、デュラス、フォークナー、マヌエル・プイグの小説、長田弘の詩集などの文学作品。「食&酒」では、前述のシャブリに加え、情人と楽しむタイ料理や夫と囲む田舎風フレンチのレストラン。娘が結婚した男性と2人きりで行く気儘なインド旅行(ありえない設定)のホテルでは、「フローズン・ダッカリー・プリーズ」(注:フローズン・ダイキリではなくフローズン・ダッカリーと言いましょう)。「高級品」の陳列台には、シガリロ、レッドフォックスの毛皮、クリスチャン・ディオールのオーソバージュなどがございます。

森瑤子の、読んではすぐ忘れてしまうような小説群では、人妻の焦燥と欲望と不倫の恋と、この「三種の神器」のディティールが、手を変え品を変え繰り広げられる。ただ浸っている時間だけが楽しい読書だが、よくよく考えれば、日本の売れっ子作家の小説には、似たような要素が盛り込まれているのだ。大御所村上春樹はもちろんのこと、宮本輝、田辺聖子、江國香織 ・・・最近読んだ平野啓一郎の『マチネの終わりに』だって、読者ウケ狙ったこの手のディティールがわんさか盛り込まれている。なんだかんだ言って、みんなスノビズムがお好きなのだ。

たまには、行くところまで行ってしまってるこんな小説を読んでみるのだっていいじゃないか。ブリっ子やアイドルを極めた松田聖子や郷ひろみを目の前にしたような、不思議な爽快感がある(よくわからない)。ビバ、スノビズム!ビバ、森瑤子!である。おしまい。


書評・小説 『マチネの終わりに』 平野 啓一郎

2015年3月から2016年1月まで毎日新聞で連載された平野啓一郎の長編小説。昨年(2019年)に福山雅治、石田ゆり子主演で映画化され話題となっていて、Instagramでも度々投稿されていたので、読んでみた。

いろんなところで話題とされているので、ストーリーの説明は割愛するが、巷で言われているように、「大感動のラブ・ストーリー」とは余り感じられなかった。運命的な出会いをして惹かれ合う天才クラシック・ギタリスト蒔野と、有名なクロアチア人映画監督の娘で国際ジャーナリストでもある才媛洋子だが、ある出来事をきっかけに2人の仲は引き裂かれる。まあ、いろいろ誤解や不幸が重なるということはあるにしろ、私には「そんな程度のことで引き裂かれるなら所詮そんな仲なのだろう」というふうにしか感じられないのだ。宿命的な恋愛なんてあまり信じられない心の干からびたおばさんですみません(笑)でも、その時にすれ違いや強がりを克服できなかったのだから、そのままの2人であれば、結局その偶然をかいくぐっても、いずれうまくいかなくなっていただろう、と思わずにはいられないのだが・・・うーん、どうでしょう。

続きを読む

書評 『カフェの文化史 ボヘミアンの系譜 スフィフトからボブ・ディランまで』 スティーブ・ブラッドショー ②

ヨーロッパからアメリカまで、様々な国、時代の芸術家や文人たち、そして彼らが訪れたカフェの名前など、横溢する文化的知識と固有名詞に埋没してしまいそうだが、タイトルに「カフェの文化史」(Cafe Society)と銘打っている通り、カフェの社会的な側面についても論じているのが、本書の特徴である。世にあまたカフェについての本はあれど(主に欧州の著者によるものだが)、殆どは有名なカフェについてのエピソードを羅列したものである。カフェ文化自体を論じるというのは、捉えどころがなく非常に難しいせいだろう。

著者は、カフェというものを、時にはブルジョワの文化的表現の一面と捉え、そして、ブルジョワ文化への抵抗としての「ボヘミアン」ライフの表現として捉える。ただ、ボヘミアンへの憧憬そのものが、ブルジョワの文化的側面、とも言える。

始まりのロンドンのコーヒーハウスから、カフェは一種の「表現の場」であり、そこに出入りすること自体が「スタイル」を保証する、という性格を帯びていた。

コーヒー店で夜を過ごすことの多かったポウプ、ドライデンといった古典主義者たちにとって、機智という言葉は彼らが宮廷生活の衰微後しないそうになっていたある種の社交上のたしなみとでもいったものをも意味していたー作品を自由に売る販路もなければ、自分たちの代りにそれをやってくれる職業的な批評家集団もいない時代に自分の職業的地位を獲得する一つの方策だったのである。

イギリスでは、《作家たちは機智を武器に友人や競争相手をやり込めようとし》、《文学的成功と機智に富んだ会話といったものの結びつき》が、新たな価値規範となって《文学と品位の融合》が起こり、ボヘミアン的カフェ文化は衰退していく。

フランス革命の火付け役として一役買ったパリのカフェも、革命後に王政が復活すると、資本主義とブルジョワへの「反抗」というよりも「逃避」としての性格が顕著に表れてくる。

また、芸術のための芸術が、ブルジョワジーの権勢に挑むというよりもそれを反映する局面は他にもあった。至上の形而上的芸術は、金融資本の勝利の中にその姿を映していたのだ。フランスに銀行家が増えれば増えるほど、芸術家の中にボヘミアンの姿が増す、というふうに見えるのもしばしばだった。芸術が、天啓を受けた一握りのロマン派たちによってのみ生み出されるものなら、これは分業への傾向と調和をなしていた。(略)ブルジョワジーを芸術のための芸術に惹きつけていたこの密かな吸引力は非常に強かったため、義務はなくて金だけはあるその若き子弟たちは、大通りに面した優雅なカフェで、ゴーチェの規範にしたがって生きることで時間を費やしていた。

かくして、ボヘミアンというのは一種のスタイルとなり、それを表現するためのカフェという場は、主役を次々と乗り換えて回転し続ける。シャルル・ボードレール、マネやドガといった印象派たち、《カルティエ・ラタンやモンマルトルのカフェに集まっていた詩人たちの存在がなかったら、今もって高踏派の小詩人としか見なされていなかったかもしれない》ポール・ヴェルレーヌ、そして《最後のボヘミアン》モディリアニ。

19世紀末に束の間ロンドンで復活したカフェ・ロイヤルもまた、《一種の文芸市場のようになって》、《文学の公開討論の場でもあり、批評のための研究会の場ともなって》いて、《オスカー一派、デカダンスの同類、道徳の破壊活動分子たるイギリスのボヘミアを代表していた》。

同じ頃、ウィーンのラントマンのようなカフェは、フロイトにとって《彼の見解を伝えるのにかっこうの公開討論の場》であった。

カフェは、芸術家たちに創作のインスピレーションを与え、創作活動をする場となっただけではない。(むしろ、その役割はかなり小さかったであろう、と筆者は考えているようだ)ここでは、ボヘミアンとしてのスタイルを誇示することが重要なのだ。その表現と発表の場としてカフェがあるのである。この着眼点は非常に面白い。

私自身、サロン、クラブ、カフェなど、「編集的文化が起こる場」というものに興味を持って、その種の文献を読み漁っているうちに、一般的に考えられているように、こういう場での交流それ自体が、芸術家のオリジナリティやインスピレーションの元になった、というだけではないのではないか、という思いが強くなった。そういう側面が全く無いとは言わないが、活性化したサロンやクラブやカフェというものは、往々にしてそれに参加し集うこと自体が目的となっていたりする。私が想像したのは、そこにある種の「パトロンを見つける」という目的、経済的目的があるのではないか、ということだった。本書でも、孤高のボヘミアン、モディリアニがカフェラパンに通っている様子をこう語っている。

モデル代がただですみ、しかも自分の肖像画を買ってくれるかもしれないカフェでスケッチする習慣はすでについていた。

しかし、ただ単に直接的なパトロンを探す、という以上のものがカフェにはあった。貴族、そしてブルジョワという、分かりやすい「パトロン」が消えていく中で、「大衆」というつかみどころのないパトロンであると同時に消費者であるもの、へアピールするには、カフェという場を使って「スタイル」を提示する、という方法が極めて効果的だったのかもしれない。だからこそ、刺激的な芸術家どうしの交流で、創作のひらめきを掴むとか、直接的なパトロンを探す、という以上に、その場に出入りする、ということ自体が重要だったのである。かくして、人々はボヘミアン的理想郷を追い求め、カフェは次なるアーティストの生贄を探し、その場所を移していく。一つの場としてアピールが完成されたカフェは、ただのスポットであり、理想郷ではない。

このあたりは、もう少し自分なりに考察を深めたいところである。難解で衒学的な文章を我慢して読んだかいもあった。再読する元気が出てくるかは微妙なところだが、自分にもう少し教養がついて、いちいちWikipediaさんにお伺いをたてなくてもよいほど読みこなせるようになったら、もう一度読み返してみたい本だ。


書評 『カフェの文化史 ボヘミアンの系譜 スフィフトからボブ・ディランまで』 スティーブ・ブラッドショー ①

1984年出版の古い本だが、タイトルに惹かれて読んでみた。内容はそれなりに面白いのだが、しかし、読みにくい。イギリスのフリーライターが書いたものだそうだが、いかにも知的エリートイギリス人らしく、持って回ったニヒルな言い方の上に、読者サイドに当然のように教養や知識を要求する前提となっている。冒頭のカフェの考察からこうだ。

もう一つ問題となるのは、一軒のカフェを構築しているものは厳密には何だろう、ということであった。アルゴンキンの円卓(1920年代にニューヨークのアルゴンキン・ホテルにつくられた文学クラブ)がカフェでないことは確かだが、モンマルトルのカフェ・コンセールやトゥールズ・ロートレックが出入りしたいかがわしい店ともなると、一口では言えない入り混じった性格を持っている。(略)この本に出てくるさまざまな芸術家たちのグループはなるほど重要であろうが、彼らがともに抱いていたカフェ生活への愛着もクラレットの嗜好以上の意味は持つまい、という議論も当然なされよう。また、印象主義は穴倉(ビア・セラー)のビール店で創始されたかもしれないし、サヴォイ・ホテルに連れて行かれたとしたら、ヴェルレーヌは一層哀れっぽく見えたろう、ということもあり得る。その一方で、カフェだけが、ヨーロッパに紹介されて以来、知的な会合の場として明確な伝統を保ってきたことも事実である。決疑論の学者なら、クールベからアレースター・クロウリーに至るまで、カフェに出かけることによって違いを摸倣し合ってきた人々の伝統をたどるかもしれない。もっと言えば、この本で語られている重要なできごとの数々が、一匹の山羊によって始まったと考えるのも目新しくておもしろかろう。

なんのこっちゃい、という文章である。前提知識として、ロートレックやヴェルレーヌやクールベがどんな人物なのかはもちろん、サヴォイ・ホテル(ロンドン最初の最高級ホテル)やクラレット(イギリスで飲まれたボルドーワイン)やアレースター・クロウリー(19世紀末イギリスのオカルティスト)などといったマニアックなものまで要求される。(ちなみに、最後の「一匹の山羊」は、次章で言及される、コーヒーがアラビアの山羊飼いによって偶然発見されたという逸話を暗示している・・・)これを訳した海野弘先生のような西欧文化を知悉した方なら良いが、極東の片隅で一主婦が読むにはかなりツライ文章である。とにかくウィキペディアさんにお尋ねする回数が多い多い。その上で、やたらと二重否定やら隠喩やらを挟み込んで婉曲的表現が多用されているので、途中、何度も「結局、何が言いたいねん!」と本を投げ出したくなった。

とまあ、前置きの愚痴というか、「私、こんな難しい本読破したのエライでしょ」的アピールはこれくらいにして、内容に入ろう。副題にもある通り、スフィフトらが集った18世紀初めロンドンのコーヒーハウスから、ボブ・ディランが歌を紡いだ今世紀ニューヨーク・ヴィレッジのカフェに至るまで、主にそこに通った芸術家たちを軸に語っている。

ロンドンでのコーヒーハウスには、スフィフトやポープらの文筆家が集い、リチャード・スティールの雑誌「タトラー」や「ガーディアン」、ジョウゼフ・アディスンの編集する「スペクテイター」など、優れたジャーナリズムを生み出した。これらがやがて、クラブ文化へと衰退していくあたりは、小林章夫『コーヒー・ハウス』に詳しい。

賭博の巣として、あるいはまた紳士のための優雅な社交場として、コーヒー店は徐々に特殊化していった。(略)この世紀の半ばまでには、アグリー・フェイス、踵までくるナイトガウンを着るレイジー・クラブ、サイレントクラブを初め、数えきれないほどのクラブが乱立し、コーヒー店を徐々に閉め出していったのだった。(略)クラブの隆盛は、この土地本来の潜在的な島国根性ばかりではなく、ブルジョワ社会において新しい地位の形態が必要とされてきたことを反映しているのだ。

ロンドンで衰退したカフェ文化は、革命前夜のフランス・パリで花開く。パリには1788年までに1200軒を超えるカフェがあったそうだが、中でも有名な「プロコップ」には、ヴォルテールやモリエールがやディドロらが足繁く通った。また、オルレアン公によって開かれた、パレ・ロワイヤルのカフェ群も人気であったと言う。《パレ・ロワイヤルのカフェは、フランス革命の公開討論の場であった》とある通り、この時期のカフェでの活発な議論と時にエスカレートした民衆の示威行動が、フランス革命の温床となったことは、寺田元一『編集知の世紀』でも触れられている。

革命後、政治色の抜けたカフェは、いよいよボヘミアン芸術家たちの溜まり場として黄金期を迎える。詩人のヴェルレーヌが、その筆頭だ。18世紀後半になると、印象派達の「カフェ・ゲルボワ」「ヌーヴェル・アテネ」には、マネ、ドガ、ルノワール、ピサロやゴーギャン、ゴッホらだけでなく、ゾラやマラルメなどの姿も見られた。印象派グループが解体するにつれ、カフェ文化の中心はセーヌ川左岸のモンマルトルに移っていき、ピカソやモディリアニといった外国人が「ラパン」や「クロズリー・デ・リラ」や「ロトンド」などを舞台に新たなボヘミアンの主人公となる。これらのカフェは、パリに住む芸術家だけでなく、トルストイやトロツキーなどの外国人がパリ滞在時に訪れる国際色強いカフェとなっていくが、さらに、第一次世界大戦を挟み、新たな「外国人=アメリカ人」達の独断場となるのである。

左岸のカフェは、フランス社会からの逃亡者たちにとっても、常に避難所となってきた。それらが外国からやって来た若い芸術家たちに一時代まるまる侵略されてしまったことはかつてなかった。

ヘミングウェイやフィツジェラルドといった「ロスト・ジェネレーション」たちの登場だ。ヘミングウェイの『移動祝祭日』には、「クロズリー・デ・リラ」の名前が何度も登場し、「リラでのエヴァン・シップマン」という章まである。

ロトンドは、ラスパイユの角のカフェ群のなかでは今なお一番大きく、最もコスモポリタン的であった。「右岸でタクシーを拾ってモンパルナスのどこのカフェの名を告げても、必ずロトンドに連れていかれる・・・」『日はまた昇る』The Sun Also Rises の中で、ジェイク・バーンズがこんなことを言っている。

「モンパルナスは、アメリカ四十九番目の州とみなされてもおかしくなかった」とシスリー・ハドルストンは書いている。(略)

アメリカから渡ってきたボヘミアン芸術家があるいは交流し、あるいはそこで創作活動をし、パリのカフェ文化は最後にして最高の盛り上がりを見せる。しかし、それすらも、次第にただのパフォーマンスとなっていく。

10年ばかりそういう愉快な晩を過ごしたあとで、シスリー・ハドルストンは自分なりの判断を下す、「カフェはいくつかの点で悪影響を及ぼしてきたかもしれない。なぜならあまりに多くの作家たちがー画家たちも同じだがーモンパルナスやモンマルトルのカフェで一日の長い時間、そして夜すらも過ごすことで満足しているからだ。彼らは怠惰な習慣に陥っている。創作するのでなく話すことで満足しているのだ。彼らは朝から晩まで議論している。そしてその議論は何の実も結ばない。

そして、世界恐慌が訪れると、《アメリカ人たちはあっという間にカフェを去った》。第二次世界大戦の嵐が吹き荒れ、復興の必要の無い新しい街、アメリカ・ニューヨークで、ボヘミアン芸術家による最後のカフェ文化の残照が見える。この頃になると、もはやボヘミアンは「ヒップ」という言葉にとって代わられる。前述したように、この本は1980年代に書かれた古いものだが、最後のボヘミアン芸術家としてシンガーとしてだけではなく詩人としてのボブ・ディランにスポットを当てているのは、世間をあっと驚かせた20年後の彼の「ノーベル文学賞受賞」の事実を照らし合わせると、非常に興味深い。

(ヴィレッジのカフェ「コモンズ」で)簡単なメモを走り書きしグラスを干すと、ディランは帰って『風に吹かれて』Blowin’in the Wind を作り始めたのだった。この曲は、市民権運動の賛歌(アンテム)となり、ディランをコーヒーハウスの外の世界でも有名にした。シェルトンはこう結ぶ。「彼はどこにいても躍り出ただろう。だが、カフェ社会という布石が決定的だった。彼は現に怒っているあらゆることを総合し、強調し、それらを通して稲妻を放ち、玉虫色に光らせた。

大まかな流れを説明したが、本文では、ここに、19世紀末ロンドン、オスカー・ワイルドら頽廃的芸術家達が跋扈した「カフェ・ロイヤル」や、やはりハプスブルク帝国治下ウィーンの「カフェ・グリーンシュダイドル」などの挿話も挟まっている。特に、ウィーンのカフェは少し独特で、格式張ったマナーや内装をしていたこと、図書室や文化クラブを兼ねたような場所であったこと、シュニッツラー、キルケゴール、ホフマンスタール、ツヴァイク、カール・クラウスら文学者や哲学者の他に、フロイトやアルフレッド・アドラー、エルンスト・マッハー、ブルックナーにマーラー、シェーンベルクら多彩な人物達が集まった様子は、クラウス・ティーレ=ドールマン『ヨーロッパのカフェ』にも描かれている。

政治的生活というものがなかったので、ウィーンのブルジョワジーーはその精力を芸術に注ぐ傾向にあった。貴族たちはもはや芸術の積極的な庇護者とはいえなかったし、(略)ブルジョワには対抗する相手がほとんどいなかった。何にも増して彼らは、その演劇的な性質が自分たちの情況を反映しているかのように見える芸術や娯楽の形態を助成した。(略)暗黙の内にも至るところに姿を現わす性の妄想も、その執拗さの一部はこうした政治的フラストレイションから発しているようであった。ワルツの中に、ウィーン人はエロティックでかるまた現実から目をそむけさせてくれる芸術形態を見出していたー独特の友情と敵意の儀式、流動的な知的同盟を形づくろうとくっつけられた大理石のテーブル、煙の立ちこめた部屋を隔てて射かけるまなざしによって成立したり破られたりするロマンティックな関係・・・・こうしたものを含むウィーンのカフェ社会の性格もまた、このエロティシズムと演劇という感覚によって説明できるのだ。

シュテファン・ツヴァイクが書いているように、ウィーンのコーヒー店は「入会金がコーヒー一杯の料金ですむ民主的なクラブのようなものであった」