『ショッキング・ピンクを生んだ女 私はいかにして伝説のデザイナーになったか』 エルザ・スキャパレリ


エルザ・スキャパレリに興味を持ったのは、愛知県美術館で開催されていた展覧会「コスチュームジュエリー:美の変革者たち」で彼女の作品を目にしたのがきっかけだった。

シャネルやディオールなどのシックさとは違う、アヴァンギャルドでイメージと活力に満ちたデザイン。国立新美術館の「イブ・サンローラン展」では、イブサンローランの現代にも通じるような前衛的でグローバルなデザインにびっくりしたが、スキャパレリはさらに上を行くような情熱的なまでの活力がある。ショッキングピング、奇抜な帽子、ゴルチェがモチーフにした香水ボトル、サーカスや動物などを象ったポップなジュエリー、ポップな中に貴族的な遊び心が隠されているのだ。

日本ではほとんど知られていなかったエルザ・スキャパレリの名前を広めるきっかけとなったのが、グラフィック・デザイナーでありアート・ディレクターでもある長澤均氏が翻訳した彼女の自伝『ショッキング・ピンクを生んだ女 私はいかにして伝説のデザイナーになったか』だ。長澤均氏と言えば、松岡正剛氏編集の『クラブとサロン なぜ人びとは集うのか』で、ワイマール文化時代のドイツ・ベルリンのカフェ文化について印象深い章を著していて記憶に残っている。松岡正剛氏とは旧知の仲らしく、「千夜千冊」のサイトでも本書が取り上げられていた。偶然にも、松岡正剛氏の訃報も重なって、これは読むしかない、と手に取った次第。

のっけから、私を魅了したのは、イタリア上流階級出身のエルザ・スキャパレリが生まれ育ったのがローマのコルシーニ宮殿だというエピソード。コルシーニ宮殿と言えば、一時期、私が取りつかれたように調べていたバロックの女王・スウェーデンのクリスティーナ女王の終の棲家である。現在では、カラヴァッジョの『洗礼者ヨハネ』、ファン・アイクの『エジプトでの休息』などの名作を展示する国立コルシーニ宮美術館(Galleria Corsini)として一般開放されている。スキャパレリの家は、代々高名な学者を輩出しており、オリエント学者であった父親は、コルシーニ宮殿の中の図書館やアカデミーと共に居住場所としても利用を許されていたようだ。

コルシーニ宮殿は、ローマでもっとも古く、もともローマらしい情緒のあるトラステーヴェレ地区にある。隣は精神病院、反対側の隣は刑務所だったが、コルシーニ宮殿そのものは香りの強いモクレンの木々のなかに建っていた。庭は幾何学的な四角形に設計され、みかんやレモンの木が並んで植えられていた。正面はローマで一番有名な公園、ジャニコロの丘に面しており、丘のてっぺんには馬に乗ったガリバルディの像があり、そう遠くないところにファルネジーナ荘がある。

馬車がやってきたので、私は馬車を止め、自分では威信に満ちていると思う声で言った。

「コルシーニ宮殿まで、お願いします」

御者は私を見て少し驚いたが、鞭を当てて馬を駆りたてた。

自宅に帰るのに「コルシー二宮殿までお願いします」馬車の御者に告げる少女。なんと羨ましい境遇!コルシーニ宮殿に生まれ育ったというエピソードからも分かる通り、エルザ・スキャパレリはイタリアの上流階級出身なのだった。溢れる情熱とクリエイティビティを持て余した彼女は、イタリアの厳格な修道女学校に閉じ込められたり、ロンドンに留学したりしながら、やがて神智学者のウィリアム・ド・ケルロルと駆け落ちするように結婚し、アメリカにわたる。アメリカでは、かの有名な舞踏家イザドラ・ダンカンと夫を取り合ったりしつつも、マルセル・デュシャンやマン・レイなどニューヨーク・ダダ派のアーティストとの人脈を深めた。

離婚してフランスに戻ってから、ポール・ポワレのメゾンに出入りし、ファッションの仕事を始めるようになったエルザ・スキャパレリは、1927年にデザイナーとしてデビュー。その後、シュルレアリスムなどの前衛芸術を取り入れたデザインで活躍するようになる。サルバドール・ダリやジャン・コクトーらのアーティストとの華々しい交流は特に印象的だ。

ダリはしょっちゅう訪ねてきた。ダリと私は一緒にダリの有名な絵画から、引き出しのたくさんついたコートを考え出した。ショッキング・ピンクのベルベッドのかかとで、小さな塔のように立っている靴の形をした黒い帽子もそうやって生まれた。(略)

ジャン・コクトーが私のために頭のスケッチをいくつか描いてくれた。そのいくつかをイブニング・コートの背の部分に複写した。そのうちのひとつは、長い黄色の髪が腰まで届くグレーの麻のスーツである。コクトーにはよく会っていた。(略)その映画はコクトーが現在、撮っているような映画とは非常に異なったものだった。コクトーは、人というよりも純粋な精神そのもののように見えたし、周囲の人たちを沈黙へ導くような会話の才があった。

アメリカの有名なソプラノ歌手グレース・ムーア、メイ・ウエストやグレタ・ガルボなどのハリウッド女優など、華やかな交流歴を読んでいるだけでも楽しいが、さらに印象的なのは、エルザ・スキャパレリが世界中を旅する様子である。

デザイナーとして名前が売れ始めたころのロシア旅行では、イギリスやフランスの大使館からの饗応を受けながら、特別にクレムリンを訪問して、ロシア王室の至宝を目にする機会を得る。ロシアの壮大さとソビエトの無機質さの両方を味わいながら、エカチェリーナ宮殿、今は亡き皇帝(ツァー)が最後を過ごしたアパート、エルミタージュ美術館などを巡っている。

第二次世界大戦中にアメリカに逃れた際には、南米旅行にでかけ、メキシコからペルー、アルゼンチンを来訪。クスコでは、エルザ・スキャパレリのイメージカラーと言っても良いショッキング・ピンクを目にして、「この世界には何ひとつ新しいものなどない」と実感する。戦後平和を取り戻し、画家ドリアンらと出かける祖国イタリアからアフリカのチュニジアまで辿る地中海クルージング、再度アメリカを訪問し、テキサスからブラジルまで足を伸ばし、ついにはブラジルで勲章を獲得するなど、縦横無尽に世界中を駆け巡るのだ。

私は個人的に「第一次世界大戦前のグローバル」な現象や時代に興味を持っているのだが、エルザ・スキャパレリが自由にかつ優雅に、世界中のあらゆる地域や国を旅している様子はまさにそれだ。時代的には、彼女がデザイナーとして活躍し始めるのは第一次世界大戦後であるが、イタリアの上流階級出身で、パリのデザイナーとして名を馳せ、アメリカのハリウッドやアーティストから絶大な支持を受けるスキャパレリには、大戦前のヨーロッパの栄華とアメリカの優雅なロストゼネレーションの名残りがある。スキャパレリ自身もこんな言葉を語っている。

誰のものでもないはずの、全人類の財産であるこの地球を歩き回るのに、許可を求めなければならないなんてぞっとする。パスポートという奴隷制度をもたらしたのはロシア人だ。1914年から1918年の第一次世界大戦以前は、パスポートを要求していたのはロシア人だけだった。

大戦以前にパスポートがいらなかったというのは、どうやらスキャパレリの勘違いらしいが、この言葉から、第一次世界大戦前に、いかにグローバリズムが進展していたかがうかがえる。もちろん、そのグローバリズムは、ヨーロッパとアメリカのごく一部の富裕層、選ばれた人たちのみが享受しているものであり、今なお世界中で禍根を残す大植民地主義のお陰だったのだが。

BRICSが台頭し、中東やアフリカの民族問題はさらに複雑かつ陰惨な状況に陥る現代で、エルザ・スキャパレリの優雅なグローバリズムを手放しで礼賛するのは難しい。彼女の無邪気なアヴァンギャルドさや採算など度外視したデザインが、第二次世界大戦後の欧米には受け入れられなくなっていったのも無理ないかもしれない。

それでも、本書の最後、チュニジアのハマメットに隠遁するエルザ・スキャパレリが、黄昏どきにふと自分の棲み処を見渡しながら半生を振り返る文章は、何十年何百年経っても色あせない優美さを保ち、読む者への憧れを駆り立てるだろう。

パリでジャン・フランクに作ってもらった、モロッコの革でできたオレンジのソファに横になり、黄色と黒のタータンチェックが鮮やかなスコットランドのひざ掛けにくるまり、地元のバザールで作られた枕のついた、細くて低いアラブのセメントの椅子に囲まれ、床にはハマメットのわらで編んだマットがある。

ギャラリー・ラファイエットで買った色とりどりのイタリアの帽子、ニューヨークで買ったアタッシュケース、レニングラードで買った銀のシガレットケースと七宝のピンクのバラ、スイス製のタイプライターー私はこれを指一本で腫れ物に触るように使う。ローマのコロシアムの下でエル・ジェム(古代ローマの都市遺構が残るチュニジアの都市)出身のベドウィンの出店で手に入れた赤いラグ、お気に入りの日よけの下にある鮮やかなウールのロバのバッグはペルー製で、フランス大使館夫人であるロシア人の女友だちからプレゼントされた。アメリカ製の綿を使って、パリで作られたショートパンツを穿いて、イギリス製の銀の指輪を嵌め、中国製のスリッパを履き、スウェーデンのマッチを使い、トルコの煙草を吸っている。壊れた陶器の灰皿は、海辺に流れ着いたどこかまったく知らない世界からのものだ。

ここで私が自分のやりかたで世界を吸収しているあいだ、外では嵐が、糸杉とユーカリを激しく打ちつけ、ここ陽光と夢の国を濡らしている。

足元には無頓着で堂々とした白いチベット犬のグルーグルーがいる。私たち、ひとりと一匹は嵐を避けて、この部屋の屋根の下に避難している小鳥の声に耳を傾けている。小鳥たちは英語で歌っている。

「ドアを開けて・・・ドアを開けて・・・ドアを開けて・・・」

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