書評・小説 『シナという名の女』 森 瑤子


1994年に集英社から刊行された、森瑤子最後の短編集である。後半は特に濫作を批判された彼女だが、本作も16編中13編は、短編小説というにはあまりに軽い、具体的な1モティーフ、1ブランドに印象的なショート・ショートを添えた、まるでCMの絵コンテでも観ているような仕上がりである。

広告対象商品は、エスティ・ローダーのプライベート・コレクションやアニエス・ベーのLeb.、アルマーニの男性用オードトワレといった、森瑤子得意の香水セレクションから、お気に入りのフランス高級磁器ブランド、ベルナルドの食器などはお馴染み。ロリータ・レンピカのネクタイ、クロスのソリット・ゴールドの万年筆、シチズンのエクシードのペア・ウォッチに、ヨシエ・イナバのジュエリー、ランバンのカフス・リング、イタリアの高級ブランド・ジェニーのサングラス。ヘレナ・ルビンスタインの美容液やユージン・スミスの写真集なんて変わり玉もある。

どの物語も、軽く洒脱に、悪く言えば表層的でスノッブなタッチに仕上がっている。登場人物達の価値観や考え方はステレオタイプで余り深みがないし、ストーリーや会話もどこか上滑りで、過度にファンタジックだったり、外国小説風だったりして、現実感に乏しい。

・・・と、批判だけならいくらでもできそうだが、その現実浮遊感が、亡くなる直前の作家の世界観と被って、妙に物悲しい。他の作品よりは少し長い<結婚しない理由>のような印象的な作品もある。現代で言えば、「セックスレスに対する女の不満」を、男目線から描いていて、妙に頷けるところがあり、今だったら、女性だけでなく男性にもウケそうな作品だ。

掌を返したようにまめまめしくふるまわないでくれ、と彼は更に胸の中で呟いた。あれの後と前とではこんなにも態度も何もかも違うものなのだろうか。いつだってそうなのだ。あれの後はほとんど丸々一日か二日、女というものは上機嫌で、気色が悪くなるくらい、あれこれサービスが良くなる。

前の結婚の記憶で、一番苦痛だったのは、そのことだった。現金なまでの態度の豹変ぶり。すると彼は、セックスをほどこしてやっているような気分にさせられるのだ。妻が段々がたぴしと物音をたて刺々しくなってくると、見るに見かねて彼女を抱いた。すると彼女はやわらぎ優しくなった。

そうするうちに、セックスをしなければ、夫に対してやわらいだり優しくふるまったりしなくなっていった。あなたがいいことをしてくれないんなら、私も優しくしてあげない、とそういうことだった。

絶筆となった<シナという名の女>は、森瑤子の小説やエッセイに度々登場する、中国で過ごした幼年時代のエピソードを挟みつつ、男と女の恋が語られ、ちょっとデュラス風の幻想的な文体になっている。そこには、過去、現在、作家が創作した虚構、そして彼岸の世界までが、境目なく溶け合う不思議な空間があって、作家・森瑤子が、迫り来る死と病魔を前に、その目で見ていた世界を垣間見るような、切ない気持ちになった。

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