書評・小説 『ひねくれ一茶』 田辺 聖子


『ひねくれ一茶』をお得に読む

田辺聖子さんは恋愛小説が秀逸で、そればかり読んでいたが、先日、エッセイ『ほっこりぽくぽく上方散歩』を読んで、俳句や短歌の引用が多く、著者自身も折々に触れて一句詠まれていたりしたので、この有名な俳諧師を題材にした小説も読んでみたくなった。

言わずと知れた江戸末期の俳諧師、小林一茶が主人公である。と言っても、話は一茶が三十六歳から始まる。三十六歳と言えば、今でこそ働き盛りだが、江戸時代だったら、晩年とは言えないまでも、定年退職間近、という感じであろう。この小説の中でも、一茶は若い頃からの苦労で見た目が老けていたせいもあり、四十そこそこで妓楼からじいさん扱いされている。そんな斜陽の時期になっても、未だにパッとしない一茶が、なんともパッとしないまま、地方を行脚しながら徘徊仲間と交流したり、故郷の信濃・柏原で継母と遺産相続争いしたり、遺産相続に蹴りをつけてから五十で嫁を貰ったりするストーリーが展開し、その中に彼の代表作の句が挟まって紹介されている。

一茶の句と言うと、「やせがえる 負けるな 一茶これにあり」とか「すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通る」とか、人間味溢れているが、どこか田舎臭いというか貧乏臭いというか、洗練さや鋭い切れ味とはかけ離れたようなイメージがあった。正直、人間としても作品としてもあまり好きなタイプではなかった(笑)でも、この小説で一茶の人間的ドラマを追いながら読んでいくと、やっぱりその切り口は見事で、ハッと胸をつかまれるような作品がいくつもある。特に私が好きだったのは次の二句だ。

亡き母や 海見るたびに 見るたびに

白露や あらゆる罪の消ゆるほど

五十を過ぎてやっともらった若い嫁、お菊への温かい飾り気のない愛情を示すこの句もいい。

わが菊や なりにもふりにもかまわずに

幼妻のなりふりかまわぬ頑張り加減が、可愛くて仕方ない、という様子がにじみ出ている。

この小説の好きなところは、田辺聖子さんが芸術家を主人公としながら、「芸術家としての心情」というところを殆どクローズアップせずに描いたところだ。澤田瞳子の『若冲』の記事でも書いたように、私は、芸術家が芸術家としての葛藤や苦悩を描いた作品、というのがあまり好きではない。時代が違えば感じ方も違うであろうし、何というか、現代の「純粋芸術家」的人物像に、いつでも違和感を覚えてしまうのだ。

田辺聖子さんは、一茶の芸術家としての創造的葛藤など殆ど触れず、終始彼の人間的ドラマに焦点をあてている。幼い頃に亡き別れた母への終わることない追慕、血の繋がらない厳しい継母の元で育てられた寂しい幼少期に、追い立てられるように江戸に奉公に出されて苦労した青年期、長い下積み時代、最期を看取った父やその遺言に託された生家への思い・・・田舎出身の無教養でうだつの上がらない自分を卑下したり揶揄したりしながらも、いつかこの江戸でひと花咲かせてやろうと躍起になったり、亡き父の遺言に拘って継母と腹違いの弟と生家をめぐって相続争いを繰り広げたり。生臭い人間ドラマが、歌物語ならぬ句物語として、一茶の俳諧作品にある背景を浮かび上がらせ、その作品を際立たせる。

そもそも、俳諧というものは、独立した芸術作品として味わう近代詩とは違う性格のものだった。この『ひねくれ一茶』でも、一茶が各地にいる文化人の徘徊弟子(であると同時にパトロンでもある人)達を訪ね歩きながら、連句会を催す様子が何度も出てくる。これについては、田中優子氏の『江戸の想像力』が分かりやすいので、少し長くなるが引用してみよう。

俳諧は近代でいう俳句ではない。俳諧という言葉を辞書でひいてみれば、それが、たわむれ、おどけ、滑稽、諧謔の意味であることがわかる。(略)明治になってから近代人が西欧的にエラくなろうとした結果、俳諧からエネルギーが抜き取られて俳句になったのだった。俳句を発明した正岡子規が悪いのではない。近代人たちが文学とは自己表現だなどと勘違いしてひとりで部屋に閉じこもり、近代詩の権威にひれ伏してそれ一辺倒。やっぱり無理がたたったのだ。(略)

たしかに俳諧は芭蕉で変わった。しかしその芭蕉から俳諧の連句をそっと抜き取り捨てて、俳句だけ後世に伝えたのはやはり近代の人々だった。(略)俳句は単独句だが、俳諧は基本的に連句であって単独句ではない。芭蕉は連句の座のリーダーとして、一流派を成した。連句は三十六句連続であっても、百句連続であっても、基本的には複数の人間によって同時、同空間で作られる。

田中優子 『江戸の想像力』P88

俳諧は俳句ではない。俳諧は五七五の発句に七七の付句をし、また五七五の第三句をつけて、最後の挙句まで続けてゆく。それは座と呼ばれる場で行われる。一回的な興行(パフォーマンス)であり、しかも複数の人間が相互の関係を即興的に作りながら出来あがってゆく詩である。近代詩の概念にこれほど遠い詩もない。他の作者の作った前の句には、付きすぎも離れすぎもしないよう、細心の注意を払いながら付けてゆかなくてはならない。

田中優子 『江戸の想像力』 P91

連句としての俳諧の醍醐味は、一種のゲーム性、コミュニケーション、一期一会のパフォーマンスにあった。それを劇的に変えたのが松尾芭蕉だが、まだ近世末期の彼の俳句には俳諧の名残が強く残る。そういう意味では、一茶の俳句は、さらに近代詩に近いものかもしれない。彼の代表作は、連句的遊びや、古典素養や背景との関連性がより希薄で、もっと個人的な感性がビビットで、だからこそ庶民や後世の人々が親しみやすい良さがあるのだ。

独立して取り出しても楽しめる近代的な俳句を、もう一度その背景にある作者の人間ドラマに置き直して眺めてみると、また違う意味と良さが浮かび上がってくる。そういう俳諧的な楽しみ方を、田辺聖子さんは、『ひねくれ一茶 』という小説で、読者が「体験」することで実現している。やっぱりすごいとしか言いようがない。

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