書評・小説 『ボクたちはみんな大人になれなかった』 燃え殻


小説における時代性ってのは結構大事で、それがピタリとはまった時には、いっそ気持ち良いようなでもなぜか「このままの自分でいいのかな?」っていう居心地の悪さもあるような不思議な感覚に襲われる。

テレビの美術制作会社で働くサラリーマンが、ウェブサイトに連載したことがきっかけで大人気になったというこの作品、普段なら全然興味を惹かれないのだけれど、タイトルが気になってふと手にとってみた。短い作品だけれど、小説を読んでいるというよりは、何か、よくできたショートムービーでも観ているような感覚で、一気読みしてしまった。

江國香織さんの『神様のボート』の記事で書いたように、私はスノッブな小説が好きなのである。なのに、この作品の貧乏臭さといったら、、、専門学校を出て場末のエクレア製造工場に勤める僕が、「中肉中背で三白眼でアトピーのある愛しいブス」と文通で知り合って恋に落ちる。彼女はアジアン雑貨のお店「むげん堂」の大ファンで、雑誌『Olive』に出てたケイタ・マルヤマの花柄スカートは買えないので、白いロングスカートにフェルトペンでイビツな花柄を手書きしたスカートを履いている。六本木の雑居ビルでテレビのテロップなどの制作をする会社に雇われるようになった僕と彼女は、いつも渋谷円山町の寂れたラブホテルで逢瀬を重ねている。

いーーやーーー!!!もう身悶えするくらい貧乏くさいし、イケてない。でも、分かる、分かるのよ、その時代感。だって、その時その場に、私もいたんだもの。原宿もラフォーレも、オザケンも全然好きじゃなかったし、こういうタイプを「だっせえ」と思っていて、この彼女の妹の方みたいに渋谷109のギャル系の方がイケてると信じていて、でも、結局、そんなのどっちだっていい、今から思えば両方とも究極的に「イケてない」んだけど、でも、私もそうやって、彼らの隣であの時あの街を彷徨っていたのだ。ノストラダムスの大予言、新宿ゴールデン街、ヴェルファーレの六本木に、怪しい介護事業者、秋葉原事件、もう全部全部、これでもかってくらいに伝わってくる。

著者の燃え殻さんは、インタビューで「なぜこの小説を書いたのか」と問われたら、「90年代感を表したかった」と答えて、それで、その後に「それは嘘です」って言っているそうだ(笑)。「嘘だ」と言っている真意は、結局、そういう社会的な意義、みたいなのは後付けで、自分の極めてプライベートな限られた経験を文章にしてみたかったから、なんだ、と。

でも分かる。同年代の人たちが、この物語に勝手に時代感を感じて、自分の物語を勝手にのっけてしまいそうになるその気持ち。多分、主人公たちとは真逆のセンスで生きていた私でも、分かるなあ、と思ってしまうんだから。物語の本筋は、すごくストレートな青春恋愛ドラマなんだけれども、散りばめられたエピソード、文字メディアなのにはずなのに、そこにある映像や音楽が、思いっきり「あの時代」を突きつけてくるのだ。

と言っても、別にこの小説の醍醐味は時代性、というだけではなくて、巻末にシンガーのあいみょんが「アンサーソング」という散文を載せているように、90年代に青春を送ったのではない若い世代でも楽しめるようだ。私個人的には恋愛物語としては、あんまり甘過ぎるような気がしないでもないのだが。この「甘過ぎる」というのはロマンティックでスイートな甘さではなくて、「甘ったれ」の甘さ、という意味である。

そもそも、『ボクたちはみんな大人になれなかった』というこのタイトル。このタイトルに惹かれてしまった自分がいるのだけれど、まあ、なんとも甘ったれたタイトルではないか。大人、どころか完全に中年の域に達した我々である。でも、なんていうか、みんなきっと心の中に抱えているんだよね、この気持ち、このナイーブさ。「大人になれなかった」とか言ってる場合じゃない、「なるんだよ!」ってか「なってんだよ!」と突っ込まれても仕方がない。いつまで夢の途中にいるつもりですか、っていうね、、、で、たちの悪い中年だよなあ、と自重しながらも、タイトルに惹かれて、「あの時代」を切々と感じてしまう自分がいて。だから結局、気持ち良いのか悪いのか、この作品が好きなのか嫌いなのか、と問われても、決められない自分だけがうだうだと残っている。

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