書評・小説 『ミゲル・ストリート』 V・S・ナイポール


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これも、『世界の8大文学賞』のノーベル文学賞で紹介されていた本。作者は2001年にノーベル文学賞を受賞したV・S・ナイポール。カリブ海に浮かぶトリニダート・トバゴの首都ポートオブスペイン。その場末の街、ミゲル・ストリートで暮らす一風変わった人々の様子が、連作短編の形式で綴られる。

ノーベル文学賞作家というと、先日読んだ『白の闇』のジョゼ・サラマーゴとか、『恥辱』のJ・M・クッツェー、『マーシィ』のトニ・モリスンなど、重苦しい文学作品を想像して身構えてしまうのだが、これは思いの外、軽やかな作品で、「え、こんな軽さでいいの?」と思ってしまうくらい。

「名前のないモノ」ばかり作る大工、「世界でいちばんすばらしい詩」を書いている詩人、車のことを全然分かっていないのに車を分解して修理することに情熱を注ぐおじさん、、、こうやって書くと、なんだかほのぼのとして聞こえるが、「ミゲル・ストリート」には、どうしようもない男たちが溢れている。まともな稼ぎの仕事はできず、殆ど飲んだくれて、しょっちゅう女や子供を殴っている、それなのに、不思議と憎めない男たち。いや、実際身近にいたら、女としては、憎めないどころか、関わり合いになることすら御免被りたくなるだろうが、そこは、作者のユーモラスと愛情溢れる筆致で誤魔化されてしまう。ラストで、作者と同じように、イギリス留学の切符を掴み、トリニダード・トバゴを抜け出していく主人公の「僕」の視線は、冷静なようで不思議と温かい。

ヴィディアダハル・スラヤプラサド・ナイポール、という、絶対に一度では覚えられない本名が示す通り、元英領であったトリニダード・トバゴには、その関係でインドからの移民が多く、カリブ海に浮かぶトリニダード・トバゴのヒンズーインド系家系の生まれだそうである。その、錯綜した文化が、まさにコロニアル的と言える。中米は例えば『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』におけるドミニカ共和国のように、アメリカの影響を強く受けている(そして、もちろん、それは逆流している)のは知っていた。本書のトリニダード・トバゴでは、ゴミ収集人の息子エリアスがケンブリッジ学業検定に挑戦したり、車を修理(して破壊)するのが趣味のバクーおじさんは『ラーマーヤナ』を熟読してヒンドゥーの先生になったり、イギリス植民地であった影響が色濃く出ていて面白い。

ナイポールは、ポスト・コロニアル文学の源流と言われる。意外なほど軽やかでユーモラスな作品の割にノーベル賞受賞した背景にも、そういう評価があったのだと思う。ポスト・コロニアルというのは、日本語で「脱・植民地化」などと訳され、有名なエドワード・サイードの『オリエンタリズム』あたりから触発された文芸批評理論である。しかし、一口に「脱」と言っても、植民地化される前のオリジナルな文化を見直す、という側面もあれば、植民地主義や帝国主義を批判的に捉える、という側面もあったり、総括して論じるのは中々難しい。そもそも、「脱」ということを意識している時点で、コロニアルな視点から解放され得ない、というパラドクスも含んでいる。ポスト・モダンなどと同じで、こういう哲学的な文化、文学理論の中に分け入っていくのは個人的に好きではないのだが、こういう文学作品を通して、純新しい世界観や価値観と出会うことは純粋に楽しい。

ナイポール自身は、植民地のオリジナルな文化を礼賛する、というよりは、むしろその野蛮性や未開性を辛辣に表現する、という面が強く、同郷・同地域出身の文化人や作家からは批判も多かったようだ。だが、彼の初期の作品である本書『ミゲル・ストリート』の底流には、まだそこで暮らす人々への愛情と温もりが残っている。もっと後期に書かれた『ビスワス氏の家』やブッカー賞を受賞した『自由の国で』などで、それがどのように変化しているのか興味を惹かれるので、また読んでみたい。

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