書評 『きみが住む星』 池澤夏樹 


 

エルンスト・ハースの写真は、自然や町の景色を、ヴィヴィッドな色彩で切り取ったもので、ちょっと不思議な印象を残すものばかりが選ばれています。それに、池澤夏樹が自由なイマジネーションを加えて、男がさらっと旅先で見たことや感じたことを書いたような手紙に仕上げる。イマジネーションはすごく飛躍していて、実際の写真の映像とは全く違っていますが、池澤夏樹のしんとした文章を読んでいると、写真がまるで違うストーリーをもったものに思えてくるから不思議。子供が雲のかたちや、満面の星空を見上げて、型にはまらない奇想天外な生き物や物語を描き出すような、そんな自由奔放で力強い想像力に満ちています。

 

具体的に色々ご紹介したいところですが、写真が無いとせっかくの雰囲気が出ないので、シンプルで美しい文章の余韻だけお伝えするために、少々引用。
「最初の手紙」
最後に空港できみの手を握って、抱き合って、別れた後、飛行機に乗った時、離陸して高く高く上がり、群青の成層圏の空を見た時、ぼくはこの星が好きだと思った。それから、どうしてそんな気持ちになったのか、ゆっくりと考えてみた。飛行機の中って、時間がたっぷりあるからね。そうして、ここがきみが住む星だから、それで好きなんだって気がついた。他の星にはきみがいない。
愛する人がいる大地を離れ、空高く舞い上がってみて初めて、愛する人がいるその大地そのものを愛しく思う、美しいけれど切ないような真実があるような気がします。

「心のガラス窓」
ぼくたちはみんなピカピカの傷一つないガラスを心の窓に嵌めて生れてくる。それが大人になって、親から独立したり、仕事に就いたり、出会いと別れを重ねたりしているうちに、そのガラスに少しずつ傷がつく。時にはすごく硬い心の人がいて、そういう人が大急ぎでそばを走りぬけると、こっちの心にすり傷が残る。夜の空から隕石のかけらが降ってきて心の窓にぶつかってはねかえることもある。少しずつ傷の跡が増えてゆく。
でもね、本当は、傷のあるガラス越しに見た方が世界は美しく見えるんだよ。花の色は冴えるし、たった一本の草がキラキラ光ることもある。賢く老いた人たちがいつもあんなに愉快そうに笑っているのは、たぶんそのためだろうとぼくは思う。歳をとるって、そういうことじゃないかな。だから元気を出して。バイバイ
使われている写真は、実際は、摺りガラスの写真ではなくて、細かい銀色の雨の向こうに色鮮やかに美しいブーゲンビリアが咲いている景色を写したもの。細い線のように降り注ぐ雨のせいで、花も葉もぼやけていて、それが摺りガラス越しに眺める景色のように見えます。男の手紙を読んだ後では、細かい心の傷ですら、柔らかくて美しいもののように感じられます。

からだもこころも疲れた時に、読み直してみたくなる本です。

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