『たんぽぽのお酒』 レイ・ブラッドベリ


少年のひと夏の物語・・・と言えば、なんだか安易にまとまってしまうが、ここに描かれているテーマの奥行きの深さと幅広さ、自由な想像力の力強さは、とても語りきれない。一応青少年向けの文学作品ということになっているが、むしろ大人にこそ読んでもらいたいような作品。世界観もテーマの深め方も、安易な切り口ではなく、本当に考えさせられる。死や老いや孤独や別離など、人生の様々な局面が、不思議なファンタジーのエピソードにのせて描かれている。
主人公はダグラスという男の子。毎年のとおり、父親と弟と、森で山ぶどうと山いちごをどっさり収穫しているさなか、忽然と「ぼくは生きているんだ!」という激しい感覚に目覚める。そして、彼の1982年の夏が始まる。一貫したストーリーというよりは、色々なエピソードがオムニバスのように語られるのだが、私が一番心に残ったエピソードは、過去にしがみついて現在の自分を見失ってしまったベントレー夫人のエピソードと、時間の悪戯で引き裂かれた二人の恋人の悲しい恋物語が、100年後の来世で再び結ばれることを暗示して終わる「ライム=バニラ・アイス」のエピソード。詳しくはここでは語らないが、どこか切なくて悲しいのに、心がすっと洗われるようなお話だった。
 話の中身に劣らず素晴らしいのが、ブラッドベリの文章。訳文になっても、軽快なリズム感、読む人をうっとりさせる詩のようなことばの美しさは、損なわれていない。ちょっと長いが、書き留めておこうと思う。
 たんぽぽのお酒。・・・
 この言葉を口にすると舌に夏の味がする。夏をつかまえてびんに詰めたのがこのお酒だ。・・・するとそこに、何列も何列も、朝に開いた花がそっときらめき、わずかに積もった埃の膜を通してこの六月の太陽の光が輝く、たんぽぽのお酒がならんでいるのだ。それを透かして冬の日をじっと凝視してみるといい-雪はとけて草が現れ、木々には鳥や、葉や、花がもどってきて、大陸いっぱいの蝶々のように、風にそよぐのだ。またそれを透かして見れば、鉄色の空が青く変わるのがわかるだろう。・・・
 おばあちゃんでさえ、雪がしきりに舞って、世界の目をくらませ、窓に目つぶしを喰わせ、ハーハーとあえぐ口から息を盗んでしまうとき、おばあちゃんでさえも、二月のある日に、地下室に姿を消すことだろう。・・・
 すると、地下室から六月の女神が現れるように、おばあちゃんが毛糸で編んだショールの下になにやら明らかにかくして、上がってくるのだ。これが二階も階下も、みじめったらしい部屋という部屋全部に運ばれて、瀟洒なグラスに芳香と透明さともども分配され、粋にグーッとひと息に飲まれるのだ。ちがった季節の薬、太陽とだらっとした八月の昼下がりの香り、煉瓦の街路を通っていく氷売りのかすかに聞こえる車の音、銀色の花火ロケットが勢いよくあがり、蟻の国々を押しわけて通る芝刈り機が、刈った芝を噴水のように吹きあげる。これらのすべて、これらのすべてが一つのグラスのなかにあるのだ。・・・
 そうなんだ。おばあちゃんでさえ、・・・自分の魂やこころと密議をこらすのかもしれない。そして、とうに過ぎさったカレンダーの最後の感触と、またピクニックや、暖かい雨や、小麦畑のにおいや、新しいポプコーンや、たわむ干し草と親しく語るのだ。おばあちゃんでさえ、このすばらしい絶妙の言葉を、ちょうどいまたんぽぽの花が絞り器に入れられているこの瞬間にもいわれているように、またこれからも雪の多い冬のあいだ毎年くりかえしいわれるであろうように、くりかえし、くりかえしいうのかもしれないのだ。ほほえみのように、暗闇にいきなりぽつんと浮かぶ日光のように、何度も何度もその言葉を唇にのせるのである。
 たんぽぽのお酒。たんぽぽのお酒。たんぽぽのお酒。

うだるような暑さの合間に、こんな本を読むと、夏の素晴らしさが体の隅々にみなぎって、指先まで元気が出るような気がする。夏ってこんなにかけがえのない、素敵なものなんだ・・・そんな気分にさせられる。

 夏の終りには、こんな文章を。
八月はほとんど過ぎさった。秋の最初の涼しい感触がゆっくりと町を通りぬけ、どの樹も色は和らぎ、徐々に燃えるような熱がきざして、丘はかすかに輝き、色づくのが見られ、小麦畑はライオンの色となった。いまや日々のパターンはおなじみになり、くりかえしとなって、ちょうど書家が、練習で、何度も何度もlやら、wやら、mやらをつづけて美しく書いているように、一日一日と線が優美な流れとなってくりかえされるのだ。

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