書評 『学力の経済学』 中室 牧子


教育書と経済書の中間的な位置付けとして話題になっており、参考になるかな、と思って読んでみた。読んだ感想としては、うーん、、、教育現場に携わる方や教育政策に興味がある人には良いと思うが、親が子育ての参考として読むにはどうなんでしょう、、、という感じ。

至極当たり前のことを言うと、「学力」というのは、子供の「生きる力」とは全く違う。そもそも「頭の良さ」とすらさほど関係がない。「経済力」にも直結しない。その前提で「学力」を伸ばしたい、と親が思うならそれはなぜなのか、きちんと整理できた上でこういう本を読まないと、とても危険な気がするのだ。しかし、自分も含めて、このあたりをきっちり整理して考えられる親というのは極めて少ないように思う。「学力」と「経済力」と「頭の良さ」は、全く関係がない、とまでは言えないし、だからこそ親としてはそれらが渾然一体として捉えられたまま、とりあえず目先の「学力」という指標に気を取られてしまう。

事実、この本も、前半は「学力」に限定して語っているのだが、途中から「非認知能力」に話が切り替わる。学力については、小学校高学年以上の子供を対象とした方が適切だと思うが、「非認知能力」については、幼少期から育むべきものだろう。そういう意味では、子供を教育する親からすると、子供の年代は非常に重要だと思うのだが、その辺りはランダムに語られている。

例えば、この本が打ち破る「教育神話」の一つとして、「褒めて育てる」のが本当に良いか、という問題がある。著者は、フロリダ州立大学のバウマイスター教授やバージニア連邦大学のフォーサイス教授らの研究結果を例に挙げ、《学生の自尊心を高めるような介入は、学生たちの成績を決してよくすることはない》ので《むやみやたらに子どもをほめると、実力が伴わないナルシストを育てることになりかねません》と主張している。しかし、この試験で対象となっているのは、高校生や大学生でなのである。そもそも「親が褒める」ことが、自尊心を高めることに大きな影響を及ぼす年頃とは思えない。一般的な親が「褒めて育てる」効果を期待するような歳ではないので、なんとなく想定しているケースがずれている感が拭えないのだが、こういう子育てする親の想定とは微妙にズレた「データ検証」がこの本では多く出てくる。

もう一つ、インパクトを与えやすい例として、「幼児教育は収益率が高い」というものがある。アメリカ・ミシガン州の「ペリー幼稚園プログラム」で、低所得のアフリカ系米国人の3〜4歳の子供たちを対象とした実験結果が挙げられている。このような実験結果は、社会政策を考える上ではとても重要で意義があると思うが、例えば、この本を読んでいるような比較的教育熱心な日本の一親が「なるほど!」と手を打ちたくなるような検証結果ではないように思う。当たり前だが、3〜4歳児への教育とは「学力」アップの教育ではない。そのことは、著者もさすがに認めている。だとすると、「幼児教育」とは何を指すのか。幼児期に高めるべき「非認知能力」のスコープはあまりに広い。コミュニケーション力、安定した精神力や集中力、自制心や創造性、それら全部を高める「幼児教育」の具体的イメージを持てる親がどれだけいるだろうか。そしてまた、高校失業率や40歳時点での所得やIQが平均より高い、ということが、親として目指す収益率なのか、ということも自問する必要がある。

この本のあとがきで、講演会に来ていた小さな子供連れのお母さんから「話が聞けて良かった。知らなかったらヤバかったわ」と声をかけられたエピソードが紹介されていたが、そのお母さんはちゃんとこういうことを自分の中で整理した上で理解できていたのだろうか。もしそうでなくて、いろんなものが渾然一体となったまま、この本で挙げられている実験結果を鵜呑みにしていたとしたら、その方がよっぽど「ヤバかった」気がするのだが、、、余計なお世話だが、「やっぱり幼児教育にお金をかけるのが一番良いのね!」と、よく分からない習い事漬けの毎日で親子共々疲労困憊したり、無理して有名私立幼稚園をお受験して、家計に過大な負担をかけたり、頓珍漢な結果になっていないよう願うばかりである。

現代の「学力」が、最終学歴に到達するための力とするならば、それは限定的なステータスと大企業に良い条件で就職するための指標でしかない。「頭の良さ」は全く関係無いとは言わないが、「暗記力」と「情報処理能力」と「ルール認知能力」が勝負なので、効率的に且つ時間をかけて習得すれば、殆どの人が一流大学に合格できるだろう。特に、繰り返し時間をかければ受験で点を稼ぐ力は確実にアップする。ただ、多くの人は、そこまで時間をかけたくもないし、かけるモチベーションが続かないだけだ。家庭も含め、周囲の環境によって勉強に時間をかけるのが当たり前で、且つ、中高一貫校のように、効率的に受験勉強に時間を費やせば(高校入学から1年生の前半までに、高校3年生までのカリキュラムを終えて、残りの2〜3年間は大学受験のスキアップに集中する、というような)、誇張でもなんでもなく、並の頭の良さの人なら東大に合格できる。

そういう前提を踏まえた上で、親が子供に学力を身に付けさせたいのなら、なぜそう思うのか、もっとしっかり自分の中で整理した方がいい。将来の経済力の為に、というのは一つの分かりやすい答えだが、その場合は、「学力」=「経済力」ではなく「経済力の一助」にしか過ぎないこともはっきり認識しておく必要がある。この本でも言っている通り、

「高校を卒業後すぐに働き始めた人と、大学を卒業してから働き始めた人の間では、生涯で稼げるお金に、実に一億円の差があります。一億円を年末ジャンボ宝くじで当てようとすれば、その確率は1000万分の1です。交通事故で亡くなる確率が一万分の1、飛行機で事故にあう確率が20万分の1といわれている中、これは、ほとんど不可能といってよいレベルでしょう。しかし、宝くじで1億円が当たることを夢見なくても、大学へ行けば生涯で稼げるお金は1億円高くなるのですよ。」

確率論で言えば、まず学力を上げて出来るだけ良い大学に行く、というのが経済力アップの為の最も着実で一般的な方法、ということになろう。しかし、これもまたあくまで一般的な確率の話なので、高卒や中卒でその一億差を埋める収入を得ている確率は、宝くじの当選確率とは比較にならないくらい高いであろうし、そもそも、その一億の収入差で子供の将来は安泰なのか、大卒の中でも収入にはかなり差があるのではないか、だとしたらどのレベルの大学や企業に入ることを目標とすれば良いのか、また、今のこのデータ上の収入差は子供が成人するまで続いていくのか、などと疑問が次々沸いてくる。

もちろん、根本的なところで、経済力のみがその子供の幸不幸を左右するわけではないし、生きるのに必要な力は別のところにもある、という問題もある。言うまでもなく、子供が「経済力さえつけてくれれば不幸になっても構わない」とか、「いい大学に合格してくれさえすれば、その後自殺しても病気になっても構わない」とか思っている親はいないわけで(多分)、学力は経済力の一助にしかならないと同時に、経済力もまた幸福になる為の一助にしかならない。そうやって考えていくと、子供の教育における学力のポーションをどの程度におくべきなのか、悩ましいところである。こういうことを全て踏まえて自分の中できちんとした答えがある親が、果たしてどれだけいるだろうか。

まあ、この本でも親の子育てに参考になる部分は皆無ではなく、例えば、「ご褒美で釣る」場合には、目標は「アウトプット」ではなく「インプット」に設定する方が効果がある、というのはなるほどなあ、と思った。要は「テストで良い点を取る」というアウトプットではなく、「このドリルを何ページやる」毎日漢字を1時間やる」というような具体的なインプットにインセンティブを与えるようにする、ということである。いや、その具体的なインプット設定が大変なんですけど、、、という親の呟きはここではひとまず無視する。

親目線で読み始めたが為に、この本に文句ばかりつける結果となったが、冒頭でも述べたように、教育政策や社会政策を考える上では、大いに参考になる研究内容だと思う。少人数制教育は費用対効果としては賢明とは言えない施策であること、ゆとり教育の弊害《学校で平等を重視した教育ー「手を繋いでゴールしましょう」という方針の運動会などーの影響を受けた人は、他人を思いやり、親切にし合おうという気持ちに「欠ける」大人になってしまうことが明らかになっています》など、従来の教育神話に捉われず、客観的なデータに基づいた判断が必要なことが浮き彫りなる。先ほど例に出した「幼児教育は収益率が高い」という例も、社会政策を考える上では重要なポイントだと思う。

本書の最後は補論「なぜ、教育に実験が必要なのか」として、ランダム化比較試験の必要性、問題点などの概要が記されている。ランダム化比較試験(RCT)については、『貧乏人の経済学』の著者A・V・バナジーとE・デュフロが開発経済学にその手法を取り入れて2019年ノーベル経済学賞を受賞したことで話題になった。RCTは元々医学の分野で発達したものだが、近年では経済学にその手法を取り入れることが注目されている。特に、貧困や教育など、相関関係と因果関係が混乱しやすい問題について、客観的なデータを集め、主観的な判断や思い込み、バイアスを取り除くという効果が期待できるからであろう。

因果関係は「Aという原因によってBという結果が生じた」ことを意味します。しかし、相関関係は単に、「AとBが同時に起こっている」ことを意味しているにすぎません。相関関係は2つの出来事のうちどちらかが「原因」で、どちらかが「結果」であるかを明らかにするものではないのです。「相関関係」があるということは、必ずしも「因果関係」があることを意味しません。

本書では、RCTの効果だけでなく問題点にも触れていて、「外部妥当性の問題」「一般均衡効果」などを挙げている。「外部妥当性」というと難しく聞こえるが、要は国や地域の特殊性を反映できるか、ということである。アメリカの貧困層で実験したデータ結果を、日本の一般教育にそのまま当てはめて考えられるのか、というのは確かに考慮すべき問題だろう。また、そもそも対照群が十分に多数でないとデータに偏りが出てしまうが、適切な対照群数やデータ数がどれほどなのか、という判断も難しい気がする。そして、本書でも言っている通り、実験とデータだけでは《「内部構造」が不明である》という問題も大きい。最終的には、「なぜそうなったのか」という「内部構造」は類推するしかないわけで、使い方を気をつけないと、ここに主観的な判断やバイアスが介入する恐れもある。

ただ、日本の教育政策にデータや客観的判断が致命的に欠けている、という筆者の主張はよく分かる。本書で引用されているデータが殆どアメリカでしかないのも、日本でそもそもデータ収集や研究が進んでいないからだ。教育に誰よりも関心を持つ現場の親を通じて、その点を啓発したい、という著者の想いが強く伝わってくる本だった。

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