『アートの価値 マネー、パワー、ビューティー』をお得に読むには
ニューヨークで活躍する伝説的アートディーラーであるマイケル・フィンドレーの著書。タイトルに惹かれて読んでみたのだが、中々面白かった。こういう本が和訳で読めることは滅多にないので貴重だ。
ゼウスの三美神(カリテス)の例えから話が始まる。著者によれば、アートの価値には、豊穣の女神タレイアの商業面、喜びの女神エウフロシュネの社会面、そして美の女神アグライアの本質的な美という、3つの側面がある。この例え話の始まりからして、なんだかアメリカのビジネス書っぽい感じなのだが、本書は美学でも美術史学の本でもなく、商業主義に偏っているアート業界の様子を、ビジネス書のように淡々と解説したものである。一応、始まりの例え話に沿って、商業面だけでなく、社会面、本質的な美、という観点でも解説をしているが、大半は商業面のエピソード満載であり、社会的面についても、半分くらいは現代のアメリカの美術館やアートイベントがいかに商業主義に走っているか、という話だ。つまり、「現代のアートは金まみれ」という舞台裏を延々と語っているわけだが、それが実に面白い。
何と言っても、欧米のアート業界を支えてきたのは、コレクターの存在だ。日本でも、資産家が骨董や美術品を収集するという伝統はあったが、アメリカのように、アートをコレクトすることが、大々的な社会的名誉とアピールになるというレベルには至っていない。日本を代表するアーティスト村上隆は『芸術起業論』で、こう語っている。
「アートを知っている俺は、知的だろう?」
「何十万ドルでこの作品を買った俺って、おもしろいヤツだろう?」
西洋の美術の世界で芸術は、こうした社交界特有の自慢や競争の雰囲気と切り離せないのです。
この文章だけだと、個人的な見栄、みたいな印象を与えてしまうかもしれない。しかし、アメリカでは長らく、この「アートを知っている」「アートをコレクトできるコネクションと財力がある」ということが、非常に高い社会的評価を意味する、という文化が醸成されてきた。だからこそ、本書でも言っている通り、大企業や金融機関がこぞってアートをコレクトし、バックアップするのである。世界最大のタバコ・メーカーであるフィリップ・モリスは、1960〜70年代に専属のキュレーターを雇い、現代美術の一大コレクションを形成し、展覧会のスポンサーとなるだけでなく、有名作家の出版なども行った。現在のJPモルガン・チェースであるチェース・マンハッタン銀行は、1959年から美術品の収集を始め、銀行のホームページによると「3万点の作品が世界450カ所のオフィスに展示されている」ことを誇りにしており、総統のデビッド・ロックフェラーは近代美術館の名誉会長を務めている。もちろん、名だたる企業だでなく、数多の資産家たちが個人的にコレクターとなり、莫大な富を惜しげもなくアートに注ぎ込んできた。
もう一つ、欧米のアート業界で面白いのは、オークションという文化だ。アメリカの映画やドラマを観ていると、金持ちや政治家がアートやワインのオークションイベントに参加するシーンがよく出てくるが、乗馬やポロと並んで、日本人には中々理解しがたい富裕層特有の文化だと思う。オークションというのは、一種の社交でありゲームなのだ。アート業界では、現存作家の新作を直接取引するのをプライマリーマーケット、中古を取引するのをセカンダリーマーケットと区別しているそうだが、現代のアート取引のざっくり半分がオークションによるものだと言う。
オークションハウスの「買い手手数料」は、25%を最高とする複雑なスライド式の手数料体系になっており、売り手に対しても手数料が要求される。オークションハウスは、出品作品が高額の場合には、出品者に貸し付けをしたり、買い手にクレジット(掛売り)をすることもある。代表的なオークションハウスであるクリスティーズやサザビーズは、もはや骨董品のオークションを行うだけでなく、美術教育を提供する学校の運営、不動産の販売、時にはギャラリーのオーナーにまでなって、アート業界を牽引している。顧客開拓の為に、アメリカンエキスプレスとタッグを組んで、アジア富裕層向けの招待制アートプレビューを開催する、なんてことまでしている、等々・・・オークション文化がない日本人にとっては、珍しい情報ばかりだ。
アメリカでアートの商業化が進んでいることを示す象徴的なエピソードは、アートが投資商品化している、ということだろう。私は金融会社に勤めていて、個人的なビジネスとして不動産投資を勉強したこともあるので、アートがまるで不動産や金融商品のように取り扱われていることに、とても興味が湧いた。
欧米では、第一次世界大戦前から数々の「アート・ファンド」が乱立してきたし、現代では、オークション結果の分析を基にした、美術品の価格動向を示す「アート・インデックス」まであると言うのだ。まさに、不動産投資と同じである。
著者のフィンドレーは、オークションの特殊性、美術品の価格の不透明性、また、流通の悪さや取引・維持コストの高さから考えても、アートは投資商品に向いていない、と考えているようだ。
2005年の2月、JPモルガンプライベートバンクでポートフォリオ・コンストラクション部の代表を務めたトム・ワーリーは、(略)美術品の査定評価の難しさ、流通性の低さ、取引にかかるコストの高さについて述べ、また純粋に金銭的利益を追求し投資をするにあたっては、アートの不安定要素が障害になると言及した。
確かに、先述したオークションハウスの手数料に加え、美術品の購入には、保険料や倉庫での保管料、輸送費等、莫大なコストがかかる。これに、ファンド側の人件費や利益のコストを加算したら、投資側の取り分は50%にも満たないかもしれない。もちろん、美術品は50%どころではなく、何倍、時には何十倍にも価値が膨れ上がる可能性もある。しかし、取引の約半分を占めるオークション価格が、作品の微妙なコンディションや、類似商品の供給状態や、参加者の心理状況などに左右される特殊なものである上に、あとの半分は全く取引状況や価格が不透明な個人取引であることを考えると、アートの合理的価格予測はほぼ不可能であり、これは投資ではなく投機に近いことが分かるだろう。
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