書評・新書 『ギリシア悲劇 人間の深奥を見る』 丹下 和彦


『ギリシア悲劇 人間の深奥を見る』をお得に読む

これまた、インスタのフォロワーさんにご紹介いただいた本。海外文学にも芸術史にも興味があるくせに、古今東西を問わずその源流とも言うべき詩と演劇が苦手である。正直に言って良さが分からない。センスの問題かと思っていたけれど、結局、読み慣れていないだけなのかも。昔は全く読めなかったエッセイが読めるようになり、評論が読めるようになり、絶対無理!と思っていた哲学や日本の古典だって段々面白さが分かるようになってきたんだから・・・と、今年はそろそろ重い腰をあげて詩や演劇についてももう少し勉強してみようと思う。そんな矢先に、ビギナーにおススメと本書をご紹介いただいた。

結果、ものすごく面白かった。受験で世界史専攻だったし、海外文学作品を読めば多少の知識は必要になってくるので、ギリシア悲劇なるものについて、作家の名前や代表的作品のあらすじは一応知っていた。それにしても、一体全体、2500年も経って何がそんなに魅力なのか、全く分からない。『アガメムノン』やら『オイディプス王』やら、ググッてあらすじを読んでみれば、無意味(と思えるほど)に悲劇的で近親関係をこじらせたストーリーばかりで、アテナイ市民は明るすぎる肉体と太陽神信奉の代償に、病的に悲劇的なものに固執したのだろうか、などと勝手なイメージを持っていた(笑)

本書は、ギリシア悲劇の代表作を、紀元前5世紀のポリス・アテナイの社会の変化に沿って解説している。人間性や哲学の問題としてではなく、そういう社会史的な観点で分析しているところが面白いし、理解しやすい。

有名なギリシア悲劇と言っても、後世に残されたものは33篇のみで、その全てが紀元前5世紀にポリス・アテナイで創作・上演されたものだと言う。たった100年の期間だが、その期間は、ポリス・アテナイがペルシア戦争に勝利し、ペリクレスの治世下で黄金期を迎え、その後ペロポネソス戦争に突入して衰退していくという、重要なエポックなのである。

本書では、アイスキュロスの『ペルシア人』で、まずアテナイ人のアイデンティティとして「自由」が標榜され、自らの民族優位性を自覚していくところから始まり、父親の復讐のために実の母親を手にかける『オレステイア三部作』で、法の正義と強い父権国家としてポリス・アテナイを確立していく過程を分析している。

ソポクレスの『アンティゴネー』では、そのような政治色がやや薄れ、神の法と人間性の葛藤が描かれ、探求の末に実父殺し母との近親相姦という出自を知ることになる有名な『オイディプス王』では、さらにそれが「知」を探求する人間のアイデンティティの問題にまで伸展していく。

エウリピデスの頃になると、「自由」「法」「知」への絶対的な信頼が揺らぎ、嫉妬と復讐のために我が子を皆殺しにするという激情の虜となった女性を描いた『メディア』、ギリシア人の精神的拠り所も言える「トロイ戦争」や「英雄」の姿を問いなおし、伝統的価値観の否定とも言える批判的精神に満ちた『ヘレネ』や『キュクロプス』が登場してくる。自らのシュネシス(認識知)に苦悩しながら法の正義を踏みにじり逃亡していく『オレステス』や「賢しらな知」と「厳格な父権国家」を体現するテバイ王ペンンテウスが、ディオニソスとの戦いに敗れ実母に八つ裂きにされるという『バッコスの信女』に至っては、アイスキュロスの作品とは皮肉なほどに対照的である。

このように、紀元前5世紀のポリス・アテナイの社会史、精神史とも言うべき歴史の流れに沿って、代表作を解釈してくれているのでまことにわかりやすい。そこが本書の魅力なのだが、もちろん、ギリシア悲劇なるものが2500年間(何度言及してみてもぴんとこない年月の長さであるが)人々に膾炙してきたのは、そこに普遍的、本質的な人間性や哲学の問いがあるからである。本書で折々に触れられるテキスト解釈から、その問いかけの深さや重要性は慮られる。(実際には、ギリシア悲劇の研究はほぼこのようなテキスト解釈と哲学的解釈がメインなのだと思うので、やはり常人には近寄りがたい分野だと思う・・・)

この時代に重要な価値を置かれていた神の摂理やプロロゴスに対し、「なりゆき」「めぐりあわせ」など複合的な意味をもつ「テュケー」、また神の必然に対抗すべく人間のアイデンティティとして起こってくる「マンタノー(知)」、「テューモス(激情、感情)」、「シュネシス(認識知)」といった言葉。そして人為的な「ト・ソポン(賢しらな知)」と批判的精神を捨てた時に手にする実り豊かな生き生きとした「ソピアー(真の知)」。

こういった言葉の意味定義そのものが、非常に重要で本質的な哲学的問題を孕んでいる。ホメロスの「イリアス」や「オデュッセイア」はもちろんのこと、プラトンやアリストテレスともギリシア悲劇は密接に関係している。

本書のはじめ、「ギリシア悲劇の発祥はディオニソス神信仰と関わりがあるとされる」という説明を読んで、「それはそうとなぜ“悲劇”でないといけないのか」という疑問が湧いた。読んでいくうちに、その必然性がおぼろげながらわかってきた。

なぜなら、神の意思と人間の運命との関係に問いをたてること、その関係に人間が主体的に関わっていくことこそが悲劇の本質だからである。(P226)

2500年前の《古来貧困を生まれながらの伴侶とするギリシア》の一都市国家で、哲学と歴史と文学が交錯するところ。神話的世界なほどに遠く感じられる。けれど、実際にその場所があったのだと想像しながら、いつか訪れてみたい。

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