書評・小説 『家族手帳』 パトリック・モディアノ


『暗いブティック通り』に引き続き、ノーベル文学賞、ゴンクール賞などを受賞したフランスの作家パトリック・モディアノの中編小説。

「僕」を語り手に、新生児室で娘を見つめる冒頭のシーンから始まり、「僕」のルーツと半生を探求する物語が展開する。表題の「家族手帳」とは、《フランスにおいて、結婚の際、あるいは未婚者の初めての子供が誕生した際に発行される、携帯可能な戸籍といったものであり、身分証明となる公的書類である》(解説より)。小さな娘は生まれながらにして、この「家族手帳」を有している。父親である「僕」は、ユダヤ系移民であり、第二次世界大戦下の混乱し抑圧された環境の中で、ついに真っ当な「家族手帳」を手に入れることがなかったにも関わらず。

この表題が暗示する通り、この作品でも『暗いブティック通り』と同じく、フランスにおける移民、そのルーツと安住の生活をテーマに、歴史と記憶を再生する物語が展開する。登場する人物たちは、モディアノと同じユダヤ系の他に、さまざまなルーツを持っていて、一種のコスモポリタン的な世界がそこにある。しかし、特に第二次大戦下のフランスでは、そういった移民達は迫害されたり、居場所を追われたりして、家族手帳が象徴するような「真っ当な」国民の頭数としてカウントされていない。

歴史と記憶は重なりあっており、それはひどく脆くて安定しないものでもある(だからこそ、再生する必要性と可能性がある)。その辺りも、『暗いブティック通り』と重なるテーマだが、この作品の方が、より個人の記憶よりも第二次大戦下のフランスの歴史にフォーカスされている。「暗いブティック通り」でも、不確かな記憶を探りながら主人公と読み手は暗がりを彷徨うような気持ちを味わうが、この『家族手帳』でも、物語は時系列をほとんど無視して、「僕」と僕の父親のルーツを巡りながら、時間と記憶が錯綜している。

以上が、概要についての考察だが、この作品を読んだ後、小説とは自分にとって一体何だろう、と深く考えさせられた。モディアノがこの『家族手帳』や『暗いブティック通り』で描いている人たち、フランスの名もなき、声なき、よるべのない移民たち。極東の島国の日本の私、それも、地方の地主の家系で、先祖代々の戸籍や土地があって、ルーツや故郷について疑問に思ったことなど全くないような私にとっては、それこそ地球の真反対にいるような人々である。もちろん、日本にも中国や韓国、或いは沖縄やアイヌなど、ルーツや戸籍をめぐる問題が無いわけではない。しかし、少なくとも、私自身はそういう問題とは程遠い環境で育ってきたのである。そういう私が、モディアノの小説を読んで、なぜか惹きつけられる、それってどういうことなんだろう、と我ながら不思議に思えてしまったのである。

くどいようだが、モディアノの小説は、少なくとも私個人にとっては、全くと言っていいほど共通点の無い設定なのだ。国も文化も環境も。それなのに、私はその世界の中を、物語の中を、旅している。自分と同じ国、似たような環境や年齢の設定で書かれた多くの現代日本文学の作品よりも、私を惹きつけるものがそこにある。そういう作品はもちろん、共感しやすい部分は多い。でも、私にとって、共感できることは必須ではない。モディアノのような海外文学作品を読んで、私が心から共感できることは少ない。それでもなお、私は、物語に攫われて、はるか遠くの世界、自分の現実とは全く別の世界を旅し、人生を体験したように感じる。その距離が遠ければ遠いほど、何か物語の持つ底知れない力を見せつけられたように感じる。

読者をいかに遥か遠くまで攫っていけるか、その力の源の一つは、文章のリズムとディティールの巧みさにあるのかもしれない。そういう意味で、モディアノが、ノーベル文学賞受賞時、事務局長のペーテル・エングルンドから《現代のマルセル・プルースト》だと評されたのも頷けるのである。

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