『独り居の日記』 メイ・サートン


米国の女性作家メイ・サートンが60才を迎える手前、ニューイングランドの美しい自然の中で孤高に生きる独り身の生活を綴ったエッセイ。メイ・サートンは、詩、小説、エッセイ、ジャーナルと、様々な書物を世に送り出している、ジャンルレスな文学者であり、本書も、丹念に育てた庭の美しい花々や身の回りの動物たちとの心静かな生活の様子と、彼女が自分の中に抱える生きることの孤独、懊悩、怒り、創造することに伴う困難や葛藤などの激しさがないまぜになっていて、とても奥行きの深い作品である。抑えた言葉の中に深い思索が込められていて、一つ一つの文章が清冽なのにどっしりと重い。自分が歳をとってからも、この先も、何度か読みなおしたくなるような作品。

自然のなかで、人間のほかに、絶望を感じるものがあるのだろうか?罠に足をはさまれた動物は、絶望するようには見えない。生きのびようとするあがきで忙しすぎる。それは一種の静止した、強烈な待望のなかに閉じこめられている。ではこれがカギだろうか?生存のために忙しくあがくことが。いや木に見習うことだ。回復するために失うことを学ぶのだ。何ひとつ、たとえば痛み、それも心の痛みさえ、同じものとしてはとどまらないことを思い出すことだ。佇みつくし、すべてを過ぎ去らせるのだ。流れに身をゆだねるのだ。P37

私はユングの、苦悩の必要性への洞察で助けられてきた。時に私は、親密な人間関係がうまくいかないときは、これを認めないことからきているのではないかと思うことがあるわれっわれは波瀾や変化を怖れ、苦痛に感じられることについて語ることを怖れる。苦悩は往々にして失敗と感じられるが、実はそれは成長への入口なのである。そして成長は、どの年齢であっても苦しみを伴わぬことがない、とユングはいう。「なぜならコンプレックスは精神に起こる事柄の正常な焦点だからであり、それが苦痛だということは、なんらの病理的な妨害を意味することはない。苦悩は疾病ではなく、幸福に対する正常な対極なのである。コンプレックスは、われわれがそれもたないと思うときにだけ病理的なものとなる。」(P183)》

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