『光って見えるもの、あれは』 川上 弘美


 

本作は、ちょっと変わった家族(シングルマザーでライターの母親と古風な祖母)、ちょっと変わった周囲の人(遺伝的に父親にあたりながら、ふらふらと主人公の家庭に出入りする大鳥さんやなぜかその大鳥さんと気が合う担任教師のキタガー)、ちょっと変わった友達(ある日厚い胸板にセーラー服を着て高校に登校し始める北川くんやその北川くんを誘惑してみたりする主人公の彼女)に囲まれた、「いつもふつう」な高校生の男の子を主人公とした物語である。

 

川上弘美の小説の中の人物は、いつも脱力した感じである。そういう意味で、ちょっと脱力した、世間の感覚とはずれちゃった感じの大人が多い。今回の主人公やその友達は、高校生ととても若く、やっていることはある意味すごく青臭いのだが、やっぱりなんだかちょっとずれていて、青春時代真っ只中なのに妙に冷めているというか、力が抜けてる感じがする。それが、川上弘美らしくてすごくいい。会話も行動もなんかずれてるんですけど、面白い。

 

特に面白かったのは、主人公の「僕」が、つきあっている彼女の「いかにも女」的とっぴょうしもない(と「僕」には思える)行動に戸惑う様子。つまり、突然「わたしのことほんとに好き?」と言い、突然「わたしのことどのくらい好き?」と言い、そしてある日突然「わたしのことほんとに好きじゃないと思う」と言い出す、その行動である。

 

かく言う私も、何度歴代の彼氏(そして今の旦那にも)この手の発言を繰り返したであろうか。世の中の多くの女の人は思い当たるはずだ。この行動に対していかにもまっとうな、主人公の反応が面白い。今更ながら、そうか、男の人には私たちの行動はこういう風に感じられているんだ・・・と納得する。そして、定職ももたず、責任もとらず、いつもふらふらしながら不思議と女にもてる主人公の「遺伝上の父親」である大鳥さんからは、こんな名言が。

『女の言葉を額面どおり受けとる方がいけない」と後日てんまつを聞いた大鳥さんは言ったものだった。けれど僕は素直に大鳥さんの言葉をうべなえなかった。女の子の言葉を額面通りに受けとらずに、どうやって女の子と友情だの愛情だのをはぐくみあえるものだろう。
「もちろん額面どおりに受けとり通す、ってやりかたも、あることは、ある」大鳥さんは笑いながらつづけた。
「でも、それはものすごく険しい道だぞ」そう言って、大鳥さんは僕の肩をぽんと叩いた。」
「地球上の男は誰一人として、その道の果てまで行けたことは、ないかも、しれない」

 

そう、女の人は、額面通り言葉通り受け取られるのもいや(「ほんとに好きなの?」→「ほんとに好きだよ」なんて答えは期待していない)だし、かと言って、大鳥さんみたいに全部額面通り受け取ってくれようとしない人とも添い遂げられない、そういうやっかいな生き物なのでである。ああ、こうやって言葉にするだけでしちめんどうくさい感じがするではないか。

 

川上弘美の作品は、淡々とした文章の中にもスパイスが効いていて、ほんとは重たいこと、大事なこともたくさん散りばめられているんだけど、それでもなんか、難しく考えたり分析したりするのは、ばかばかしくなるような、脱力感がある。一抹の不安と寂しさみたいなものを残しながらも、あっけらかんとした読後感もすごくいい。川上弘美ワールドに浸った後には、自分のあくせくした生活や激しいけど一時的にしか留まっていかない感情から、少し距離をおけるような気がするのだ。

 

 

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