数年前から「編集的文化が発生する場」というものに興味がある。具体的には、ヨーロッパのサロンやカフェ、クラブみたいなものだ。小林章夫他松岡正剛や田中優子も共著となっている『クラブとサロン』はもちろん読んだが、このジャンルで日本語で読める本は極めて少ない。一時期、大学院で専門的に研究することも検討していたが、専門分野の壁が高いアカデミックな世界では、そんなぼんやりした括りでは中々受け入れてもらえそうにない。確かに、一口にサロン・クラブ・カフェと言っても、それぞれの性格は異なるし、国や時代によっても微妙に違う。私の密かなライフワークとして細々と勉強を続けているのだけれど、「場」に着目するのか「ネットワーク」に着目するかでも対象範囲が違ってくるし、「場」という意味では、オープンパブリックかクローズドプライベートか、そのレベルによって性質も非常に異なってくる。
前置きが長くなったが、本書はそんな経緯で、文化編集が起こるパブリックスペースとしての図書館について調べたくて手に取った本。欧米の文化的編集の場としての図書館の重要性については、ピーター・バーグ著『知識の社会史』が参考になった。
と言っても、本書は図書館の歴史的発展を語るものでは全くなく、むしろ、これからの図書館のあり方について検討する実践的な内容。元々期待していたものとは大きくかけ離れていたのだが、それなりに参考になることも多かった。
《多くの市民が図書館サービスから疎遠になるのは“ハイ“カルチャーと“大衆“文化を分離しようという長きにわたる操作の仕上げのようなものである》 《18世紀、議論の場、世論の形成される場としてブルジョワにより作られたカフェの誕生以降、近代都市は公共の場の周囲に生まれている。》
《レイ・オールデンバーグの『グレイト・グッドプレイス』…その本では。職種や居住地区とは関係のない出会いの場 を〈第三の場所〉と位置づけた。》
図書館にマーケティング的な発想を柔軟に取り入れようということを指南し、具体的に図書館のロケーション、インテリア、受付の置き方から本の配置まで考察する。
商業施設や法人の例を参考として紹介しているのも面白い。例えば、高給スーパーとカフェとブックストアを兼ねたようなイタリア・ボローニャの「Eataly-Coop」。個性的なブックセレクションとカフェを備えたローマの書店「Liberaria Feltrinell International」。カフェスペースやイベントなどが充実したニューヨークの大型書店「Barnes&Noble」などなど。
(様々な移民たちを)近づけられる唯一の”自由言語”は、消費社会の言語、つまり商業を通じてのコミュニケーションである。
移民問題、多様化する言語と文化の中で、図書館というもののあり方が問われている。
ただ、本屋の話とも共通するのだが、「場」ということにこだわりすぎると、図書館もカルチャーセンターや商業施設のパブリックスペースとあまり変わらなくなってしまう。「コミュニケーション」に偏り過ぎても、従来の「場」としての意義が問われてくる。
一つのキーワードは「子供」かもしれない。本書でも、小さい子供を図書館に呼び込む取組が取り上げられているが、子供というのは場所の制約を受けやすいし、リアルな場やネットワークの重要度が高い存在でもある。
しかし、それ以外で、図書館や本屋といったジャンルが生き残る余地はあるのか?それはまだ私の中で強く疑問として残っている。
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