『ぼんち』 山崎 豊子


面白すぎて一気読み。

大阪の旧い商家を舞台にした著者得意の「船馬もの」である。『女系家族』とよく似た設定だが、こちらの方が断然登場人物がいきいきとして面白い。

山崎豊子は、魅力的な男性を描くのがほんとに上手いなあ、と感心させられる。主人公の喜久治は、古い暖簾を誇る足袋問屋の一人息子で、女系家族という変わった家族背景もあり、正妻をもたずに次々と芸者や仲居女性を囲い者にする。フェミニストなら鼻血を出して激怒しそうな男なのに、その甲斐性とだらしなさと表裏一体の優しさが不思議と魅力的に映る。

山崎豊子のすごいところは、女性作家なのに、完全に男目線で女性が描かれているところで、喜久治が性懲りも無くふらふらと5人の女性に手を出してしまうのが、なんとなくしょうがないよなあ、という気持ちにさせられてしまうからすごい。

〈金をつかうことの痛快さが、喜久治の体に灼けつくようだった。持金をバラ撒いて、好きな女を着飾らせ、喜ばせて、自分がその可愛い生き物を見て楽しむ。…喜久治は費うために、喜ぶために働こうと思った。…女房なしの独り身で、爺ではのうて、金があって、これで遊ばんのは嘘や〉

とうそぶき、

〈あんさんは、お金に飽かせて、一人一人の女のええとこだけ、その時々にお食べやす〉

と愛人の一人に言わしめるのだから、男の身勝手な願望もここまで極まれり、というところだが、それは同時に男の弱さでもある。戦火の混乱の為、疎開地に追いやられた愛人4人が同じ風呂に入って寛ぐ様を見て、喜久治が突如そこから解脱する最後のシーンもとりわけ印象的である。

〈放蕩を重ねながらも、どこかで人生の帳尻を、ぴしりと合わさねばならぬ時機がある。思う存分、さまよい歩いて来た喜久治は、突如として、沈淪の底からうかび上がるように、そこを抜け出た。〉

こんな本を読むと、男が一人の女に飽き足らずさまよい歩いてしまうのもやむなしか…と思わされるのだが、そんな気持ちになったことは旦那には、かたく伏せておきます(笑)

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