前回の記事の続きです。
『カヨ子ばあちゃんの 男の子の育て方』をお得に読むには一番なるほど、と思ったのは、小さい子どものカンシャクや興奮して泣き止まないような時に親がどう対応するか、と言うところです。
かつて私もそうでした。しかしよく反省してみると、私が暇でテレビを見たり、お茶を飲んだりしているときは、比較的ゆったりとしているその泣き声につき合い、一方、台所で忙しいときなどは、突き放しがちでした。
やがて、前者の時は早く落ち着き、後者のときは手を休めて腰をおろして聞いてやっても、なかなか泣きやまないことに気づきました。
そこで、私は時間のあるときに、「泣きやむのが先よ」「泣きながらものを言ったら、聞いてやらん」などと言って、しゃくり声を出しても「もっと落ち着け」とまだ話をさせませんでした。
こうして、私の受け取り方を、時と場合で差のないよう心がけることで、息子たちのカンシャクは徐々になくなりました。
これは、本当にその通りだと思います。幼児の大泣きやカンシャクにはほとほとうんざりしますが、《地団駄踏んでのくやしさや、わめき立てに、親が同調して興奮してはならないのです》。でも、これは口で言うほど優しいことではなくて、特にいつも親に時間や精神的余裕があれば良いですが、しなくてはならない家事の最中だったり、外出中で他の人の目が気になる時など、どうしても親もイライラしてしまいますよね。カヨ子ばあちゃんも《ここは、親の精神修養がいる場面です》と言っています。でも、《自分の感情も自分で始末をつけなければならない》ことを子どもが体得しない限り、根本的な解決にはならない。毎回完璧に、と言うのは難しいとは思いますが、親が自分の感情に左右されずに、子どもが自分の興奮に自分で対処できるまで待ってあげることで、最終的には親も楽になるのだ、とぐっと堪えることが必要だな、と思いました。
それから絵本の読み方。これは、比較的男の子に多いタイプかもしれませんが、図鑑とか自分のこだわりで同じ絵本しか読まなくて、ストーリー性のある絵本に全く興味を示さないような場合。カヨ子ばあちゃんは、長男が読みたがる車の図鑑では、子どもに車の特徴を説明させてそれを自分が当てる、と言う遊びをしたり、次男に何度も読ませられる同じバスの絵本では、自己流のストーリーを作って挿入して聞かせたりしています。まさに、『思考力・読解力・伝える力が伸びる ハーバードで学んだ 最高の読み聞かせ』にある、絵本を読みながら親子でやりとりをしたり、子どもにアウトプットをさせる、という読み方ですよね。物語の絵本でなくても、例え図鑑や「またこれ?」と母をがっくりさせるような絵本であっても、親の工夫次第でやりとりやアウトプットの機会はいくらでも作れるんだなあ、と感心しました。
この本は、具体的なエピソードも豊富ですが、ちょっと脳科学的な話になると、ちょっと抽象的ですぐには分かりづらいところもあります。
例えば、幼児は目にとまった部分だけでは、全体像を想像できないので、ハサミの柄がとても特徴的で、親はその柄が目にとまればハサミだ、と予測してすぐに探し出せるのに、子どもにはそれができない。
部分から全体、全体を部分に分けるなどという高等な認知の働きも、このなにげない日常のやりとりから学び取っていきます。
「どうして見えないの」ではなく、見えているものからは、想定できない未熟さがあると考えて、ものを探し出す条件のヒントを与えてあげてください。
或いは、小さい頃から、展開図や間取り図などに触れさせ、色々な空間の感じ方を磨くのが大事、と言っている部分。
方向感覚などは、幼児のころにこの立体感を置き換えることが身につけば、高低が変わり、東西が変わっても、頭の中でうまく整理して、いまいる自分の向きから関連させて正解を出せるはずなのです。
数学的なセンスを身につけるために、単に数字を暗唱させるのではなく、《1と2の違い、特に「0(ゼロ)」の概念をどのようにつかませようかと苦心》し、《会話の中にも数を入れるように心がけました》
計算などできなくても、お菓子を分けるときに3人だと分けにくいとか、大きそうなもの一つと小さなもの二つと、どちらが得かなど、直感的にわかることの方を高く評価しました。
この辺りは、超文系の私がとても認知能力として弱い部分で、サラッと読んだだけでは、中々実践が難しいなあ、と思いました。繰り返し読んで、参考にしたい部分です。
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